母の教え:おじいちゃんがくれたリンゴと梨の木の話
21歳でお嫁に来た母が、おじいちゃんにもらった「りんごの木と梨の木の話」を、私が中学生の時に教えてくれました。
母が嫁に来たのは1945年、第二次大戦の終戦9年後です。
まだ、世の中は食料不足と貧乏と混乱の真っ最中でしたので、嫁に行く娘におじいちゃんが、「りんごと梨の木の苗を1本づつ」、嫁入り道具に入れて「持っていけ!」と渡してくれたそうです。
嫁に行くのに、なぜ、「りんごと梨の木」なのかを父に聞くと、「あとでわかるから畑の隅に植えておけ!」としか言われなかったそうです。
翌年、兄が生まれました。
兄と二人兄妹だった母は、男の子の育て方がわからず、周りのお母さんたちに教わったそうですが、「みんな言うことが違う」と腹がったそうですが、家の真向かいにも男の子を二人育てた優しいお母さんがいたのでよく相談に行ったと話してくれました。
4年後に私も生まれたので、やんちゃな男の子二人の子育ては大変だったと思います。
父も母の両家とも、親が勝手に決めた結婚ですので、白黒写真を1回チラリと見ただけで相手をわからず結納と結婚式を同日に行った日に、初めて自分の夫を見たそうです。
私が生まれた年、母の父親(おじいちゃん)は、「りんごと梨の木」をもう1本づつ、手に持って突然、やって来たそうです。
戦争で片足を無くした祖父なので、松葉杖で1Kmの道のりを一人で歩きながら、手にはしっかり2本の木の苗を握っていたそうです。
急に、自分の父親が家を訪れたので母が驚いて玄関を開けると、「お前の二人目も男の子と聞いたから、きっと大きくなると腹をすかして盗みをするかもしれんから、これを植えて食わせとけ!」と言って、帰ったそうです。
電話もない時代に、バスを乗り継いで一人でやってきた松葉杖の父親に、「家に少しでも入って休んで行って!」というと、「俺が家にいたら、お前の夫は俺に気を使うだろう。だから、俺は帰る。」と言って、玄関先でクルリと背を向けて帰ったそうです。
「生まれた家の苗字を捨てて嫁いだ娘が、嫁ぎ先に迷惑をかけてはいけない」という気遣いの素晴らしいおじいちゃんでした。
母の実家も岩手県で武士でしたし、父の実家も富山県で大きな武士でしたので、相手に迷惑をかける生き方は絶対に許さないのが信条の家でした。
中学生にもなると、毎日、一食一号飯を一人で食べても、すぐにお腹がすくくらい成長が早かったので、秋に食べられる「りんごと梨の木」には本当にお世話になりました。
今は、食べてくれる人もいないりんごの実は、餌の無い鳥たちの冬の餌として母が大切に与えています。
自分の父親の背中を見て、「自分のことを大切にしてくれた親の思いを返せる人間になるために、どんなに苦しくてもはを食いしばって生きると心に誓ったのさ」と、母は無言で帰る父の背中に手を合わせたと教えてくれました。
おじいちゃん、本当に、ありがとうございます。
私も「人様に頂いたご恩を返せる人間」になれるように日々、精進して頑張っております。