吉岡一門のお爺さんの前で初めてご飯を食べた時
小学生の頃から母の実家へ毎週のように尋ねた理由は、戦争体験をした祖父から当時の話を詳しく聞くためでした。
いろんな実体験を聞きましたが、今日は、中学1年生になった時の体験談をご紹介します。
いつものように、祖父の家を母と訪ねると、お昼が近かったせいか、台所では従姉妹と叔母さんが忙しそうに昼食の用意をしていました。
祖父の家は、祖父と祖母、長男夫婦と娘が3名の7名家族ですので、食事の用意はいつも大変そうでした。
お昼ご飯の前に帰るつもりで母と行ったのに、家に入って祖父に挨拶すると、すぐにこう聞かれました。
おい、マナブ。お前は、幾つになったんだ?
「はい、この家の従姉妹と同じ、今年で中学1年生になりました。」
そうか、よしわかった。
今日は、お前は俺の前で、昼ご飯を食べて行け!
お前の父親には、俺から電話しておくから心配するな!
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そうは言っても、いつも、僕も、母も、台所でご飯を食べさせてもらうのに、「なぜですか?」と祖父に聞くと、こう答えました。
昔は、12歳、今の中学1年生になると「元服」と言って「一人前の男」としての所作を覚えていないといけないものだ。
そんなことは、母親からとっくに教わっているはずだろう!
「はい、母から昔はそうだと聞いています、が・・・なぜ、今日は、僕がおじいちゃんの前で食事をする役目なのですか?」
今日は、お前の親父がいない。
ということは、次の「家長代理」は長男息子になるが、お前の兄貴も今日はいないので、その次の「家長代理」は、お前になるだろう。
「はい、そうなりますね。」
だから、今日は、お前が、吉岡家を代表する男として、俺の前で飯を食え!いいな!
「はい、わかりました。」
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台所では、私の母も義理のお姉さんの手伝いをしていましたが、ギョッとした目でこちらを見ています。
祖父は、自分の娘(母)を睨みつけて・・・
当然、ちゃんと躾をしているよな?
今日は、そのテストだ!
と笑って言いました。
母の実家の祖父も会津藩出身で、戊辰戦争の中、命からがら逃げた一族なので、食べ物を食べられる喜びを噛み締めているからこそ、食事の時の「所作」には、とても厳しいのは家族全員が知っています。
母は自分の娘ですが、実家に戻っても「苗字が違う」ため、自分の実のお母さんに甘えることもできず、居心地が悪い、兄の家族と一緒に、ご飯を頂くしかない立場なのです。
半泣きになっている母を横目で見ながら、台所では「客人用の食器」が用意され、祖父と私の食器が「対」になるように置かれます。
普通の家族なら、大皿で食べれば済むものを、一品づつ、小さい小鉢に入れて、きれいに盛り付けして出さないと祖父は、「やり直し!」と声を荒げますので、女性たちは真剣です。
母も、こういう時には「手を出してはいけない立場」なのは、実家であっても親子であっても、苗字が違う人間は、
「他人の家の所作に手を出してはいけないのが常識」なのです。
こういう「所作」は、同時に、兄嫁である義理のお姉さんを立てるためでもあるからこそ、じっと、洗い物だけを担当するのが、嫁に行った「賢い娘の所作」なのです。
食事の巡視ができると、祖父は、まず、私にこう言いました。
いやあ、吉岡の、今日は、はるばるお越し下さり、ありがとうございます。
本当は、御膳で出したいところですが、なにぶん、私たち一族は、「逆賊扱い」された会津藩ですので、何も持たず、必死で逃げてきた北海道で、やっと農業を営むことができました。
自分たちで作ったお米と、お味噌汁と、少しばかりの野菜ですが、どうぞ、お食べ下さいませ。
完全に、孫の立場ではなく、嫁に行った吉岡家の代表としての挨拶を、祖父は中学1年生の私に「口上(こうじょう)」を述べて下さいました。
こうなると、こちらも「返し口上(かえしこうじょう)」を言わなければ失礼にあたりますので、精一杯、私はこう言いました。
いえいえ、岩渕の御家長様。
本日は、このような立派な食事をご用意して頂き、ありがとうございます。
いつも、たくさんのお知恵を教えて頂いているうえに、食事までいただくとは思っていませんでしたので、今日は、手土産も持たず、大変失礼いたしました。
また、次回、このようなの場があれば、少しでもお口に合う食べ物を持参しますので、今日は、遠慮なく、お食事を頂きたく思います。
ご家族の皆様、この素晴らしい食事のご用意までしていただき、本当にありがとうございます。
中学1年生で、この「返し口上」が言えたのは、私の父が祖父に会った時の口上を横で覚えていたのと、時代劇で、殿様に対する商人の「返し口上」を何度か見て覚えたからです。
自分の「返し口上」が、あっているのか?失礼になっていないのかをテストされているのはわかっていたので、祖父の一言をじっと、待ちました。
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あっぱれ!
