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戦争仕込みの往復ビンタ 8 傷痍軍人に届いた一通の手紙

終戦記念日のある年、私は母の実家の「祖父の家」に一緒にいました。

テレビでは「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」が流れていて、天皇陛下のお言葉を聞きながら、祖父は涙を流していました。

母たちは台所でお昼ご飯の準備をしていたので、私と祖父二人で「玉音放送」のテレビ見て、泣いていました。

「じいちゃん、この時に、じいちゃんは、何を思ったの?

戦争で日本が負けることはわかっていたと思うけど、じいちゃんみたいに賢い人たちは、最後まで日本が勝てると信じている人たちに対して、どう言ったの?」

何も言えるわけないだろう・・・。

周りのみんなは「嘘の新聞記事」を信じているし、どこどこの国の軍艦を何隻、沈めたと新聞には書いてあるが、仲間の軍人たちに連絡すれば、すぐに事実はわかるので、俺は黙って見ていたさ。

そうしたらな、あの堂垣内尚弘知事や北海道の議員たちがやってきて、「今の本当の戦況を教えてくれ!」と頭を下げて頼むのさ。

奴らは政治家なので、日本が負けたあと、どう、この北海道民や日本を導くかを真剣に考えていたので、仕方なく、「傷痍軍人同士だけのホットライン」の電話回線を使って、実際の戦況を聞いて教えてやったのさ。

このホットラインはな、人をたくさん殺して帰ってきたあと、頭が狂ったり、周りに迷惑をかける軍人がたくさんいたので、お互いに苦しい時間を過ごした同士で支え合うことが必要だと、「天皇様のご指示」で開通した特別な電話なのさ。

いつ、どれだけ長く話しても電話代はすべ無料だし、この回線だけはGHQにわからないように隠していると、「軍の内部の人間」から教えてもらったぞ。

だから、いつでも、どんなことでも、軍の内部情報や、政治家たちの嘘もすぐにバレるから、最も政治家たちが恐れた電話回線なのさ。

俺たち戦争体験者は、「戦地だけの暗号」があってな、その暗号を言わないと、交換手たちは回線を繋いでくれないので、常に、本当の最新軍事情報を持っていたのは「傷痍軍人だけ」なのさ。

そのことを嗅ぎつけて、堂垣内直弘たちがやってきたので、目の前で電話して実際の戦況を聞いたが・・・でもな・・・、知らないほうが良かったと、あとで思ったぞ!

人間は弱いもので、「真実」を全て受け入れる覚悟がない奴ばかりだから、多くのバカ者たちは、「玉音放送」を聞いて泣き喚いているだけさ。

でも、俺も、議員たちも先に「実際の情報」を聞いていたので、次に何をするべきかを話し合って決めたのさ。

そうしたらな、堂垣内直弘が、こう言うのさ。

戦争には負けたけど、日本人の魂が負けたわけじゃないので、いつか必ず、「日本人の魂を鼓舞するための集まり」をするので、ぜひ、岩渕さんも来て下さい!

と、堂垣内尚弘が言ったのさ。

仕方がないので、その連絡を待っていたが、戦後は、全ての情報も手紙も書面も、GHQに全て検閲されるので、ちょっとでも「日本人を戦いに向けさせる発言」をしたら、即、捕まるし、文書は全て焼き払われて、家族の学校の教科書やノートも全て焼き払われたんだぞ!

子供が親の言うことを教科書の端にメモする奴がいるかと思ってか、親族一族、全ての紙という紙を全て焼き払い、年賀状も手紙も一切、無くなったから情けない、と仲間の軍人から電話が来たことがあったほどだ。

俺は、一冊だけ「当時の教科書」を隠して持っているがな・・・。

だから、堂垣内直弘が戦後のどのタイミングで集まりができるか、毎年、この「玉音放送」の前後を楽しみに待っていたのさ。

そうしたら、戦後の5年目か6年目に、「一通の手紙」が来たのさ。

ほら、これだ!

お前にだけには、読ませてやる!

婆さんには、こんな手紙があることも教えてないし、一度も、触らせたことはない手紙だ。心して、読めよ!

