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「吉岡家の頭領」・まわりの人の目が辛かった子供時代

大きくなってからわかったことですが、自分の家が周りの人たちから、「自分や、自分の家がどう思われているのか?」は、幼稚園の頃にはよくわかりませんでした。

昔からのお金持ちの家もそうですし、市議会議員や権力者や、地域の人たちの生活に影響を与えた家の子供達は、周りの子供達と同じには育てられません。

でも、学校に行ったり、幼稚園に行けば、「親の仕事」なんて関係ないからこそ、自由に伸び伸びできるはずですが、実際は、幼稚園の時から「周りの大人の目」を見て育つ子供になってしまいます。

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有名な芸能人や役者の子供もそうですし、地域に影響を与えた市長や、代々、続くお金持ちの子供たちは、永遠に周りの人たちから「蔑視」されますが、そういう経験している人はとても少ないと思います。

反対に、ど貧乏のドン底まで落ちた家族の子供は、小根が曲がり、お金持ちが大嫌いだし、いつも、誰かの悪口や陰口を口にしていますので、その家の子供も親と同じに陰口を言うのが普通の子供になります。

家の中の問題で、「他人に知られたくないこと」はどの家もありますし、世間に言えない経験や血筋の人の家族は、絶対に、家族のことを正直には言いません。

 

今の時代は、資産100億円以上のお金持ち、医者、政治家、官僚、ヤクザの家の子供たちは、きっと、同じ思いで育っていると思います。

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人は常に「その人の人間性」を見るのではなく、家族がやったことや、社会に悪い影響を与えたことだけを言いますが、本人を目の前にすると真反対の嘘を付き、上手にご近所付き合いをしています。

人前で、自分の失敗や恥を正直に言えない人間は、他人のことをとやかく言いたがりますし、どんなに素晴らしい人に見えても、必ず、「陰で悪い噂」を流している張本人だと思って下さい。

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あまりに美しく生まれた人も、子供の頃からいろんな大人たちに誘惑されたり、イタズラされますし、親に言えない経験をしている人たちにも、私はたくさん会いました。

ほとんどの人は、一生、死ぬまで言えない体験を抱えて生きていますので、定期的に、自分の心の中で葛藤が起きてしまい、爆発的に誰かを責めたり怒ったり、離婚したり、幼児虐待をする人もたくさんいます。

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「我が家の教え」は母が教えてくれましたが、子供の頃から変わりはなく、「本家にだけは恥をかかせるな!」が合言葉のようになっていました。

父が元服した13歳の時に、本家の家長である「自分の兄」と日本刀で「果し合い」の真剣勝負して勝った父は、結婚して「分家」になるまでは、家の中で「家長」として扱われたので、「早く家を出たい」と思ったそうですが、「剣豪 吉岡道場の頭領」としての自分は、小作農家たちから「頭領」と呼ばれることをとても嫌っていました。

さらに、兄に勝った果し合いの報告を富山県のおおもとの吉岡家の本家に、祖母が電話をすると、こう言われたそうです。

 

今日、お前は、本家の兄貴に真剣勝負で勝ったらしいな、おめでとう!

だからこそ、最後に伝えておく大事なことがある。

今、富山県に残っていた全ての吉岡家は、田んぼも売って、金を使い果たしたので、最後の1軒だったワシも富山県を出ていくので、「剣豪 吉岡道場」の家長は、お前になる。

金も何も残ってはいないが、どうか、最後まで、吉岡家の一族に恥じないように生きてくれ。

後醍醐天皇に頂いた「ご領地」も、国の指導で「小作農」が自分の田んぼにしてしまったので、誰も、急に、農家なんてできるわけがないだろ!

だから、富山県の吉岡一族は、全て家も土地も、田んぼも畑も売っぱらってしまったので、お前が最後の「剣豪 吉岡道場の道場主」であり、同時に、「吉岡一族の総家長」となったので、あとは、よろしく頼む!以上

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このあと、父は、泣きながら毎日、田んぼにも出ず、日本刀を振り回し、「吉岡道場の家長」として恥じない剣豪になるよう、夏も、冬も、毎日、裸で日本刀を振り回し、家の中に入っても、両手で素振り1000回をしていた人なので、全く農家の仕事はしなかったそうです。

だから、母が一人で、田んぼに馬を連れてって田んぼを耕し、水を入れて「しろかき」をしてから、一人で田んぼに入って田植えをして、ヒエ取りをして、稲刈りも全て自分一人でやったそうですが、あまりに収穫できたお米が少なかったので、コメ1対水9の割合のご飯が毎日だったと教えてくれました。

だから、私の4つ上の兄貴は、子供時代から学校には一切、行かせてもらえず、小学校も、中学校も1日も行っていませんが、父も母も同じように学校には行っていないので、誰も、そのことを口にはしませんでした。

