母の教え:他人が嫌がることはするんじゃない!
私が小学生の頃、クラス全員と大喧嘩になり、先生が母を呼び出して私を説得しようとしましたが、私は先生の前でも母親の前でも、一切、自分の非は認めませんでした。
きっと、家に帰ったら思いっきり怒られるだろうと覚悟はしていましたが、母は家に帰ると開口一番、私にこう言いました。
「他人(ひと)が嫌がることはするんじゃない!」
母は、クラス全員を敵にして戦ったことを怒っているのではなく、どうも、私に何かを気づかせたいのだとわかりました。
しかし、私が言い張った理由は絶対に間違えていないと思ったので、私はすぐには謝りませんでした。
クラス全員と言い合いになったほど自分が言い張った理由は、「母を守るため」だったので、母だけはわかってくれると思っていたのでとても悲しくなりました。
クラス全員と言い争いをしていた時、先生に呼び出されたので、自分が言い張った理由を説明しましたが、先生にどう言われても私は頑固に謝りませんでした。
「先生にはわからないよ、「分家」がどんな辛い想いをしているのか・・・」
それで、私の母が呼び出されたのです。
揉めた原因は、「本家と分家の立ち位置について」でした。
厳しい家督制度と男尊女卑の時代なうえに、我が家は厳しい本家の配下にある「分家」なので、何があっても本家の言う通りにしなければいけないルールの家でした。
先祖ルーツが武士だからこそ、社会に対する我が家の規律は「本家のルール」に従うことが絶対だったのです。
いつも厳しい「本家からの命令」に影で涙を流していた母を何度も見ていましたし、その理不尽な本家の命令は私も怒りを覚えましたが、「絶対に、本家の悪口を他人に言ってはいけないよ」と母に釘を刺されていました。
明治28年(1895年)に富山県から北海道に移住した吉岡家は、毎年1月2日に本家に父の兄弟姉妹の約40名が、全員子供や孫を連れて集合します。
どんなに吹雪で視界がないほどの大嵐でも、馬そりに乗って”むしろ”を体に巻きつけてマイナス25度の寒さを耐えながら1km先の本家に向かいます。
40名以上が座れる大座敷には、子供の分まで一人一人に漆器の御膳が並び、上座には家督長のおばあさんが座り、次に男兄弟が年齢順に座り、男の子の最後の末席の後ろには、父の姉妹のおばさんを筆頭に女性たちが年齢順に座ります。
3階まで貫くほど恐ろしく太い柱が8本ある本家の家に入る時は、小学生になると母親とは別に、一人でおばあさんに「新年の挨拶」をしなければ、部屋には上がらせてもらえません。
小学1年生になった時、何度も、おばあさんから「やりなおし!」と怒られ、土間に降りて土下座をしてから部屋に上がっておばあさんに挨拶した記憶があるほどです。
他の家のルールはわかりませんが、鬼より怖い本家のおばあさんは、祖父が亡くなったあと吉岡家の家督を守る「家督長代理」を努めていたので、偉いのです。
午前中は、本家の家の周りの農家たちが一軒づつ夫婦が子供を連れて挨拶に来るほど、地元では名士として名が通っている家でした。
そんな我が家のルールをクラスの子に話すと、「そんなわけないだろう!本家も分家も人としては平等だろう!」と言う奴がいて、クラス全員で私が間違えていると言うのです。
母が分家の嫁として、父や叔父の理不尽さに耐えている姿を見ているからこそ、私は母のためにも引き下がれなかったのです。
それなのに母の一言は、「他人(ひと)が嫌がることはするんじゃない!」と頭ごなしに怒るんです。
小学生でも悩みました。
本当は言いたくないけど、母に、自分が言い張った想いを説明しました。
すると、母は目に涙を溜めて、こう諭してくれました。
私は、あなたの気持ちはとても嬉しいよ。
でもね、人様に迷惑をかけることは吉岡家も嫌がるし、私も困るのさ。
お前のまっすぐな気持ちはよくわかるけど、他人の嫌がることはするんじゃないよ。
いくらお前の言い分が正しくても、言い張ると誰かを傷つけることもあることも考えなさい。
本家の家の周りの農家は全て、富山県から連れてきた小作農だからこそ、本家は小作の人たちを守る役目があるのさ。
お前も言い張るだけじゃなくて、弱い立場の人たちの想いを支えてあげられる人間になりなさいね。
亡くなった本家のおじいちゃんは、本当に優しい人で、いろんな場面でたくさんの人たちのためにお金を使ったり、人を集めたりして支えたからこそ、小作の人たちに感謝されてるんだよ。
だから、お前も他人の嫌がることをするんじゃなくて、相手に喜んでもらえるような人間になりなさいね。
小学生の私にとって、これは「生きる指針」となりました。
翌朝、クラスのみんなの前で、「俺が言い張ってすいませんでした!俺が間違っていました!」と頑張って言いました。
あなたの子供たちや孫たちも、親の知らないところで親を支えているのかも知れませんよ。
大いなる知恵の母よ、ありがとうございます。