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【社長会】「日本政府の地震対応」がひどすぎたので静岡県の「鈴木与平社長」に一生のお願いをしました!

1977年(18歳)から「防衛省の陸将補」になり、1989年10月(30歳)から「特別統合幕僚長」という資格に昇格し、「国の仕事」を無償で手伝いましたが、私が設計したスパコンの富嶽と京」で計算させた「防衛省の地震予知データ」を防衛省幹部に見せて国会議員を招集しても誰も会議に来なかったし、「東京都知事の小池百合子」から電話で

今すぐ、会議をやめなさい!

「国家反逆罪」で死刑にしますよ!

と電話が来たので、日本政府の知り合いに阪神・淡路大震災に対応した内閣府の知り合い」に問い合わせたことがありますが、酷い返答でした。

 

・・・・・

1995年1月17日午前5時46分「阪神・淡路大震災」発生

・・・・・・・

 

1995年1月17日5時46分52秒に起きた「阪神・淡路大震災 死者6,434名」が起きた時の私は36歳でダイエー本社の「バイヤー」をしていたので、朝5時半に起きて「千葉市ユーカリが丘駅」の自宅のテレビで「地震のニュース」を知り、すぐに「防衛省の西元徹也統合幕僚長」へ電話して、「防衛省の高速ヘリ」で現地へ飛びました。

ダイエーの中内功社長にも電話をして、「神戸や関西の現場の判断は社長にお任せします。私は防衛省の統合幕僚長と一緒に空からヘリで「阪神・淡路大震災」の全体を把握しに行きますので現場の対応指示をよろしくお願いします。」とお願いしました。

関西の原発」もたくさんあったので無線で確認すると、「安全基準内」と返答をもらったので、たくさん上空から写真を写しましたが、村山 富市首相から電話がきて、「一切、公開してはいけないと「ある人」に言われたのでお伝えしておきます。」と電話がありました。

誰がそんなことを言わせたのかを突き止めるために知り合いの国会議員数名に電話すると、「東京都の小池百合子から指示が出たみたいです」と返答があったので、小池百合子を支えている「森首相」にも電話で確認しましたが、

「私は何も知らないぞ。でも、余計なことはしないほうがいいぞ。あの女はお前の家族の命も狙いかねん女だから気をつけろよ!」と言われました。

 

関西の上空から「テレビニュース」を見ると、朝に見た最初の「地震の数値」が減っていたので「気象庁」に問い合わせると、震度は人間の体感を基本としているので変更もありえます。」と返答しました。

 

じゃあ、マグニチュードの数字は?

 

マグニチュードの地震計の数字は、測定値の場所によって差があるので、最初に報告したものが正しいとは言えません。どうして数値が下がったのか現在、調査中です。

 

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こんなバカなことがあるかい!!!と頭に来ましたが、関西の現場で救援活動をしていた「自衛隊員」に電話で現場の状況を詳しく聞くと、「悲惨な現地の写真」を写した一般人は「神戸市役所の職員」が飛んで行き、お金を渡して画像も携帯も全て没収した事実もたくさんありましたが、「守秘義務契約書」にサインしているので誰も口にはしませんでした。

 

私の部下の「別班隊員」が、小池百合子の電話の発信場所を調べると、長野県の山奥と判明。

本当に「長野県」にいるのかを「別班」の部下を飛ばして調べてさせると、実際に長野県の別荘に森首相と小池百合子が一緒にいる写真も撮りましたが、全て「公開禁止」にされてしまいました。

日本を守るべき「国の要人」の対応がこんな状況だったので、「日銀の三重野康総裁」に電話して、「私の社長会」に通い続けてくれた人たちを1か所に集めて下さい。」とお願いしました。

 

地震発生後、3日目の2011年3月13日(月)に静岡県清水市の「鈴与の代表取締役 鈴木与平会長」が全国の一部上場企業の社長たちに連絡してくれたので「静岡市民文化会館」に2000人以上集まりました。

