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【防衛省】岡山理科大学の学生時代に作ったコンピューターの国防特許がノーベル賞に登録されました。

1977年に、「岡山理科大学 理学部 応用数学科」に入学する時、「数学課程」と「情報処理課程」の二つの選択科目がありましたが、現在は、「応用数学」と「情報数学」になっています。

▶️岡山理科大学 理学部 応用数学科

当時の大学のパフレットに「情報処理過程」は、「西日本最大のホストコンピューター」 を設置してあると書いてあり興味もありましたが、「数学」は物理も科学も化学も全ての分野において「基礎」となる学問だから、まずはしっかり「数学」という学問を知りたくて入学しました。

数学科の選択科目の中に「情報処理」という科目が週に1時間だけ勉強できるとわかったので、講義を受けて興味を持ちましたが、2年生になると「情報処理」の科目は無くなり、学科の変更もできないと知ったので、情報処理の先生に交渉して、特別に1年間だけ授業を受けさせてもらいました。

 

当時は、日本にアメリカ式のコンピューターが導入されたばかりで、専門的な大学や研究所や防衛省にしかない時代ですし、全てのコンピューターを学んだ人たちは、一度、アメリカに行って学んだ学問を日本に広めることが目的の時代でした。

・・・・・・・

今のようにパソコンの電源を入れてボタンを押せば、勝手に画面が立ち上がるものではなく、専用の紙に「パンチマシン」で穴を開けてから「専用の機械」で読み込ませると、別室の演算処理機(コンピューター)が識別して画面に表示されて、同時にプリンターで打ち出されるという、とても時間がかかる「コンピューターシステム」でした。

自分で打ち込む「パンチマシン」に多くの学生が並んで待っていたので情報処理の先生に、

「結果的に、画面に表示させたいのであれば、最初からキーボードをパソコンに繋いで打ち込めばすぐに表示できるんじゃないですか?」

と聞くと、これが「アメリカ式の最新機器だから文句を言うな!」と言ったので頭に来ました。

「アメリカまで行って勉強した人が、このレベルなら先生は意外に頭が良くないのですね!」

と言うと殴りかかってきたので、手を押さえ込んで捻ると痛い痛いと半泣きになりました。

「先生、僕も先生が学んだコンピューターの本を勉強したいので、アメリカで学んだ本を貸して下さい。」

と言うと、数冊の英語で書かれた本を持ってきて、「専門書なので、どうせ、わからんと思うが、1週間だけ貸してやる、1週間後には必ず、返せよ!」と言われたので、家に帰り、すぐに読みました。

和英辞典も買ったので調べましたが、コンピューターの「専門用語辞典」はなかったので、翌日、先生に専門的な辞典を2冊借りて、一気に4年間分の教科書を全て読みながら自分で和訳して理解しました。

教科書の半分以上は、「情報処理学の理論」だったので飛ばして読み、実際に、コンピューターで動かすために必要な▶️FORTRAN」という「プログラム言語」の教科書が一番、面白かったです。

教科書に書いてある理屈はとても簡単で、英語で「作業指示」を入力するとそのとおりに動くのですが、始まりの「start」や終わりの「end」をいちいち入力しないと次の作業が打ち込めないという「バカみたいな入力方式」だったので、翌日、情報処理の先輩たちに聞いてみました。

実際に、岡山理科大学を卒業して企業に勤めている人に聞いてみるとプログラム言語は、▶️COBOL(コボル)が普通だし、アメリカでは「C言語」や「マシン語」もできているそうだと話してくれたので、余計に大学で学ぶ「情報処理学」に疑問を持ちました

それなら自分でわかりやすいコンピューター言語を作ればいいと思ったので、自分なりの「吉岡プログラム」を作り、入力する「作業指示書」も自分で書いて、翌日、先生に持っていき、実際に、コンピューターに打ち込んでいいかを聞きましたが、先生は打ち込みたい数式を見た時、「これはいかん!」と怒りました。

こんな「円数連続計算」の数式をコンピュータに計算させたら、火を吹くか、爆発するぞ!

お前はテロリストか?

