戦争仕込みの往復ビンタ 11 天皇様から直接お礼
「大東亜戦争」が終わったあと、祖父が「傷痍軍人」なのは、誰が見ても足が1本無いのでわかりやすいですが、銃弾で内臓を取られたり、耳が聞こえなくなった人たちは、一般人から見てもわからないので、とても辛い立場にあったことを聞かされていました。
だから俺はな、傷痍軍人のソイツらに、
いつでも不安になったら電話をかけて来い!
と言ったので、いろんな奴から「悩み相談」を受けるようになり、知らないうちに俺の噂が広まって、日本全国の軍人たちから電話がくるようになったのさ。
誰かが俺を紹介して、また知らん奴が俺を紹介するので、本当に朝から晩まで忙しかったぞ!
夜中に、「眠れないから」と電話をしてくる奴もいれば、日の出と共に電話をかけてくる奴もいるのさ。
まあ、戦時中は、起床ラッパのせいで、その時間になると自然に目が覚めるので辛くはないが、昼飯を食ってる最中にも電話をかけてくるので、右手で飯を食いながら、左手で受話器を持つのが面倒だから、どんぶりご飯の上におかずと味噌汁をかけて、一気に食うようにしていたのさ。
だから、うまいもまずいも、味はよくわからんかったなあ。
毎日、朝から晩まで電話をかかってくるので、最初に引いた電話回線は「俺専用の電話」にして、家のための電話は「別回線」を引いたほど、毎日、毎日、いろんな知らん奴が電話をかけてきたのさ。
そんなことを3年間もしていた頃、やたらと言葉使いが上品なので、「お名前は?」と聞くと、将校たちだったり、中将や大将たちも電話をしてきたんだぞ!
俺は陸軍なのに、海軍や空軍の将校たちも電話してきたので、「当時の軍部の状況や政治の裏側」も、よく理解できたのさ。
陸海空の軍隊は、「先に手柄を立てるため」に、お互いを敵のように思っていたので、今でも仲は良く無いはずだ。
でもな、将校以上は、お互いの軍事情報を公開しあって作戦を練るので、陸海空のそれぞれの動きは、テレビやラジオで言っている推測情報じゃなくて、俺はこの椅子に座っているだけで、「世の中の全部の正しい情報」が集まるようになったのさ。
そうしらたらな、電話してきた奴の中に、軍人から政治家になった奴がいてよ、ソイツがまた知らん奴を紹介するので、軍人と政治家の両方が、俺のところに電話してくるようになったのさ。
ある意味、俺たち「傷痍軍人ホットライン」は、GHQにバレない話しができるので、時々、「政治家が他の政治家に伝えてくれ」と言って、とんでもない情報を俺に話すこともあったのさ。
家族に見られても聞かれてもまずいし、メモにも取れないし、家族が知ると問題になる内容だったので、時間と場所を暗記して、伝えて欲しい政治家たちに「伝言」したことが何度かあったんだ。
そんなある時、「知らない人」が電話をしてきて、とてもゆっくり丁寧な言葉で話すので、確か、どこかで聞いたことがある声だと思っていたら、「天皇様」だったのよ。
驚いたぞ!
まさかと思っていくつか質問したが、もう、さすがに俺はこの椅子の上で土下座して、受話器を耳に当てながら、ハイ、ハイとしか言えんかったぞ。
何を言っているのか興奮しすぎてよくわからなかったが、あとから別な奴が電話してきて、「天皇様が、あなたに会いたいと言っている」と言うのさ。
そんなことを言われても、俺みたいな人間がどうやって東京まで行くのかわからんし、GHQの検閲は、電話、手紙、無線と全てを傍受していたので、「俺が天皇に会う」なんてことになったら、「また、戦争を仕掛けるのか?」とGHQが用心して会えなくなるに決まっている」と言ったのさ。
終戦後は、天皇様には誰も直接、面会できないようになっていたし、軍事関係者は特に会えないようになっていたので、唯一、会えるのは、「傷痍軍人」だけだと、天皇様の側近も知っていたのさ。
でも、こんな田舎からどうやって東京の皇居まで行くのか聞いたら、
「大丈夫です。富良野の元の軍事基地に1機だけ民間機の模様に塗り替えた軍用飛行機があるので、こちらから◯月◯日〇〇時にお迎えに上がります」
と電話を切ったのさ。
さあ、困ったさ!
天皇様に会うのに、どんな服を着ればいいかを婆さんと話したが、俺は戦地からそのまま引き上げたので、当時のボロボロの軍服しか持ってないが、「それでいいなじゃないか?」と決まったのさ。
そうしたら、予定の日時の1時間前に富良野の軍司令官たちがやってきて、将校が着る軍服を持ってきて、「これを着て下さい」と言うのさ。
俺は傷痍軍事だから「二級特進」でも「軍曹」の階級だと言ったら、
「これは天皇様、直々のお言葉で、あなたにこの軍服を着て欲しいと言われた。」と言うのさ。
俺は、「軍曹」だから、それは着れない!と言うと、
実は、もうあなたの階級は「将校」になっているし、これは「全て天皇様の御命令」なので、こうして勲章と賞状を持ってきました。だから、すぐに着替えて下さい。」と言うのさ。
「俺の体のサイズがあるのか?」と言うと、「あなたの体は大きいと聞いているので、移動中の飛行機の中であなたの軍服をきれいに治す針職人が3名一緒に同行しますので、気にしないで袖を通して下さい。」と言ったのさ。
天皇様の御命令は、今でもすごいものだと感心したが、俺の体に合う松葉杖は無いので、この「銃剣」を忍ばせた重い木の松葉杖で、天皇様に会って、一人でご挨拶してきたぞ!
