戦争仕込みの往復ビンタ 12 傷痍軍人ホットライン
祖父が「傷痍軍人ホットライン」で毎日、日本中の軍人さんの心の迷いを支えていたことは、ご理解頂けたと思いますが、ひとつ面白いエピソードも聞いたのでご紹介します。
毎日、朝から晩までひっきりなしに電話が鳴る毎日が続いたある日、「3時間待って、やっと繋がった!」と数名の人から言われた祖父は、これは何か電話局に問題があると思って、「芦別市の電話局」まで自分の足で行った時の体験談を話してくれました。
毎日、死にたい、苦しい、辛いと泣き言を聞いてやらないと、自殺したい軍人がたくさんいたのは、ベトナム戦争(1955-1975)のアメリカ兵も同じで、長くベトナムに送られたアメリカ兵は毎日、仲間が殺される中で戦って心を痛め、半狂乱になる人や、仲間を銃で撃ち殺す人が出るほど、心の平安がなくなることは二度、戦争に行った祖父だからこそ、よく知っていました。
だから、いくら芦別市の電話交換手に電話しても出ないので、タクシーを飛ばして、電話局に行き、責任者と話をしたそうです。
急に片足の老人がやってきて、「俺は、傷痍軍人である!電話が繋がらないので、現場を見せろ!」と言ったので、2階にある電話交換手の現場を見せてもらったそうです。
女性だけの現場を見て驚いたのは、床に布団を敷いて、寝ている女性と、食事をしている女性と、電話交換手の業務をしている女性が約20名ほどが、「24時間体制」で働いていたそうですが、あまりの現場のひどさに、祖父は頭にきたそうです。
しかし、この電話交換手の問題は、「芦別局だけの問題」ではないと気づいた祖父は、「ちょっと、俺に自分で電話をかけさせろ!」と責任者に言って、女性だけ20名以上、いる部屋に入って行ったそうです。
「男女、部屋を同じゅうせず!」という時代ですので、女性だけの部屋に入るのには、祖父でもビビったと言っていました。
当時の電話は「国営」でしたし、敗戦後の通信関係の場所は、全て「GHQの管理下」にあったので、急に松葉杖の傷痍軍人が部屋に入ってきたので、しばらく女性たちは直立不動で口もきけなかったそうです。
「女たちは、業務を続けろ!」
「傷痍軍人ホットラインの電話回線は誰が扱っているのか?」と聞くと、女性全員が手を挙げたそうです。
全員が手を挙げた意味を一人の女性が説明してくれたそうですが、一人が扱う電話の回線を繋ぐジャックの穴は「36個」あるそうで、一本の電話が鳴った時、一人の女性が後ろで立っていて、誰がどこに回線を繋ぐか指示を出し、他の女性たちは「全ての回線の内容」を聞きながら、問題があれば憲兵に報告する義務があったそうです。
つまり、友人や家族に内緒で戦争の話をした人間は、すぐに地元の憲兵に報告されて捕まりますし、その回線を担当した女性は、「密告者」として褒美が出たので、その褒美をもらいたくて、女性たちは真剣に電話の内容を聞いていたそうです。
その実態を知った祖父は頭に来て、当時の「内閣総理大臣」に直接、電話をして・・・、
俺は北海道芦別市の「岩渕」である!!!
お前たちの立場はよく理解しているが、電話交換手の業務は今、疲弊しているので、現場の問題の改善を提案するから、そのまま担当大臣に伝えて、俺に電話をよこせ!
俺は今、芦別市の電話交換室にいるので、いつまでも待つので、すぐに電話をかけさせろ!
と叫んだあと、一人の女性が持ってきた椅子にドッカリ座って、電話を待ったそうです。
数時間、その椅子に座りながらじっと待っていると、女性たちは緊張して作業ミスが増えたので、「俺は隣の部屋にいるので、電話がかかってきたらすぐに呼べ!」と伝えて、部屋を出たそうです。
電話交換室の中には、女性の下着も干してあるし、奥には「せんべい布団」が数枚敷かれていて、休んでいる女性もいるほど、厳しい労働環境だったそうです。
3時間ほど待った時、「電話繋がりました。」と呼びに来たので、祖父はその電話の相手にこう言ったそうです。
お前は誰か!?