封筒の裏側には、「金色の天皇家の御紋」があり、中を開いてみると、当時の総理大臣の名前が書かれていて、最後の「日本国」と書いてある横には「天皇家の御紋」が入っている文章が一枚、手渡されました。

手紙は綺麗な和紙を使っていて、封筒もよく見ると、菊の御紋が「すかし」で入っている特別な封筒でした。

この封筒は、「軍人に対してのみ発送される封筒」なので、郵便局の職員もハンカチに包んで持ってきたほどです。

実際に、私が見た手紙をここに公開します。

👉この度の戦争に行かれた皆様(PDF)

この手紙を開いて見ても、どこにも「日時も開催場所」も何も書いてないだろ。

その日時を書くと、GHQが潰しにくるので、詳細は、傷痍軍人だけの「ホットライン」で伝えることにしたのさ。

これは、俺のアイデアだけどな!(^^)

こんな文章一枚でも、息子が死んでいった遺族にとっては貴重でありがたいものなのさ。

だってな、総理大臣の名前がちゃんとあるわけよ!

アイツ(総理大臣)も一緒に戦争に行った仲間だから、GHQが何と言っても、自分の名前を出して良いと言い張ったくらい、根性がある奴なのよ!

でも、さすがに「天皇様のお名前」を書くと、日米平和条約を破ることになるので、俺たちはこの「一枚のカード」を入れることで、天皇様と心は同じだと感じ取れるのさ。

この戦争はな、一人の決断によって死んでいったのは日本人だけじゃなくて、アメリカ人も、フランス人も、ヨーロッパの全ての国々から日本を潰すために来たし、反対に、それまで領土支配されていた「アジアの全ての国の人たち」が、「自分で日本軍の軍服」を自分たちで縫って、「自分の意志」で戦争に参加してくれたんだぞ!

戦争が終わった時、ソイツらの手作りの軍服を脱がして焼き払ってから、「日本人は、アジア諸国全体の若者を強制的に戦争に参加させた」と嘘のデマを流して、裸の若者たちの死体を山積みにして写真に撮らせて新聞に載せたんだぞ!

あとからゴチャゴチャ言う共産党のバカ者たちもいたが、日本人は一切、「アジア諸国に戦争応援を依頼しなかった」ことは、軍人なら誰でも知っている事実さ。

俺も毎日、全てのテレビや新聞を見ているが、本当に呆れるほどマスコミはGHQの言いなりなので、GHQの検閲に引っかからない文書で書いているからこそ、この「一枚の天皇様のカード」を心に入れて思いを繋いだわけよ。

当然、天皇様は、俺たちの気持ちをわかっているからこそ、名前は書けないが、「天皇家だけが使う封筒と用紙」を手配して、軍人の俺たちのために使わせてくれたのさ。

でもな、「実際の式典」に行ってみると、壇上で話している国会議員たちの話しの途中で、軍服を着たGHQと憲兵がやってきて、それまでの話しをブチ壊す発言をしたのさ。

もう、俺も頭に来たので、腹に隠し持っていった短刀で、アメリカの軍人を刺し殺そうと思ったが、この片足じゃ戦えないので、仲間にそれを託したのさ。

体がでかい一人の男と数名が、壇上のアメリカ兵に走りよって首をしめて、俺の名前が呼ばれたので、ゆっくり松葉杖で壇上に登って行って、「最後の生き残りの日本人の代表」として、生き残った人間たちの思いを、思いっきり言葉にしてやったのさ。

そこに来ていたのは、生き残った軍人と、命を落とした息子の母親たちだから、戦争がどれほど苦しいものだったのかを、俺は正直に話してやったのさ。

新聞やテレビで言っているのは、ほとんどが左寄りの奴らに文句を言われないように嘘を書いているだけだし、戦時中は、軍の命令で、一切、現地の状況を日本国内にも、家族にも言ってはいけないルールがあったことも話したさ。

そして、終戦記念日の1週間前、軍事関係者たちがどうやってこの戦争を終わらせるのか話し合った内容も教え、最後に、天皇様が、

「自分の責任で始めた戦争ですので、私の責任でこの戦争を終わらせます。」

、と一言、言われた言葉をみんなに伝えたのさ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・みんな、泣いたさ・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・

誰も愚痴も言わないし、「真実」は言葉を失うほど壮絶な力があると、この時、よくわかったのさ。

そして、「老兵は死すのみ」と最後の言葉を吐いて、俺は壇上を降りて、婆さんと家に帰ってきたのさ。

この「式典」があったことも、どんなことが起きたかも、一切、マスコミには報道されなかったし、きっと、ホテルの関係者も全て口封じされたはずだ。

だってな、もう、何十年も経ったのに、まだ、その式典があったことさえ、記録にはないんだぞ!