だから、父も母も兄も、「同級生」と遊ぶ喜びも知らないですが、私も小学生までは、一切、学校の授業を受けていないので、我が家の家族は全員、他人の教科書を借りて一人で勉強した人たちばかりなのです。

 

晩御飯が終わると、「さあ、勉強の時間だ!」と父が言い、ランプの周りに集まって、それぞれ違う教科書を自分で勉強したそうですが、学校に行っていないので、誰が「自分の同級生」かも全く知らないまま、大人になったそうです。

 

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4年後に、私が生まれた時は、父も田んぼを手伝うようになり、自分一人で「微生物の研究」をして北大やいろんな学者に会いに行って微生物の研究成果を話し合い、毎年、「無農薬」で育つコメの種の品種改良をしていたので、北大の研究者たちも、毎年、我が家の田んぼにやってきて、田んぼから微生物を採取していき、その学者は、学術発表をして国に表彰されたそうです。

その「おコメの微生物」の研究者たちが、北大の敷地に自分たちで田んぼを作り、いろんな種類の苗を交配してできた美味しいお米が、今の「北海道の美味しいお米」の原種となったそうです。

無農薬で食べられる「最高の美味しいお米と野菜」を作ってくれた両親の努力には、頭が下がりますので、高校になって家を出るまでは、農作業を毎日、手伝いながら学校に行かせてもらいました。

お前だけは、学校にちゃんと行って、まともな人間になってくれな!

私たちが学校へ行けなかった分、大学にも行かせてやるから、絶対に、世の中の人のためになる仕事に就きなさい。

それが、私たち「吉岡一族」が小作農たちにできる「恩返し」だから、よろしく頼むね!

 

そう言われて私が1982年に選んだ会社は、庶民の食べ物を大量に販売する売り上げ日本一の「ダイエー」です。

でも、魚は一切、取れない山の中の生活だったので、私が食べられる魚は、「開きホッケ」とカレイだけなのは、今も変わりはありません。

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父が楽しみにしていた毎月の近所の農家の「定例の飲み会」でも、必ず、遅れて行くし、日本刀を見せびらかす時以外は、周りの人たちとの接点を極力、取らないようにしていたからこそ、私が小学3年生で、「次の頭領」に選ばれた段階で近所の大人の全ての目つきと対応が大きく変わりました。

 

学校へ行っても、街を歩いても、

あの子は、あの「吉岡家の頭領」になったんだとさ!

仲良くしておいたら、きっと、娘をもらってもらえるかもしれないし、どんな形でも子供を授かれば、一生、食いっぱぐれがないから、あんたの娘も早く、あの子とセックスしてもらいなさい。

と、街中で誰もが噂される子供時代だったので、「一日も早くこの街から出て行きたい」と思いながら過ごした高校時代の思い出は、ただ、辛かった毎日でした。

 

高校の同級生と話しても、子供時代の体験で一致することは全くなく、二世代上の祖父や祖母の人たちの体験と話が合うほど、世の中の価値観や常識とは違う体験をしてきた私だとご理解下さい。

 

だからこそ、戦争に行って亡くなった人たちの家族の思いがわかるからこそ、くだらないテレビの情報には頭に来るのです。

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岡山県の「岡山理科大学」を選んだもの、実家から遠いのと、「数学だけは答えがある世界」だったのと、人の思いに振り回される世の中が大嫌いだったからです。

大学を出て社会人になる時、過去の思いを全て捨てて、自分が先にキャッチする相手や土地の思いも丸無視して生きないと、「大人の嘘ばかりの世界」で生きて行くことはできませんでした。

会社で出世しても、給料が上がっても、偉くなっても、我が家は誰も褒めてくれませんし、労働組合中央執行委員の仕事で大きな仕事を成し遂げても、我が家の人間は、誰も褒めてはくれません。

人より目立つことをすると、斬り殺されそうになる家なのです。

だから、自分が感じたことも、やったことも、「誰にも言わない」と決めて生きてきたからこそ、「同じ人に言えない思い」を持っている人はすぐにわかります。

人に言えない思いを抱えている人は、必ず、心や思考がマイナスになるからこそ、誰か一人でもいいので、「自分の思いを受け止めてくれる人」を見つけて下さい。

私もそうやって、ここまで生きてきました。

「自分だけの世界」なんてあるわけ無いのに、あると思っている人は「孤独の住人」になってしまいますよ!

 

孤独の住人を「鬱」と呼んだり、排他的に扱う人が多い世の中になりましたが、多くの大人たちが人に言えない思いを抱えて生きているからこそ、どうか、まず、あなたが誰かの思いを受け止めてあげる人になって下さい。

それが、この日本人を元気にする力になるのです。

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