鈴木與平 (8代目)社長

 

午後3時にほぼ全員が集まったので、「緊急招集」をかけた意味を鈴木与平社長に説明しました。

吉岡:今回の「阪神淡路大震災の対応」で皆さんの会社は大変でしょうが、2024年8月12日に日本の関東から関西までが「火の海になる大戦争」と、「2024年9月17日にマグニチュード9.5の大地震が起きる」という情報が私に入ってきています。

もし、そうなると「東海道全体」が危機になりますが、きっと、「有事の際は防衛省は地域の救済には入れない」と思うので、鈴木与平社長のお力とご友人の社長たちの力で「生き残った人たち」を安全な場所に輸送してあげて下さい。吉岡学の一生のお願いです。

「鈴与」はトラックだけでなく、飛行機の「フジドリームエアライン」を持っているし、海を渡る大型船を14隻以上持っているし、小さい船を合わせると30隻以上お持ちだと従業員に聞いたので、「関西エリア」と「甲信越エリア」と「関東エリア」の一般市民を守る「最後の役目」をどうか、よろしくお願いいたします。吉岡学の一生のお願いです(土下座)

 

鈴木与平社長)1989年に初めて吉岡さんにお会いして失礼なことをたくさんした私に人生が180度変わるくらい大事なアドバイスを無償で教えてくれたし、言われたことをすぐにやると、必ず、莫大な利益を生み出してくれました。

最も大きかったのは、「インドや大東亜連合の国々」や世界中の国王たちから連絡が来て、海の港に入る「入港税」を最も安くしてくれたおかげで、私がお客様に返せるお金はたくさん儲けたので「お礼をさせて下さい」と言っても、「1円も貰うつもりはありません」と言い続けた吉岡学さんのお願いなら、この鈴木与平、先祖の全ての思いをかけて日本を守らせて頂きます。

「拳銃で撃たれても死なない人間」とは聞いていますが、どうぞ、ご健康には気をつけてお仕事をして下さい。

私ごときの半端者が、吉岡学さんのお手伝いをできることは光栄であり、誇りございます。

私が死ぬ時は吉岡学さんに「介錯」をお願いしたいと思って「南朝の日本刀」も用意したのに、この「記憶を消す薬」はどうしても飲まないといけないのですか?

ここまでお付き合いさせていただいた社長たちの中で最も恥ずかしい発言をした「先祖が第三国人の鈴木」でございますが、吉岡さんに言われたとおり、従業員の給料を上げて「ボーナス」もアルバイトまで渡し、取引先に頭を下げて今までの無礼をお詫びし続けた結果、「ご先祖のカルマ」を乗り越えてやっと従業員もお取引先も喜んで「お付き合いさせて下さい」と言ってくれるようにまでなりました。

まだまだ修行が足りない男ですが、「日本国と天皇家を裏から支え続けた吉岡一門」のお手伝いをさせて頂けることだけが、「私の一生の誇り」でございます。

 

ですがやっぱり、「吉岡学さんのお名前」を忘れることが悔しくてたまりません。もう一度、考え直してくれませんか?

 

だって、「吉岡学の一生のお願いです。」を2回言ったので「打ち消し」になるので、私の最後の抵抗としてこの「記憶を忘れる薬」は飲めません!

 

・・・・・・

 

そうだよな!!!日本全国の一部上場企業の社長たちよ!!

 

俺たち「老兵」が先に死ななければこの日本を守れないと言われているのに、こんな薬なんか、飲めるかい!!!

 

おい、みんな!薬を全部、捨てて日本酒で乾杯しようぜ!!

 

吉岡学さん、今まで本当にありがとうございます!!

