「袖の下」の意味
「袖の下」をネットで調べると、人目につかないようにこっそりと賄賂を渡すさまと説明されていますが、もともとの語源は、江戸時代にお侍さん羽織の袖の中に賄賂を入れる商人の行動が始まりなのです。
山口県の市場で行っている「袋競り」も、羽織の袖を使って、指で金額を一人一人が合図し、いくらで落札したかを公開しない売り手と買い手の信頼の競りの姿です。
人に心を教える「道」と付いた茶道、花道、書道では、感謝の気持ちを表す「心づけ」と同じ意味になりますが、「心づけ」のほうは相手も自分も納得する対価交換のあとに、もうひとつ、心を載せたお金や物を相手に渡す意味で使われます。
「心づけ」の始まりも、江戸時代のお侍さん同士のやりとりを見ていた商人が、武士同士の所作を見て、真似をして一般人に広まった結果なのです。
日本語の面白いところは、言葉の裏側に深い意味があり、どの言葉を使うかがその人の教養だと見られますし、意味がわからない人は「無教養だ」と自分から言っているほど恥ずかしいことなのです。
銀座のトップクラスのママさんたちは、こういうことができないと、一流のお客様を「おもてなし」はできません。
「おもてなし」と言えば、普通の人たちは良い意味で使うわれていますが、「おもてなし=表無し=裏」、つまり、公にできない場で使う所作や思いのことを表す言葉なのです。
その裏の言葉が、なぜ、茶道や花道の道の世界へ広まったかというと、一流の人たち同士は、自分を一流とは言わず、自分の身分や財産や先祖徳を隠して相手に心を示すため、一般人にはわからないでしょという意味で、「おもてなし」という言葉を使います。
物を渡すほうと、物をもらうほうで、言葉の意味が違う日本独自の文化は、近代の西洋文化とは違い、表の価値観だけで所作を判断したり決めつけないという、「人と人の心の繋がり」が前提にあるからこそ、生まれた言葉なのです。
だから現代のように人と人の繋がりが薄くなると、表も裏もわからず、言葉遣いも知らない人たちが増えてしまい、日本人として最も大事な思いの表現ができないわからない人たちが増えていることが残念でなりません。
若い時に、海外に一人で旅行した女性たちは口を揃えて言いますが、私は本当に日本のことを何も知らなくてたくさん恥をかきましたと言います。
つまり、親もわかりやすく教えられない人が増えている結果ですので、日本人として志がある人は、自分で正しい言葉を使って、正しい行動を示して下さい。
世界の一流の人たちは、あれだけすごい日本人が、戦後、どんどん西洋化して「日本人の気質」が無い人たちが増えていることを笑っています。
心ある人たちは、ぜひ、自分が親に学んだことや自分で勉強したことを他人に教えてあげられる人になって下さい。
どの家でも、親が言うことは「うるさく聞こえてしまう」ので、自分の子供は一番最後にして、近所や周りにいる子供たちにどんどん良いことを教えてあげて下さい。
それが、人生で先に生まれた人たち全員の役目なのです。
40歳を超えた人は、全員、恩返しの時間ですので、どうぞ、よろしくお願いします。