だから、俺はお前にこの事実を伝えたことで、もう「俺の役目」は終わったと思うんだ。

だから、ほら、その「天皇様の黒色のマークが入った金色のカード」は、お前にやる!

このカードはな、「傷痍軍人だけにしか渡されないカード」なんだぞ!

高級将校たちには、「黒色の背景に金色の菊花紋」を書いてあるカードを渡されるが、軍人は、チリに散った命だからこそ、真反対の「金色の背景に黒色の菊花紋」で、死んでいった「英勲」を讃えるのさ。

だから、人生でたった一枚、天皇様から頂いた御印なんだ。

だから、お前にそれをくれてやる!

煮るなり焼くなり、売るなり、好きにしろ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いいえ、じいちゃん、これは爺ちゃんが死ぬまで、僕が預かります。

これは「天皇様の御霊」とも思えるし、「爺ちゃんの分け御霊」とも感じるので、爺ちゃんが死んだ時に、棺桶の中に入れさせてもらいます。

それまでは、爺ちゃんの「命の代償」として、僕が勝手に死なないための「お守り」にもさせてもらいます。

ありがとうございます、おじいちゃん!

この話は、母も誰も知りません。

横で聞いていた祖母でさえ、その「天皇様の御印」は触らせないし、手紙も読ませてもらえなかったと言っていました。

終戦後、5年間は、アメリカ軍が日本の全ての情報を管理し、国の運営や国家予算の使い方にも口を出しました。

アメリカ政府は、財閥解体と同時に、日本政府が持っていたお金のほとんどを10年間で奪う計画も進んでいたため、誰も政治家で力とお金を持っている人はいなくなりました。

同時に、軍人全員に、「5年間、一切、家族にも、戦争のことを話してはいけない」という「戒厳令」を出したので、一言でも誰かに話すと、すぐに憲兵がやってきて、逮捕された時代です。

アメリカに都合が悪い文章や記事はすぐに燃やされましたし、関係書類さえ20年間、国立図書館の奥の倉庫に隠され、さらに10年間はその所在さえ口にすることは許されませんでした。

なぜ、私がこんなことを知っているかと言うと、実際に、当時の東大出のエリート官僚(キャリア)の人から聞いた事実であり、30年間は、日米平和条約の裏取引の書類に記載されている機密事項の内容は、公開も閲覧も禁止されたことを直接、ご本人から聞いたからです。

GHQが日本にやってきた時、一番最初にしたことは、国立図書館と国会議員事務所の全ての書類や、閣僚と官僚が交わしたメモまで全て焼き払われました。

天皇家や皇族たちの家にも押し入って、全ての書類を焼き払いました。

しかし、30年を経た1975年以降、当時の閣僚や官僚たちに指示が出て、「燃やされた文章をもう一度、再現することができるかどうか?」を確認したところ、全員、東大出の記憶がいい人たちなので、全てを思い出して、自分で書き起こした資料が、今も、国立図書館の「あかずの扉」の中に眠っているそうです。

私がこの事実を公開している理由は、まだ、戦争体験をした昭和一桁以前の人たちに、本当の思いを語る「最後の時期」だと感じているからです。

あなたのご家族が、もし、戦争体験をしていて、まだ、生き残っているのなら、どうぞこのブログを読ませてあげて下さい。

命をかけて戦って「散った命」と、命が残って「生き延びた軍人」の皆様のご活躍によって、今の日本がございます。

今、生きている人たちのご先祖となった皆様たち、どうか、この日本という国が永遠に存続しますよう、ご家族をお守り、お導き下さいませ。

これが昭和天皇から頂いた本物の「傷痍軍人用カード」です。

実物は、「祖父の棺桶」に入れました。

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