連帯責任と個人主義


さて、本日は、日本人の「和の心」や国家観を作り上げた「連帯責任」と、欧米諸国から取り入れた「個人主義」の融合について考えながら、21世紀型の精神性や国家教育のひな形作りを目指したいと思います。




我々日本人のもっとも素晴らしい精神性は、世界の誰もが認める「和の心」であることは明確ですが、日本人で「和の心」をわかりやすく語れる大人が少ないことが残念でなりません。


「和を持って義をなし、義を持って和をなす」という言葉の意味を正しく理解しなければ、日本人は世界をリードする精神性のリーダーとしての役目を果たせないことでしょう。




現代の社会問題に共通する点を考えると、急速に経済が発展したなかで日本人が望んだグローバルスタンダード(世界標準)は、欧米の魅力的に見えた「個人主義と個人尊重の概念」を取り入れることでしたが、その結果、家族内の価値観と社会全体の価値観に大きなずれが生まれ、訴訟で物事を解決しなければいけないほど日本人が古来から守り続けて来た共通の精神性の素晴らしさを語り継げなくなってしまったと諸先輩たちが嘆いています。


その結果、ご先祖の墓や仏壇や家督や土地の扱いについて先祖が歓ぶような形がわからない大人も増えていますし、神仏なんで無くても良いじゃないかという意見さえあるのが現状です。


神や仏の概念に対して意見する気はありませんが、人間が悩む大きな共通問題として「現実に見えないものを見たり感じたりする体験をする人たち」がいるように、実際には、心を含む「目には見えない世界」があることは事実なのですが、その世界観を宗教的な教義だけでは説明出来ない部分があるからこそ、精神世界はこれだけ膨張し発展しました。




特に、精神世界は20世紀末から21世紀にかけて大きく変化しましたが、私達は、この1000年に一度の大きな時代の変化の舵取りをするために、この時代に生まれてきたことをまず考えてみて下さい。




戦前や戦中体験をした人たちにとっては、物事や価値観が急速に変わり過ぎたため、親に教わった道徳観や価値観が通用せず、子供達とのコミュニケーションがとれずに排他され、医療づけになり、最後は、老人介護施設に行かざるおえない現状が、進化した日本の姿となっています。


※医療や老人介護施設の善し悪しを説いてる訳ではありません


自分の親である老人たちを粗末に扱った結果がどうなるかというと、「親にしたことは必ず、子にされる」からこそ、親の姿を自分の未来の姿と考えて、自分がして欲しい結果を作り出せるような話し合いを家族内でしなければいけないのですが、自分たちのしたいことを優先しすぎたり、自分たちの生活や金銭を優先して判断した結果、兄弟同士や義父母や義兄弟同士のもめ事が増えていますし、親子兄弟で裁判を起こすほど家族内の問題が増えているのも現状です。




この現状が、日本の進化の過程に必要かどうかをもう一度、考えるべき時期だと思うからこそ、社会全体における日本人の精神性や価値観の将来を考えると、それぞれの家族内の価値観や精神性のあり方に大きく影響を受ける部分が大きいからこそ、一人一人が自分の将来を考えるように、自分の家族や親戚のあり方を考え直すと同時に、国家が守るべき精神性のあり方を考えることが重要な時期なのではないかと思います。



私がもっとも愚かだと感じることは、「自分の苦しみ」を社会や経済や誰かのせいにし続けている大人たちの愚かさですが、その人たちの心の奥底に「愛があるかどうか」で、全ての方向性は決まると思います。


愛は、現実問題の対処法ではなく、あり方や方向性、そして、誰もが大切だと思う考え方の視点が同じ方向に向かった時に生まれる「ベクトル」のことだからこそ、個人個人の視点や方向性がバラバラなら、相手を思いやる愛だと思いながら、自分の思いを押し付ける愚かな愛情体験を続けることになりますので、国家や家族内における精神性を導く人間にはなれません。


実際問題として、家族内で起きたトラブルを周りの人たちに笑って話せるほど苦しみを愛に変えた人は良いのですが、親が亡くなったあと、兄弟や親族の仲が悪くなり、大事なことを取りまとめる人も居なくなり、「守るべき精神性の欠如」が顕著に現れてきています。