素晴らしい「返し口上」を賜りまして、こちらとしても嬉しく思います。
ただ、一言だけ付け加えさせて頂くと、できれば、男同士の口上のやり取りの時に、女子供を褒めるようなことを言ってはいけません。
それは、「座」が違う人間をこの座に招き入れる時に使う言葉なので、今日は二人だけで食べたいからこそ、いただいた勿体無いお言葉をお返しいたします。
さて、困った!!
「返し口上」のさらなる返しの言葉を知らないからこそ、じっと座っていると、祖父は「お辞儀をしなさい」と小声で教えてくれました。
「返し口上の返し」の場合は、無言で頭を下げることが「最高のお返し」だと、この場のおかげで学ぶことができました。
「男同士の口上」が終わったということは、食事を食べて良い許可が降りたことになりますので、台所にぎゅうぎゅう詰めの7名も、やっと食事ができると安堵していました。
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食事をしながら祖父は、
「よく、あんな素晴らしい口上を覚えたな?」
と褒めてくれましたが、映画や時代劇を見て覚えてことを正直に言うと、「やはりな!」と言いました。
お前が返した口上は、本当の武士同士でしか使わない特殊な「返し口上」だからこそ、俺も驚いたんだぞ。
俺の孫は、みんな女ばかり3人なので、俺が教えることは何もないんだ。
「一人くらい男を産め!」と息子の嫁に言ったのに、なかなかうまくいかんもんだなあ。
おじいちゃん、それだけは、おじいちゃんでも無理な相談ですよ。
男か女かは、神様が決めることだから、人間がどうのこうの言える問題ではないと思いますが、いかがですか?
それは、よく知っている。
だがな、武士の家には何があっても「男の子」を産まないといけないのだが、わしは一人しか男を残せなんだ。
だから息子には、他に、下り女(側室、妾)を作っても良いと金も渡したのに、こいつ、遊ばんのよ!
もっと、たくさん遊んで、男の子をたくさん残せば、永遠に財産を末代まで残せるのになあ・・・。
そういうことですか・・・
男の子にこわだる理由は、「子孫に財産を残すため」なのですか?
そうよ、だからこそ、正式な男の苗字を守る立場の「本妻」は大事なのさ。
でも、妻以外にもたくさん男の子を産ませておけば、男同士の戦争があっても、殺し合いがあっても、何人かは残るだろう。
いいか、世の中は結局、男と男の「陣地とり」なんだぞ!
だから、男は何があっても、養子をもらってでも、「男の子」を残さんといかんのさ。
お前の母さんは、二人、男の子を産んだので、俺は、吉岡家の婆さんから褒められたぞ!
そういうことだ!
全ての財産も家督も、「男の苗字」にくっついてくるものだからこそ、女しか産めない奴は、「男潰し、家潰し」と言われて、離縁されたものさ。
嫁に来て、飯を食わせて養ってやっても、男の子孫を残せない女は、俺の時代でもすぐに離縁されたぞ!
お前の時代になるとどうなるのか、見ものだのう。
食事をしながらですが、マジで、危険な会話なのは、台所にいる女6名の女性たちの厳しい目線を肌で感じました。
でも、祖父は悪びれずにこう続けました。
でもよ、やっぱり、「母は最高だよな!」
男にとって、母は女ではなく、「神様」だから尊敬したくなるよな!
お前も、そう思うだろう!
はい、思います!「母は神様です!」
だから、俺は女しかいない孫たちには、「早く神様になれよ!」とだけ言うのさ。
それが、男が女に俺が教えられる最高の教えさ!
人生で最高の食事の席は、想像以上に貴重な学びをさせて頂きました。本当に、ありがとうございます、おじいちゃん!