と言うので、「貧乏農家の息子がテロリストになるわけないじゃないですか!」と答えました。

「じゃあ、明日また新しい演算処理用の数式を持ってきますので、見て下さい」

と言い、翌日、新しい数式を見せると、また、「コンピューターが爆発する」と言うし、さらに新しい提案書を見せると、

「これは俺には理解できん!

お前が東京理科大学の俺の教授に電話して聞いてみなさい!」

と電話を繋いてくれましたが、結局、教授に説明しても意味が分からず、教授も怒り出しました。

 

「数学の先生って、怒りっぽいんですね」

と言うと、また顔を真っ赤にして殴ろうとしたので、「もし、私に手を出したら、両腕を使えないようにしますので、やめて下さい」

とその場を納めました。

・・・・・・・

キーボードで入力したものがそのまま画面に映るようにするには「そのための作業指示プログラムを打てばいいだけだ」と思って作ったのに、そのプログラムが理解できない人ばかりなので、実際にアメリカから買ったパソコンの「ハードプログラムの解説書」を見せてもらい、もっとわかりやすいものを作ってやろうと遅くまで数冊の英語の専門書を読んで理解しました。

「電源に関するハードプログラム」や、いろんなプログラムの説明が書いてある中に、「紙を読み取った機械のデータを処理するプログラム」があったので、1台だけ他のコンピューターと切り離して「オフライン」にしてもらい、火を吹かないようにした私が書いたプログラムを先生に入力してもらうと、キーボードから画面に直接、文字が表示されました。

おい!これは!ノーベル賞ものだぞ!

オーバーな人間だなと思って放っておくと、

これをアメリカに特許申請すれば、必ず、お金をもらえるので俺が申請してもいいか?

と言うので、「どうぞ、お好きに!」と言い、1台だけオフラインのパソコンを「私に使わせて下さい」と言うと、

このパソコンはお前にやるから、いつでも好きなだけ打ち込んでいろ!」

と私のオモチャになり、毎日、学校に通って暗くなるまで新しいプログラムを作りました。

・・・・・・・・

大学1年生の時に買った全ての学科の教科書は1週間で読んで理解したので暇だし、新しい「コンピューター言語」をいくつも作り、入力してどうなるかを試しました。

「二つの点」を表示させて、それを繋いで「線」にして、さらに、点を増やして三角形や四角形にしたり、最後は「限りなく円に近づくプログラム」も作りました。

次に、平面の図形を「立体表示」するための「8本の線を自由自在に動かすプログラム」を作り、回転させて遊んでいると、後ろで先生が驚いていて、

「また、これもアメリカに特許申請してもいいか?」

と聞くので、「先生はアメリカの回し者」ですか?」と聞きました。

「いやあ、すぐ金をくれるのはアメリカだし、今の日本でこんなものを理解できる人間はいないので、国内特許は取れないからアメリカに売るのさ!」

と言いました。

それは、つまり、日本人が開発した技術をアメリカに売ってお金儲けするという意味ですよね?

じゃあ、教えませんわ。

俺は、日本を騙して戦争させたアメリカが大嫌いなので!、と答えておきました。

・・・・・・

暇な時間は、現実世界と同じ「3次元空間で自由に画像を動かせるプログラム言語」を考えて完成したし、縦横高さの「3つの違う空間プログラム」を重ね合わせて同時に画面上で動かせる「立体3次元複合プログラム」も作りました。

これはきっと専門職の人たちには必要だと思ったので日本にいる「日本人の専門家」だけに公開していいと先生に伝えて使えるようにしたので、今のバーチャル「3D立体動画の基礎」になっていますし、建設図面を設計するCAD(キャド)の3D映像の基礎にもなっています。

・・・・・・

私はダメだと言ったはずなのに、この先生は、勝手に私のプログラムをいくつかアメリカに特許申請をしたようですが、新しいプログラムが理解できないアメリカ人は、白人男性3名を岡山理科大学に送り込み、授業中の私を呼びつけましたが、

「日本を騙して、戦争を始めさせたアメリカ人とは一切、話ません!」

と言い張り、帰ってもらいました。

 

あと聞いたのですが、白人2名は、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の情報処理官で、もう1人はアメリカのキャリア官僚だと言っていました。

私をアメリカに招待するので、「もし来てくれれば週に1万ドル出す」と先生にも言われましたが、帰ったアメリカ人の心を読むとアメリカに行くと、「一生、帰ってこれない場所に入れられる」とわかりました。