世界の歴史を振り返ると、「先祖や家族単位の精神性」を守る為に、「長男が家長制度」を大切に守り継いできましたが、日本社会における家長制の意味さえ語れない大人達が増えたうえに、次男や三男、またその嫁達の立ち位置を理解できていない大人たちが増えた結果、立場をわきまえずに発言する愚かな大人たちも増えています。




先祖たちが代々、大切に守ってきた「家長制」があったからこそ、法律的にも名字が与えられ、身分が保障され、家族という単位や家督や財産分与という考え方のルールが成り立っていることをまず学んで下さい。


大切なものを守る為の根幹的な「家長制度」をないがしろにした結果、何をどう守ったら良いのかを教えられる人が少なくなっていることが問題なのです。




親が子供を育てる時にまず教えなければいけないことは、生き方よりも「考え方や精神性」なのですが、現在の学校教育で精神性を語ると宗教思想だと言われたり、右翼的思想と見られる理由は、左翼の日教組が教育現場を混乱させた結果であり、親が子供たちに教えるべき「共通の理念」がわからなくなったうえに、「モンスターペアレント」と呼ばれる個人主義の自分勝手な親達の主張が増えたため、家族内の問題に教育現場の人間が立ち入れなくなっている点が問題なのです。




自分勝手で精神年齢が幼い親たちが、自分の価値観だけで子供を育てた結果、その子供達は「何かを守るための家族」を必死に作ろうとはしなくなり、国民一人一人が愛の国家を作ろうとは思わなくなったからこそ、1人で気ままに生きている人たちが増えているのが、今の日本の現状ですし、その数字は加速的に増えています。




私が言う「大人」とは、20才以上の社会的責任がある人たち全員のことですが、こういう社会を作り出した責任を「自らの責任」だと自覚してこそ国家の精神性を導く一人になっていくと思うからこそ、これからの時代に大切なことは、やはり、「21世紀型の連帯責任と個人主義の融合」だと思います。




学校教育でも、会社の中でも、何かの集合教育の現場でも、「連帯責任」を問われた経験をした人ならわかると思いますが、仲間や誰かの失敗を仲間全員で支える経験をした人たちは、一生、自分だけで悩む愚かさよりも、他人を信じて支え合うことの重要性を学んでいます。


「連帯責任」は、目的と方向性が明確な場合にのみ有効な手段ですが、家族内や企業内や国家において、「連帯責任」の意識が薄れていることはとても危険だと感じています。


※個人の価値観ではなく、全員が一丸となって「何かを守ろうとする意識」を持っていない国民など、世界のどの国にもないと思いますし、日本がもしそうなら、それは完全な「平和ボケ」だとしか表現できません。


「連帯責任」で学ぶことのなかには、一人ではできないことでも仲間の心がひとつになった時に、大きな物事を成し遂げる勇気や決断力やパワーを産みだすと同時に、リーダーやサブリーダーやサポーターという「役目の自覚」も体験しますので、本来なら、家族の中における連帯責任や兄弟同士や親戚同士の連帯責任について考え、同じ価値観を共有することで、家族内における問題解決の重要な知恵を学ぶ場が、家族という単位のはずです。




一人一人が経済的に自立して、自由な暮らしをしながら、自分にとって価値があるかないかで判断する「個人主義」とは相反する面もありますが、日本人の家族観は、縄文時代に育んだ「家族」という概念に加えて、弥生時代に育んだ「村意識」と、島国特有の孤立した思想観によって新しい価値観を融合し続けてきた民族だからこそ、「和の心」や素晴らしい精神性を創り上げたのですが、その精神性の中心となっているのが神道の頂点に立つ「天皇制」だからこそ、決して、日本人は天皇の存在について否定しては生きてはいけない国民なのです。


神人であった天皇を、敗戦後、「天皇も人間である」として象徴の存在にしましたが、大切な事は「天皇」というひとつにベクトルに心を合わせることで国民の意識統一を図り、日本人としての強い結束力を産み出した結果、資源もエネルギーもない小国が大国に勝利するほど大きな愛の行動によってここまで発展してきた事実を正しく理解する事も必要です。




1945年の終戦後、日本国民が望んだ自由と解放運動は、「強制や支配から逃れ、自由を手に入れること」でしたが、70年経って飛躍的に進化し、経済的にも豊かになった現代社会の悩みのテーマが、誰かや何かに対して支配されていることへ不満や不平がほとんどですので、まだまだ日本人は意識は、進化の段階へ進んでいないことを表しています。