ワシは、北海道芦別市の「岩渕」である。
階級は、傷痍軍人の二階級特進で、軍曹である!
ワシの名前を聞いておらんのか!この馬鹿者!
お前の上司をすぐに呼んでこい!今、すぐにだ!
と怒鳴りつけて待っていると、東京にある国営の「日本電信電話公社」の責任者が出たので、総理大臣から指示が出ていることと、現場の業務の改善提案をしたそうです。
電話を取り次ぐ女性だけの部屋は、狭い部屋に寝泊まりしているうえに、その場所は、俺たち兵隊の兵舎よりも現状が悪いので良い仕事はできないはずだ。
だから、これから言うことをすぐに指示を出し、問題があれば私に電話しなさい、と指示を出したそうです。
1、まず、すぐにパイプ椅子で良いから全員が「座って」作業ができるようにしてあげなさい。
2、電話を繋ぐ作業をしている女性の横では、ゆっくり寝られないはずなので、眠る女性と食事をする女性たちの部屋を別に作りなさい。
3、一人が受け持つ電話回線の穴の数が多すぎるので、かかってきた電話回線を差し込む穴と配電盤を入れ替えて、後ろで女性が指示を出さなくても良い状態にしなさい。
4、今の日本の状況では仕方がないことだが、これからは働く女性たちの現場を働きやすく改善しないと、女性が疲弊するので、人員を2倍にして、労働時間も短くしなさいと「命令」しました。
「日本電信電話公社」の責任者は「わかってはいるんですが、それだけのことをすぐにはできないので半年、いや、1年はかかるのですぐには現場の体制を変えることはできません。
出来次第、順次現場を改善していきます!」と答えたそうです。
「仕事ができない人間ほど、言い訳が上手い」ことを知っている祖父は、「日本電信電話公社」の責任者にこう言ったそうです。
お前は今、「自分の立場」がわかっておらん!
今、ワシは内閣総理大臣に電話して、お前につながったのだ。
その意味がわからんから教えるが、俺が言うことをすぐにできない場合、お前のは即、クビになるし、お前の家族も路頭に迷うように、あらゆる年金や貯金を全て没取することもできるのだが、お前はそれでもすぐにやらないのか?
やらないのか?できないのか、ハッキリ口にしろ!
お前がすぐにできないのなら、お前の首なぞ、すぐに切って代わりの者をお前の椅子に座らせてやる!
官僚も、国会議員も、軍人たちも、俺のことを知らん奴は誰もおらん!
お前みたいな非国民は人間は、今から家族一緒にシベリア送りにでもしてやるか!と本気で脅したそうです。
奴らは、ほとんど「官僚の天下り」なので、頭はいいが、現場に出たことがない東大出ばかりなので、自分の身を守るめなら何でもするさ。
見てろよ!とお茶を出してくれた女性に話すと、すぐに電話鳴ったそうです。
かかってきた電話の相手は「日本電信電話公社」の北海道の責任者で、その人間も「天下り」の人間だとわかったので、すぐに北海道の軍司令官に電話して、「今すぐ現場に来い!」と言ったそうです。
当時は、札幌から車を飛ばしても3時間以上かかる場所ですので、言い訳をしそうになったので、お前はもう来なくて良い!
「ワシがお前は現場対応能力が無い」と上司に伝えてクビにしてもらうわ!と言って、電話を切ったそうです。
電話を切って、芦別局の責任者に「おい、お前!ここから軍の司令部につながる無線があるはずだから、だせ!」と言って、緊急用の軍事回線の無線で、北海道方面本部の責任者にこう話したそうです。
ワシは、芦別市の岩渕である!
ワシの名前は聞いておるか?
