真冬の-30度の部屋に裸で放置された体験
小学生の頃、芦別市で真冬で一番寒い「マイナス37度」になった大寒の日がありました。
4つ上の兄は、中学1年生なので学校のクラブ活動の一環で、学校から道路までの1メートル幅以上の深雪の道を掘ることを男子生徒全員が命じられたので、毎日、朝と夕方、全ての中学生は、スコップを持って夕方になるまで学校で除雪作業をしていました。
小学3年生の私は、「出稼ぎ」で家にいない父の写真だけを見て挨拶し、毎日、母と二人で過ごす時間が長かったし、学校から戻るとあまりに家の中が寒かったので、温度計を見ると、家の中でマイナス30度を超えていたので驚きました。
ストーブの火も最小限に小さくして、ストーブの前に座っていた母は・・・
寒いからお風呂を炊いたので、お前は、お風呂に入りなさい!
と珍しく優しい言葉を言うので、裸になってお風呂のフタを開けて驚きました。
なぜか、お風呂のフタをめくると、「太い氷の氷柱(つらら)」がたくさん入っていたので、「どうして氷柱が入っているの?」と聞くと、
人間の体は冷え過ぎると、必ず、急に暖かくなっくるので、その中に入って、じっとしていなさい!
と言うので、じっと、寒いのを我慢して、氷風呂に入りいました。
真水を冷やすと氷になるまでに時間がかかりますが、氷柱を入れると、一気に冷えるので、水の表面が一気に凍り、吐く息も真っ白になっていました。
でも、「いつか、暖かくなる」と言われた言葉を信じて、じっと、していると、どんどん体の感覚が無くなってきて、頭がボーとしてきました。
「もしかしたら、これで死ねるかも?」
と思ったので、ワクワクしながら、冷たく凍るお風呂の中でじっとしていました。
意識もボーとするし、手足の感覚も無くなるので、立つことさえできず、ただ、吐く白い息を見ながら数を数えていました。
「今まで生かしてくれて、ありがとうございます。これでやっと、楽になれます!」
と、ご先祖達に手を合わせながら震える体を止める努力をしていました。
息が少しづつシズらくなってきたので、「もういいか」と思ったので、冷たい水をゴクゴク飲んで、さらに、体の中を冷やしました。
目の前が見えなくなってきたので、「もう少しだ」と思っていると、急に、心臓がドクドクしてきて、身体中に血液を送り出すので、手も足も、急に暖かくなってきました。
熱い熱い!
体が焼けるように熱くなったので、「ちょうどいい温度でお願いします」と心の中で思うと、急に穏やかな暖かさになり、全身の温度が上がり、氷を溶かし始めました。
体の内側は、普通の平常体温を保ちながら、体の外側だけが高熱になったので、全ての氷柱が溶けて、お風呂の温度も上がってきました。
当然、誰かがお風呂の火をつけたのかと思って見て覗いてみると、誰もいません。
だったら、「もっと、ちょうどいいお風呂の温度まで温度を上げてよ!」と心で思った瞬間、お風呂の温度が急に上がり、いいお風呂の温度になりました。
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ふと、ドアが開き、母は私の顔を見て、「また、失敗した・・・」と呟きました。
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そんなところに、除雪作業が終わった兄が帰ってきて、寒い寒いと言うので、私の代わりにお風呂に入るよう言うと、嬉しそうにお風呂に入り、交代しました。
裸でお風呂を出てきた姿を見た母は、「お前は、そのまま隣の部屋で寝ていなさい!」と言うので、タオルを一枚だけ持って、マイナス30度の隣の部屋で裸で寝ました。
せっかくお風呂で暖かくなったのに、また、急に体が冷えてきたので、ブルブル震えながら、「今度は、自分の体と、この部屋を暖かくして!」と心の中で望むと、また、皮膚の外側だけ高温になり、部屋の温度も上がりました。
温度計を見ると、ドンドン、温度が上がり、プラス25度まで上がったので、やっと、お座りしながら、タオルで汗を拭いていました。
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お風呂に入っていた兄は、「寒い寒い!」と出てきて、「何で、お風呂の火をつけずに風呂に入れたのか!」と怒っていたので、「こっちの部屋は暖かいよ!」と呼んで、兄に部屋を譲りました。
