【政治家】1990年、塩川正十郎さん(塩爺)が、会いに来てくれました!

1990年に、どの政治家も怖がる正統派の政治家として、「塩爺(しおじい)」と呼ばれた塩川正十郎さんが、わざわざ、私に会いに来てくれました。
なぜ、私に会いに来たのか理由を聞くと、自民党の政治家2名と、社会党の政治家1名と、日銀 三重野康総裁が、「絶対に会っておいて損はない男」と言われたことが気になっていたようで、突然、私の携帯に電話が来て、「今からそちらにお邪魔していいですか?」と言われました。
場所は、東京の「浜松町の隠れ料亭」で、各省庁の官僚たちと毎月、定例会を行なっていた場所に直接、やってきてくれました。
「塩爺」は、しばらく皆さんの話を聞きたいので、いつものようにやって下さいと言われました。
参加者は少ない時でも6名はいるし、多い時は各省庁の課長までいたので15名前後なので、各省庁別に15分間だけ時間をあげて、「質問は5分以内、私が答えるのは10分だけ」というルールで、国家運営の問題を話し合っていました。
時々、現場の問題を聞くために、キャリアではない普通の官僚も数名呼びましたが、全ての省庁のキャリア官僚だけの会合は、とてもありがたいと言ってくれました。
(国土交通省)→毎年、道路と橋の予算が足りないので、どうにかできませんか?
大きな橋の予算は通常20年から30年前に予算をつけたものが多いので、今の現状に必要な橋かどうかを確認して、地元民が望んでいない橋は通した予算を今年の予算につけ直しなさい。
(国土交通省)→そんなことをすれば、その橋の予算を国から取るために利権を使って、お金をばら撒いた政治家たちが怒ります。
「新しい橋を作る時に、前の利権が絡んだ政治家の名前を地元に広めればOKだよ」
これは、全国のどの地域でも地元の政治家たちが、「自分の手柄」にしたいので、上手に国のお金を引き出すために多額の賄賂をばら撒きますが、実際の工事は「自分の親族の関連会社」にさせるので、ばら撒いたお金は回収できる仕組みがあったからです。
(厚生労働省)→アメリカから大量の医療用薬品と農薬を買わされていますが、本当は買いたくないので、何か対策があれば教えて欲しい。
日米交渉の中に書いてある年度ごとの購入金額をアメリカの担当者と確認して、日本にある日米交渉の控えとアメリカの控えの数字が違うはずなので、誰がその数字を変えたのかをアメリカから追求させなさい。
「鈴木友康」なのはわかっていましたが、日本から動くと、必ず、あちこち手を回して、自分勝手に数字を変えてしまう男なので、アメリカからの質問として、正しい数字に修正させたことが、二度、三度、ありました。
そして、農薬が欲しいのは中国なので、日本では弱い農薬だけにして、「劇薬の農薬」は中国に送ってあげなさい。
実際に、中国の土壌は、米も野菜もできないほど荒れ果てていたので、雑草の森となった場所に劇薬の農薬をばら撒くと、野菜がたくさん取れたので、とても喜ばれました。
(経済産業省)→輸出入の金額の問題をいつもアメリカに攻められて参っています。日本は輸出したいものが多いのに、アメリカ製品で買いたいものが日本人はないみたいなので、何を輸入したらいいのかわかりません。
天無神人→日本もアメリカも、実は、戦争で使ったグッツを欲しがるコアファンが多いので、アメリカ国内で売っている全ての軍服や、将校たちの古い制服を安く買い取って日本に送りなさい。
日本人は、古着を大事に手直して着る民族なので、女性の手仕事で、米軍国旗だけを外して、安い値段であちこちのお店で売りなさい。
日本軍の払い出した軍人用のグッツは、アメリカでもアジアでも高く売れるので、コアなアメリカ軍の銃弾ボックスや身に付けるナイフや小物を欲しがる人はたくさんいます。
売り方は、アメリカの軍人に日本に来てもらってもいいし、沖縄などにいる駐留米軍の若者たちにアルバイトして売らせなさい。
きっと、彼らは、喜んでやると思いますよ。
それに、今、米軍基地でしか売っていない食品も大量に購入して、日本で売りなさい。
アメリカで長く生活した人たちは、アメリカの食品の味が恋しいと言っていたので、きっと、高くても買うはずです。
逆に、日本に仕事で長く住んだ人たちは、日本の米、味噌、醤油、一味や七味に感動しているので、アメリカのスーパーで売らせなさい。
結果は、全てうまくいきました。
こんなやりとりを横で聞いていた「塩爺」こと、塩川清十郎さんは、「うんうん」とうなづいていました。
やっと口を開いた時は、こんな言葉を口にしてくれました。
塩爺:吉岡さん、あなたは本当に現場人間なんだね、感心したよ。
僕も長い間、政治家をしているけど、必ず、年に数回、地元の戻っていろんな問題を一緒に考えて、地元の支援者たちが喜ぶような政策を作っているんだが、最近の政治家は、自分の手柄ばかりを考えるので、ワシは、若いものに教えるものがないと思っていたが、そうじゃないんだな。
そうか、頭が硬いのは、ワシのほうだったんだな。
じゃあ、ワシにも質問させてくれ。
なあ、吉岡さん、こんな老人が、この国に、まだ必要か?