「相互扶助」という素晴らしい言葉も日本にはありますが、その前提に、「安全を確保する為の連帯責任」という考え方があるからこそ、東日本大震災の時に、高齢の人たちが見本となって生き方を行動で示して下さいましたし、天皇皇后両陛下が膝を着いて、痛みを分かち合う行動をされた姿に多くの人が感動した理由は、日本人は、「連帯責任」という素晴らしい和の心が根付いている国民だからなのです。




敗戦時の教育で、それまでの「思想や概念の否定」という大きな負のカルマが残っている部分も理解できますが、「もう一度、日本人は自信を取り戻すことが必要な時代になっている」ことを多くの国民が気付くことが重要な時期だと思います。


もし、あなたが全てを決定できる「支配する立場」になって、「誰もが受けれてくれるような愛の家族や企業や国家をどう作るのでしょうか?」と問われた時に、ほとんどの人が、支配する側と同じ発想しか持っていないことが問題なのです。




個人の精神性や心のあり方を考える時に、必ず、「支配の学び」が付きまとうのは、人間が地球に生まれる前から持っている魂の経験の中に多くの支配された経験があるからですが、支配を享受し、受容を寛容し、「自らが全ての選択をできる立場にいる」ことを自覚したうえで、あなた自身が若い子供達に何を教え導き、どう生きるのか、大切な時代になったということを自覚して下さい。




不安から、物事を考えてはいけません。


不安には、冷静に対処すれば良いだけです。




迷いを持っている人は、今すぐ決断して下さい。


「決断して行動すれば、次の現実」が訪れますので、迷ったら、また、すぐに決断して進んで下さい。




物事を決断するには勇気が要りますが、自分のことだけを考えているなら大切な決断はできません。




「幸せの価値観」さえ、自分一人では感受できないことを理解できるならば、多くの人たちの為の決断こそ、自らがもっとも幸せになる早道だと気付くことでしょう。




では、「多くの人たちの為に生きる」とは、どういうことなのでしょうか?


この発想こそ、互いを守り支え合う日本国家の精神性の根幹であり、これからの日本をリードする人たちに共通する「愛と創造のリーダー」となっていく人たちの共通項目だと思いますが、「個人主義を超える愛」を持った大人達が、新しい「連帯責任」という価値観を持つ事で共通の精神性が産み出せれば、家族においても、仲間同士でも、会社内であって、国家においても、地球においても最も重要なテーマを学んだことになるとお伝えしておきます。




私達が、1000年期の転換期に生まれた理由が、この一点にあることを気付いた人たちは、どうぞ、家族や地域における「連帯責任と個人主義」について、話し合う場を作って下さい。


過去の良いところを学び、囚われの心を手放す勇気を持っている人たちが、次の時代を導く素敵な先輩として、若者達を導いていく時代になることでしょう。




日本国内における諸問題は、日本国民全体の「連帯責任」だからこそ、個人の尊厳を守りながら、新しい形の国家としての「連帯責任」を創造しましょう!!!


子供がいてもいなくても、結婚していてもしてなくても、そんなことは関係ありません。


今、生きているということは、誰かの子供であった訳ですから、その与えられた恩を世の中に返す意味で、あなたの人間としての尊厳が確立されるように生きることを自覚して行動して下さい。




◎希望ある日本国を創り出すのは、政治家でもなく、思想家でもなく、教育者でも宗教者でもありません。


たった一人の、普通の生活をしている皆さんが、誰よりも真剣に自分の事として考えることで「愛の心のベクトル」が生まれ、日本国を世界のリーダーへと押し上げるのです。


そういう自覚を持った大人達との出会いを私はいつも歓迎しますし、自分にできることなら協力したいと思いますので、「家族の問題を一緒に学び合おう!」という仲間の集まりには、ぜひ、お声をかけて下さい。




先人の心や先祖の思いを通して、子供達に伝えられるような考え方を大人達が共有することを心から願っております。


未来を切り開くのは、私達大人の責任です!




2015年の以降の日本を見据えて、今、なすべきことを行動しましょう!!!



2014年11月26日 地球創生 代表 吉岡学