 

・・・・・

 

それと、いつも人を怒る時の「吉岡さんの気迫」がすごいので、「ヤクザと変わらない奴だ」と思って地元ヤクザや、「名古屋の弘道会幹部」に聞いて回った時に、「吉岡学という人間は本物のヤクザ」で、正式に「神戸山口組の四代目組長」を襲名披露していると詳しく教えてもらって驚いたんです。

 

竹中 正久(たけなか まさひさ、1933年〈昭和8年〉11月30日 – 1985年〈昭和60年〉1月27日)は、日本のヤクザ。四代目山口組組長。

 

1984年当時は吉岡さんは25歳だったはずだが、「神戸山口組四代目」を正式に襲名したのに、世間では竹中正久組長が四代目襲名」となっていますが、正式な「四代目襲名披露の席」で、こう言ったそうじゃないですか!

 

俺は、1983年12月に株式会社ダイエーの中内功社長と松下グループの松下幸之助社長に連れられて「神戸山口組三代目の田岡一雄組長」にお会いしていろんな話をさせてもらった結果、「神戸山口組四代目を継いでくれ!」と頼まれたが断ったのに、死ぬ間際に奥さんの田岡文子姉さんに伝えたようで、こうして「山口組四代目組長」を引き受けることになったが、これは今日だけのことで、明日から俺は「裏」に入る。

 

「表」の神戸山口組組長は「竹中正久組長」を指名するので、皆さんで「竹中正久組長」を支えてやって欲しい。

それと、三代目田岡一雄組長の遺言で「シャブは御法度」とされているのに、日本中の組長の中で「シャブの売買」に関わっている奴は自分から名乗り出ろ!!!そうじゃないと、俺がこの日本刀で全員を成敗してやる!!

 

と言って、逆らって立ち上がった組員たちに拳銃で撃たれても死なないし、向かってきた日本全国の山口組の幹部たちを「長ドス」で滅多ぎりにして十数名を殺したと聞いたので、本当に恐ろしい男だと敬服しました。

 

それに自分は「表」でヤクザはできないので、代わりに竹中正久組長」を「表の組長」に指名するが、日本全国のヤクザや、カタギになった元ヤクザでも、「吉岡学の名前を口にすることも関わることも禁止する」し、もし、俺との関わりがバレたら「組のシマも全財産も全て没収」だし、「組員は全員殺していい」という「正式な破門状」が出回っているので誰も手出しできないようにしていると聞いたので、さすが吉岡学さんだと思いました。

さらに、北海道を占めている「誠友会の裏の組長」であり、九州四国沖縄全土を占めている「旭琉會の裏の組長」だと聞いて私は納得しましたが、日本人が本当の危機になった時の最後は「ヤクザの力」も借りて一緒に日本を守りましょう!!

 

さあ、みんな、最後は日本人として一緒に死ぬぞ!かんぱーーーい!!!

 

と泣きながら話してくれた「鈴木与平会長」でした。

 

日本全国を占める「神戸山口組本家」

北海道を占める「誠友会」

四国九州沖縄を占める「旭琉會」

 

鈴木与平社長は、胸にマイクを隠して、「私とのやりとり」を全国の一部上場企業の社長たちにマイクで伝えていたようで、マイクをつかんで全国の社長たちを地域別に壇上に上げて、こう宣言させてくれました!

 

九州の一部上場企業136社は、団結して日本を守ります!

 

四国の一部上場企業の社長たち45社も、団結して日本を守ります!

 

東北の一部上場企業の社長たち54社も、団結して日本を守ります!!

 

中部甲信越の一部上場企業の社長たち483社も、団結して日本を守ります!

 

西日本の一部上場企業の社長たちはとっくに団結しておるので日本を守るために吉岡学さんと一緒に働きまっせ!!

 

東日本の一部上場企業の社長たちも団結して日本を守ります!!

 

北海道の上場企業の社長たちも団結して日本を守ります!!