必要ないなら、俺はいつでも政治家を辞めて実家に戻るが、本音でズバッと言ってくれ!
会場にいた全ての官僚たちが、身を固めて緊張していました。
それは当然で、国の予算や政治のことに関してピカイチですし、「塩爺」に睨まれたら、政治家としても潰されるので、誰も彼に文句を言う人はいない時代でした。
だから、私はこう言いました。
私はまだまだ政治も経済も勉強中ですが、今の日本にあなたは、まだ必要です。
だって、あなたを超える人間がまだ、出てきていないじゃないですか!
それは、あなたが「重い石」なのか、それとも、他の政治家がバカなのかわかりませんが、「美味しい漬物」を作るには、やはり、あなたのような「重い石」の人間が必要です。
まだこの国には、「美味しい漬物」と言えるような政治家は育っていません。
自民党も、社会党も、共産党も、公明党も全ての委員長と話し合いましたが、彼らは過去にこだわりすぎていて、この日本の未来を語る政治家は一人もいませんでした。
ですが、きっと、どの政党にも若くて優秀な政治家がいると思うので、ぜひ、「塩爺」が自民党の枠を超えた「政治と経済の勉強会」を開催して下さい。
「重い漬物石」で美味しい漬物をつけて、もし、優秀な人材が育ったら、そっとあなたは横にずれて、軽い政治家の石を乗せてあげて下さい。
最後まで「重い漬物石」だと、美味しい漬物はできないので、どうか、よろしくお願いします。
塩爺:いやあ、参ったなあ、吉岡さん。
ワシを「漬物石」に例えるなんて、さすがだわ。
日銀の三重野康総裁があなたのことを褒めていた理由が、今、わかったよ。
ありがとう、俺はまだ政治の世界に居ていいんだな?
何をおっしゃいますか!塩爺!
あなたは最後の日本の政治家の中で、戦前と戦中と戦後を見てきたのは、あなただけじゃないですか!
そんな貴重な人間がこの国からいなくなったら、平和ボケした人間だけの国になってしまいます。
私は二度、戦争に行った祖父からたくさん戦争の話を聞いて育ったので、とても「塩爺の言葉の重さ」がわかります。
あなたたちの世代は、「良し」を良しとは言いません。
ただ黙ってうなづく時が、とても大事だと私も祖父と話していてわかりました。
怒った時は、目がギョロッとするので、すぐにわかります。
祖父も怒ると、すぐ周りにあるものをぶつけるし、すぐビンタをしますので、私は、そういう祖父が大好きでした。
「男がゴチャゴチャ理屈を言うな!」と怒られましたが、私は最後の最後まで自分の思いを言い通す人間なので、こうして今も、キャリア官僚たちと勉強会を続けています。
今の日本は、まだこれから生き残るためには、あなたのような優秀な政治家が必要です!
だから、まだまだ、辞めないで政治家を続けて下さい!