はい!承知しております!
日本中の軍人の悩みを聞いてくれて、とても良いアドバイスをしてくれるから、何か困った時は連絡しろと、日本中の軍人には連絡が入っています。
誰だ!そんな馬鹿なことを言った奴は・・・。
いつか、そいつを見つけて殺してやるが、問題は今、この「日本電信電話公社 芦別局の現場」にある。
廃校になった学校の椅子と机を40セットほど持ってきて、布団もお前たち士官用のフカフカの布団を10組、すぐに持ってこい!
それと、通信兵の頭が良い奴を3人ほど、ここに連れて来い!
今すぐにだぞ!ワシは、ここで待っている!
と言って無線を切ったそうです。
ものの1時間もかからず、ヘリとトラックを使って、全てのものを用意し、隣の大きな会議室を女性たちが休む休憩室にして、電話回線の現状を改善するよう指示を出しました。
通信兵のプロ3名は電話回線のことで頭を抱えていましたので、父はすぐにこう指示を出しました。
俺はお前たち軍人の「泣き言」を朝から晩まで聞いている芦別市の岩渕である!
今の問題は、全体の回線をどうするかではなく、「傷痍軍人ホットライン」の回線だけ、俺の家の電話に直接、つながるようにするだけだ!さあ、すぐにやれ!
・・・・・・・・(どうして良いかわからず無言)
お前たちは、それでもプロか!?
じゃあ、俺がやる!!!
そう言うと祖父は、自分で配電盤の裏に行き、立っている20名につながっている「傷痍軍人ホットライン」の配線を全部引っこ抜き、
この全ての回線をひとまとめにして、俺の家の電話専用に回線を繋げ!
今も問題はこれで解決するので、あとはお前たちで、問題が起きないようにうまくやれ!以上!
ワシは家に帰る!誰か、ワシを家まで送れ!
ヘリコプターは、うるさいから使うなよ!
・・・・・・・・・・・・・・・・
30分もしないで家に着いた祖父は、お茶を一杯入れてから電話をかけて、総理大臣に作業指示の内容を伝え、「全ての部署の問題の責任はお前が取れ!」と伝えてから、
今日、芦別局でやったことをすぐに日本中の電話を受ける場所の改善命令を出し、すぐに改善しろ!これは、上官命令である!と言って電話を切ったそうです。
日本全国の電話交換手の業務改善には、1年半、かかったそうですが、当時、まだ、女性に優しくすることを良いとしない時代でしたので、祖父の作業指示は、あり得ないスピードで業務が改善されたと、あちこちの電話交換手の責任者からお礼の電話があったと教えてくれました。
仕事っていうのはな、上から指示を出しても、問題は解決しないものだ!
問題が起きたら、すぐに現場へ行って、自分の目で見て、今、できる最大の努力をすぐにやれば、ほとんどの問題は解決するものだ!
俺たち軍人は、毎日、人が死ぬ中で働いているので、誰も言い訳なんてしないし、できるわけがない!
だから、そういう仕事の仕方を日本人全員がやれば、この国は、もっと早く成長して、もう一度、戦えるまでになるだろう。
でも、あの全ての回線を繋いだせいで、24時間、電話がなるので、眠るときは電話線を引き抜いておいたほど、朝か晩まで電話は鳴りっぱなしだったぞ!
まあ、俺みたいは「傷痍軍人」にできることはあんなことくらいだが、女性たちが働きやすい環境を作らないと、これからの日本の男たちは居場所がなくなるぞ!
お前も「女」には、気をつけろよ!
本当に、すごい祖父だと、また改めて知った体験談でした。
戦争から戻ってきても、「軍人の命」を影で支え続けた祖父の働きには、頭が下がりました。
自分にできることをするのは、当然だ!
と教えてくれた祖父のおかげで、この国を守るために、私は自分にできることをさせてもらっています。
あなたもどうか、自分にできることでいいので、国を守るために真剣に生きて下さいませ。