当時の為替レートは、1ドル130円くらいだったので、年収7000万円くらいになると言われましたが、即座に断りました。

「日本の頭脳をアメリカに売り渡してたまるか!」の精神です。

・・・・・・・

アメリカ人が帰ったあと、日本の「防衛省の幹部」の人が岡山理科大学にやってきて、また、授業中の私を呼びつけました。

「先ほど、アメリカの国防総省の人間が数名、来たと思いますが、何を聞かれました?詳しく教えてください。」

 

名刺も見せずに、突然、現れてもあなたを信用できないので、兵隊を連れてくるか、あなたの身分を証明できるものを見せて下さいと言いました。

私の父の兄弟も「第二次世界大戦」で死んでいますし、母方の祖父は、二度、戦争に行って、右足を失った「岩渕安治」ですので、あなたが何者かをはっきり教えて下さい。

祖父は、「北海道北部方面本部 富良野第二中隊所属 陸軍大佐の「岩渕安治」ですが、ご存知ですか?」尋ねると、こう言われました。

・・・・・

(部下に向かって)敬礼!!!

これは、大変失礼いたしました。

あの有名な傷痍軍人で勲章をたくさんもらった岩渕安治さんのお孫さんでしたか・・・

私が対応できる人ではないので、「統合幕僚会議議長(現在の統合幕僚長)」を呼んできますので、しばらくお待ち下さい。

部下の兵隊さんがお茶を出してくれて、先生の部屋でタバコをふかして待っていると、綺麗な軍服を着た紳士がやってきて挨拶されたので、立ち上がって敬礼してきちんと礼儀をしました。

北海道北部方面本部 富良野第二中隊所属 陸軍大佐の岩渕安治」の孫の吉岡学と言います!

どうぞ、よろしくお願いいたします!

統合幕僚長は、敬礼したあと、直角に腰を折ったまま、頭を上げませんでした。

 

どうしたんですか?早く話をして下さい。

すいません、私、感動して嬉しくて泣いているので頭を上げられませんので、しばらくお待ち下さい。

・・・・

私の父も祖父も戦争に行き、生き残って帰ってきましたが、「岩渕安治」さんは陸軍にとって「伝説の人」なので、そのお孫さんを通してお会いできることに感無量なのです。

今日は、アメリカ国防総省の人間があなたに会いにきたと聞いたので、どんな情報を与えたのかを教えて欲しくて参りました。

私に詳しく教えていただけますか?

・・・・・・・・

わかりやすく説明したのですが、「全く分からない」と言って、「防衛省の情報処理担当官を2名をヘリで呼ぶのでしばらくお待ち下さい」と言われました。

お茶菓子も出してくれるし、お茶も入れ直してくれたので、統合幕僚長と二人でタバコをふかしながら、祖父から学んだいろんな戦争体験談をお伝えしました。

・・・・・・・

私の苗字の「吉岡」は、あの日本刀を振り回して世の中の治安を守っていた「吉岡一門の頭領」の苗字で、日本で最初に「吉岡」を名乗った一族ですし、私が最後の吉岡一門の頭領です!」と言うと、また、統合幕僚長は立ち上がり、敬礼をしながら涙を流していました。

 

もう、私では無理かもしれません。

あなたとお話しできる人間は、首相か天皇陛下しかいないと思いますが、ここにお連れしましょうか?

 

「僕はそういう堅苦しいのが嫌いなので、そのまま座って話をしましょう」と言いました。

・・・・・・・

やっと、ヘリコプターで着いた防衛省の情報処理の専門官2名に話しても、「何を言っているのかわかりません」と言われました。

・・・・・

統合幕僚長:「私たちにはまだ理解できませんが、吉岡さんが開発したこのプログラムは、どれくらいの価値があるんでしょうか?」

まあ、使う人にもよりますが、国防レベルで使えば、「アメリカの攻撃の防御」にはなると思います。

だって、アメリカで勉強した岡山理科大学の先生も、東京理科大学の教授も、私のプログラムの意味が分からないと言っていましたもの。

ということは、今の段階でアメリカに持って行っても理解できる人がいないからこそ、私に「週1万ドル」も渡すと言ったようです。

このプログラムが、日本のためになるなら、どうぞ、使って下さい。

それと、もっと現場で働いている頭の柔らかい若い人なら理解できる人もいると思うので、こちらへ呼んで下さい。

私が作った「吉岡プログラム」をご説明しますし、自分で新しいプログラムを作る方法も教えます。

できれば、頭のいい綺麗な女性が好きですので、お願いします。

 

