母の教え:男は「帯に短し、襷に流し」
「男は本当に、帯に短かし、たすきに長いし」だねえ、と言うのが、母の口癖でした。
それを言われた小学生の私は意味がわからず、色々調べましたが、よく分かりませんでした。
近所のいろんな大人たちに聞いてみると、「確かに、あんたの家は、男の子二人とお父さんの男ばかりだから、きっと、お母さんは、中途半端で気が利かない男の不満を口にしたのさ。」と教えてくれました。
男って、気が利かない、役に立たないものかと悩みましたが、だからこそ、少しでも母の役に立ちたいと強く思いました。
母は、「和服の仕立て」を冬の内職にしていましたし、私はそのお金のおかげで大学にも入れてもらえ、仕送りをしてもらいました。
兄が高校を卒業して、家を出て札幌に就職した時、私は中学3年生でしたが、秋の収穫が終わると、父親は出稼ぎへ行くので、11月から春までは、私と母の二人暮らしになります。
学校から家に戻ると、大好きな和服の仕立て仕事をしている母に、「ちょうどよかった、これに袖をとおして羽織りなさい」と、仕立て途中の着物に袖をとおさせて、柄の配置を母は遠くから見て、また、手直しをしていました。
中学から高校まで相当ひどい反抗期だった自分が、母の役に立っているのか不安になったので、母に聞いてみたことがありました。
すると母は・・・。
「あんた一人でも、いてくれると、ありがたいよ。
ニイちゃんが、家を出ていった時は、本当に悲しくて毎日、泣いていたけど、田んぼを増やすのに借金したので、お金が無いから、父さんも出稼ぎに出ることを決めたので、私は我慢するしかないのさ。
あんたに、どんな態度や悪口を言われても、喧嘩する相手がいるだけ「まし」だと、一人住まいの婆さんに言われたのさ。
だからね、高校卒業するまで2年しかないけど、それまでは家に居てね。
私もさすがに、一人は寂しいと、この歳になって初めて気づいたのさ。
だから、文句を言いたい時は、はっきり言いなさいね。
私も文句は言うけど、腹は腐ってないので、二人しかいないんだから、お互いに正直に生きようね。
41歳で、一人ぼっちになるのだけは嫌なんだ。だから、頼むね!」
長ランを着て、リーゼントをして、世の中のすべての人を睨みつけていた自分でも、少しでも母の役に立っていることが嬉しかったのですが、自分の葛藤の感情が抑えきれず、言いたいことをいつも、ぶつけていたあの頃に、「ごめんなさい」と「ありがとうございます」を伝えたいと思います。
偉大なる母よ、本当に、ありがとうございます。