あまりに酷い仕打ちに頭に来たので、まだ、ストーブの火を一番、小さくして体を丸めていた母の体を「意識で固定」して、一気に、ストーブの温度を上げて暖かくすると、急に、父が玄関を開けて入ってきました。
「仕事が家の近くだったので、今日だけ家に泊まる」と言いました。
玄関の前の部屋には、裸の兄がいるし、隣の部屋には暖かくなった部屋に裸の私がいるし、うつ伏せになったまま口が聞けない母は、父に「お帰りなさい」の挨拶も言わなかったので、ケツを思いっきり、父に蹴られました。
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仕事から帰ってきた父のお風呂を炊くのは、「子供の役目」なので、すぐに、お風呂に薪を焚べて火をつけて、父が大好きな温度にしてから「お風呂をどうぞ!お疲れ様です!」と言って父に入ってもらいました。
「固定した母の体」を緩めると面倒くさいと思ったので、そのまま、隣の部屋に引っ張っていき、毛布を被せて置いておきました。
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父の食事を用意するために、一気に、鍋でご飯を炊きながら、オカズ一品と味噌汁を作り、テーブルに並べました。
男3人分だけ作った料理を食卓に並べてから、父が入った残り湯に、兄と二人で仲良く入りました。
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「母さんは?」と聞いた父に、「体調が悪くて寝るそうなので、毛布だけかけて、隣りの部屋に寝かせてあげました」と言っておきました。
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男3人だけの食事は、全く会話がないし、もともと、食事の時間に会話することは「武士は禁止」だった家なので、ご飯を食べ終わると、それぞれが自分の好きなことをしていました。
私は「ご飯を作った担当」なので、全ての食器を片付けて洗い、残りご飯にふりかけをかけて、母のために台所に布巾をかけて置いておきました。
「冷えた味噌汁は体に悪い」と母に言われていましたが、もう、手作り味噌も残り少ないので、ぬるい味噌汁と、漬物を添えて、フキンをかけておきました。
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翌朝、父に聞いてみると、母に残したご飯を父が寝る前に食べたようで、母は、朝まで空腹のまま朝を迎えたことがわかったので、「固定を外す!」と思った瞬間、一気に、母の体の力が抜けてぐったり床に倒れました。
仕方がないので、朝ごはんを全員分作り直して、母のためのお粥も作り、スプーンで一口づつ、食べさせてあげました。
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起きるのが遅い父と兄は、ゆっくり起きてきたので、最後に、火を止めてから味噌を入れて味噌汁を作り、おかずも一品作って、父と兄に食べてもらいました。
男3人だけの夕食と朝食を食べた父は、
「もう母さんは、一生、起きてこなくていいんじゃないか!?」
と言うので、「それは困ります。」と言いました。
私はそれでもいいですが、兄が中学を卒業した時、父と母が揃っていないと、周りの人たちから笑われますので、あんな母ですが、もう少しだけ生かしておいて下さい。
兄と私が家を出たあとは、どうぞ、お好きに母を始末して下さい。
では、父と兄、いってらしゃい!!
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父は、笑顔で、「それもいいな?」と笑ってましたが、ここまで何とか続けてきた夫婦なんだから、「死んだ時の骨くらい拾ってあげてね!」と言うと、「まあ、それくらいはしてやるか?」と父が笑って言うので、夫婦って、長く続けるのはやっぱり大変だと思いました。
それでも、私と兄をここまで育ててくれた父母には、心から感謝しています。
命を産み育てて下さり、ありがとうございます。