どこのホテルかどうかはわからんが、ものすごく立派な屋敷の裏口から曲がりくねった通路を通って行った先のドアを開けると、その部屋に「天皇様がお一人」で立っておられたのさ。
隣の部屋には、陸軍、海軍、空軍のトップの将校たちが並んで待っていて、皆、俺が電話で兵隊たちを支えてくれたことを感謝していたわ。
俺は自分にできることがこれしかないし、国から傷痍軍人の恩給をもらっているので、当然だと思ってやっただけだと言うと、そうしたら、ソイツら将校たちが俺に「お金」を渡そうとしたので、俺は、断ったのさ。
俺は今の「傷痍軍人の恩給」で十分、生活できているし、家族も問題なく育っているので、そんな気を使われた方が迷惑だ!と言ってやったのさ。
そうしたら、将校たちが笑って、こう言っていたのさ。
さすが、岩渕さんですね。
私の部下たちも最初は、泣き言を聞いて欲しくて電話したのに、最後は必ず、「お前の心がたるんでいる!」と怒られたと言っていました。
でも、そのおかげで泣き言も言わず、家族のために働けたと、みんながあなたにお礼がしたいと言って寄付してきたお金なので、どうか、受け取って下さい、と言うのさ。
俺は、そういう「思いがぶら下がった金」は大嫌いなので、自分達で飲んで食って使って下さいと言って、突っ返したさ。
天皇様も色々なお礼の品を用意していたようだけど、俺は、たったひとつ、「天皇様の御紋が入った金杯を一つだけ下さい」と言ったんだ。
その理由はな、俺たち軍人は、明日、死ぬと覚悟した時は、誰とも言わず、湯呑みに酒を入れて持ってきて、お互いに乾杯したのさ。
だから、俺は自分の家の湯呑みでいいが、「死んでいった奴らのために、一つだけ金杯を下さい」と天皇様にお願いしたのさ。
天皇様は、「欲しいだけ贈ります」と言ってくれたが、
「アイツらはもう肉体が無いので、そんなに飲めないので、まとめて「ひとつの金杯」で飲ませてやるから大丈夫です」
、と天皇様に言って、他の金杯はお返ししたのさ。
あとから将校たちから聞いたが、あれは全部、「本物の純金」だと聞いたけど、俺は別に金も金塊も欲しい人間じゃ無いので、欲しい人にあげて下さい、と言ってやったさ。
だってな、俺は「農家」だぞ!
金のスコップなんてもらっても、農家の仕事はできないだろう!
「金の馬」なら働くかもな???(^^)
まあ、こんな話をしたので、お前にだけは見せてやるわ!
婆さん、あのもらった軍服と、勲章をマナブに着せてやってくれ!
それと「金杯」も、持たせてやれ!
高校生になると、ほぼ爺ちゃんと同じ身長になりましたが、胸板の厚さと筋肉の太さが違うので、将校の軍服はブカブカでした。
「小さい純金の金杯」を手に持ってみると、100gもあるそうで、とても重かった思い出があります。
自分の家族にも、誰にも見せていない将校の軍服と勲章、それと天皇様から頂いた「純金の金杯」・・・。
祖父の葬儀のあと、母の兄に「全て売り払われた」と、母から聞きました。
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私は祖父は、大東亜戦争で戦った全ての軍人たちに感謝された人間ですが、「傷痍軍人ホットライン」のコードネームは本名では無いので、誰もそのコードネームが「岩渕安治さん」とは知りませんし、このことを口にする人は将校以外は、誰もいませんでした。
二度、天皇様にお会いした「祖父の体験談」を抱えたまま28歳になった時、祖父の葬儀に出席しましたが、私に近づいてきた元軍人さんが「あんたが、マナブ君かい?」と声をかけてきて、祖父を東京まで送った富良野のパイロットだったことを、そっと教えて下さいました。
私は祖父のおかげで、本当に素敵な人たちにたくさん会う人生を経験しております。
そして、祖父が大切にしてきたものは、今も、私は同じように大切にして生きています。
どうか、誰も語ることができない「本当の戦争の真実」を自分のご先祖たちかもしれないと思って、手を合わせて感謝して下さい。
この世で出会う人全てが、ご先祖のご縁でつながり、出会っています。
どうか、「神」と呼ばれる存在たちよりも、「ご先祖」を大切にして生きることを子供達に教えてあげて下さい。
全ての真実を公開し、あなたが生まれてきた本当の意味や目的に気づくために、このセミナーを受けて目覚めて下さい!!