・・・塩爺、涙・・・・・
塩爺)吉岡さんよう、あんた本気でこの日本を変えようとしているな!俺も同じだが、いつも一人だったので、今、嬉しくて泣いてしまったが、これは「男の恥」だな。すまんすまん・・・・、もう泣くのは辞めたいんだが、うれし涙が止まらんのよ!
塩爺!まず、日本酒を飲みましょう!!男が泣く時は、いつも父も祖父も酒を飲んで泣いていましたが、男はそれでいいと思います。
僕も辛いことはたくさんありますが、「酒の席のことだ」と言って、笑って泣いて、全てを水に流すよう心がけています。
日本に、片足を奉仕した祖父がいつも言う言葉は、男は泣いても「泣いておらん!」と言い張れと言われました。
それが日本男児だと、教えてもらいました。
塩爺)ちょっと待てよ、吉岡さんのおじいちゃんは、何て言う名前だ?
はい、「北海道北部方面本部富良野中隊の岩渕安治中佐」と申します。
あの有名な岩渕安治さんのお孫さんか!!こりゃ、参った!
あの人は天皇陛下も知っていたし、勲章も二度あげたのに、「純金の盃は前にもらったからいりません」と断ったと聞いたが、本当か?
はい、祖父はそういう人です。
私も祖父も先祖は「武士」ですし、祖父は岩手県の「南部藩の武士」で最後の最後まで追われて、男兄弟だけで北海道までに逃げ延びてきた人です。
もう、祖父の兄弟は、全て戦争で亡くなりましたが、二度、戦争に行っても死ねなかった祖父は、いつも、生きているのが悔しいと言って泣いていました。
「吉岡家」も武士でして、富山県の後醍醐天皇の御領地を全て授かり、20の村を束ねており、日本中武士の頂点に立つ「吉岡一門」の最後の頭領が私でございます。お見知り置きを。
・・・・塩爺、一歩、下がって土下座・・・
いやあ、ありがとう!ご先祖様、ありがとう!!
こうやって恩返しができるんだなあ!!嬉しいわ!
俺の親たちも戦争に行ったが、岩渕安治さんに命を救われたと言っていたのを思い出したわ!
いやあ、これで先祖のお礼もできるから、ここで一献、盃を交わさせて下さい!
何をおっしゃいますか、塩爺!!!
これからの日本をよろしくお願いいたしますよ!!
私はただの「スーパーの店員」ですから、忘れていいですよ!
塩爺)どこのスーパーだ?
一応、1兆円の売り上げを作った「ダイエー」でございます。
ちなみに、私はそこの「労働組合の中央執行委員」でございまして、そのご縁で国防のお手伝いをさせてもらっています。無償ですが・・・(^^)
塩爺)吉岡さんは、「中内功」のところだったのか、そうか、それならわかるわ。
あの男も、戦後の焼け野原の中で生き抜いた男なので、あんたみたいな男が育つんだな。
あのう、そのついでですが、松下幸之助社長も、中内功社長も、子供の頃に、神戸山口組の組員だったそうで、喧嘩が弱くて「カタギ」になったそうです。
私は、その二人がもらった田岡組長の「兄弟盃」をもらったので、私も田岡組長と「兄弟分」になりますが、今、塩爺と盃を交わすと、塩爺も、田岡組長と「兄弟分」になりますが、いいんですか?
塩爺)吉岡さんな、俺は「関西人」なのよ。
関西人で、田岡一雄組長のお世話になっていない人は誰もおらんぞ!
政治家も、経済人も、全て田岡さんが金を出して育ててくれたんだぞ!
だから、今、あんたと盃を交わせることは、俺にとってもありがたいので、よろしく頼むわ!
こんな体験談を今日、思い出したので、ここに記録しておきます。今、日本を本気で変える働きをしている人たちは、どうか、平和ボケした人たちを目覚めさせて下さい。
天皇家をお支えする「神社庁」や「宮内庁」でさえ、「神武天皇」をないがしろにしているので、この国の男子が強くなることはありません。
どうか、志ある人たちは、日本神道は本来、神武天皇の神札を祀っていたことを思い出して下さい。
天照大神は「卑弥呼」のことだし、神武天皇は、吉岡一門の頭領と卑弥呼が交わって生まれた子供でございます。
神の名において、先祖一縁の思いを込めて、お伝えしております。

神武天皇