統合幕僚長)ちょうど、今年、防衛大を出た頭が良くて綺麗な女性がいるので、彼女と現場の人間をここに連れてきますので、もう少し、お待ち下さい。

あなたがこの時間で受けるべき授業もあると思いますが、大丈夫ですか?

はい、大丈夫です。もう4年間の授業は全て教科書を暗記したので、授業を受けるのは単位のためですから全然大丈夫です。

・・・・・・・

実際にやって来た女性は綺麗でしたし、頭も良くて私が言うことを理解できましたが、現場のトップの男性は「全然、説明がわからん!」と怒り出し、私の教え方が悪いと怒って帰りました。

女性の方は、簡単に自分でプログラムを組む方法まで教えて理解したので、防衛省に戻った彼女から電話がきました。

「6ビットで動かしているコンピューターを何台も壊したので、壊さない方法はありませんか?」

と聞くので、12ビットにする方法と、24ビットにする方法と、48ビットにする方法と「数学の基礎」を教えると、

「私はバカなので、東京理科大学に入り直してから防衛省を受けます」

と言いましたが、あとで防衛省を退社したと統合幕僚長に教えてもらいました。

・・・・・

防衛省で使えるような新しい「防衛プログラム」を自分一人で作って、防衛省の最も大きなホストコンピューターにインストールすると、ある場所につながっていることがわかったので、統合幕僚長から、

「これは国家秘密事項なので、こちらの書類にサインして下さい」と、守秘義務契約書にサインしました。

統合幕僚長は、私が開発した186個の特許を全て国防特許にして非公開にしたし、お礼のお金も一切、もらわなかったので、お詫びの印に、スウエーデンの「ノーベル賞審議委員会」に掛け合って、私の数式と結果を全て見せたそうですが、たった一人だけ理解できる人がいたおかげで、「物理学と科学」の二分野で認められ、「ノーベル賞」のメダルを二つ頂きました。

絶対に、マスコミには出さない条件付きなのですが、公開義務が規則にあるので、スエーデンのノーベル博物館(Nobel Prize Museum)の壁に刻印されている「Manabu Yoshioka Japan)をお探し下さい。

この二つのメダルも、20年前に裏切り者の財務省官僚に「記憶を消す薬」を飲まされたので、捨ててしまいました。

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私が開発した「吉岡プログラム」と512ビットまで処理スピードを上げる理論も全て「国防特許」になったので、世の中に出ることは決してありません。

 

アメリカのWindowsや、イギリスのMacが、どんなに綺麗な▶️OS(オペレーションシステム)を作ったとしても、世界のハードコンピューターは、「64ビット」で止まったままなので、世界のコンピュータは太刀打ちできないようにしてありますので、日本の皆様、どうぞ、ご安心下さい。

さらに、日本のある場所で、誰も開発できないと言った「512ビット」まで上げるための特別な研究施設を作ってもらい、「理論の実証実験」も成功しましたので、100年経ってもどこの国も作れない▶️日本独自のCPU(中央演算処理装置)開発して量産化を始めていますので、「世界はこれから日本のCPUを買うしかなくなります」し、「国防特許のCPU」なので、どの企業も国も権利を売買できないようにしてあります。

私自身は、日本の財務省官僚の裏切り者の鈴木◯康に「記憶を消す薬」を飲まされたので、今、この仕組みを聞かれても詳細は思い出せないので、私を捕まえても意味はありません。

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さあ、日本を「第三次大戦」に巻き込むために動いている世界の人たちよ!

あなたの国の「ICBM爆弾や他の爆弾」を日本に打ち込んでご覧なさい!

打ち込んだ国の全ての爆弾が同時爆発しますので、世界の首相たちと軍事関係者は、30年前に国連本部で約束した「世界平和同盟」の裏書にあるように、日本に賠償金を永遠に払って日本国民を守って下さい!

ICBM爆弾

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