 

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もう、涙が溢れて止まりませんでした。

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鈴木与平社長は、「日本を守るために生まれてきた吉岡一門の最後の頭領の吉岡学さんをここで紹介します」とマイクで言われたので壇上に登り、最後の挨拶をしましたが、全員の顔を見ると涙が溢れて言葉に詰まりました。

 

ここにいる日本中の社長たちに「最後のお願い」をさせて下さい。

 

大変申し訳ありませんが、日本の防衛上、縦長の日本の全ての地域を「防衛省の自衛隊」だけでは守れませんので、私が決断した「ある地域」だけは残りますが、他の地域は大変なことになると思います。

一瞬で全員が死ぬなら楽ですが、きっとそうではないと思うので、もし皆さんの会社が生き残っていたら、従業員と一緒に地域の住民を助けてあげて下さい!

日本の全ての人たちを助けられないことを決めたのは「防衛省のトップの私の責任」ですが、生き残った人たちと一緒に「新しい日本を必ず再生します」ので、どうか、ご自分が住む地域の人たちと最後まで仲良く助け合って暮らして下さい。

多分、防衛省の自衛官も皆さんの地域を助けられない可能性が高いので、本当に申し訳ありませんが、どうか、皆さんのお力とご尽力で地域の人たちをよろしくお願いいたします。(土下座)

 

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・・・・

 

おーい、吉岡さん!大丈夫だぞ!!!

 

俺たちは歳だから、きっと先に死ぬと思うけど、息子たちにも役員たちにもちゃんと言っておくので「地域のことは地域」でやってくれるさ!!

 

吉岡さんみたいな若い奴が死ぬのは、俺たちも辛いので、なるべく一人でも多くの若い奴らを助けて「新しい国」を作ってくれよな!!!

 

なあ、みんな!、それでいいよな!!!!

 

おーーーーーーーー!!

 

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「札幌の社長会」で初めて鈴木与平社長がやってきた時のことをお話しします。確か、3回目の社長会だと思います。

ススキノのボロスナックの2階にやってきた鈴木与平社長は、まず、こう言いました。

 

鈴木与平)おい、俺はどこの席に座ればいいんだ?

どう見たって、俺が一番年寄りだから、お前が座っている正面に座るのが正しいだろう。(1941年8月8日生まれ)

だから、立てよ!若いの!!

なんでお前みたいな若い奴が「社長会」に来ているのかわからん!

理由を説明しろ!!

 

吉岡)あのう、私がダイエーの吉岡学と申しまして、この「社長会の主催者」ですので、私がこの席を外れると誰が「主催者」かわからないと思いますので、どうか私の横の席にお座り下さい。

ちなみに、「誰の紹介」で私のことを知ったのか教えて下さい。

 

鈴木与平)お前みたいな若造が知るわけないが、「政治家の鈴木善行元首相」と、「日銀の三重野康総裁」と、「経団連の第6代斎藤 英四郎 (新日本製鐵会長)」が、是非とも行って勉強してこいと言うので来たが、お前が「吉岡学」か!?

お前みたいな若造に経営のことなんてわかるわけないし、俺はいろんな組のヤクザにも知り合いがいるので、ぶっ殺してやろうか!!

おい、吉岡!立てよ!!まずは、殴ってやる!!

 

第70代内閣総理大臣 鈴木善行(1911年1月11日ー2004年7月19日 93歳没)(在職期間昭和55年7月17日~昭和57年11月27日)」

第6代経団連会長 斎藤 英四郎 (新日本製鐵会長)1911年11月22日 – 2002年4月22日 91歳没)

日本銀行 三重野康総裁 1924年(大正13年)3月17日 – 2012年(平成24年)4月15日 88歳没)

 

吉岡)いいですよ、殴っても・・・でも、あそこの奥に隠れて会話を聞いている人は、日銀の三重野康総裁だし、日本のヤクザで私に手を挙げる人間はいないと思いますが、鈴木与平社長はヤクザなんですね。

おみそれしました。あー、こわいこわい!

ここから逃げようかな?

 

・・・・・

鈴木与平社長は周りの社長たちに説得されてやっと席に座ってくれました。

・・・・・・

 

吉岡)ところで今日は何をお聞きになりたいのですか?

 

鈴木与平)お前なんかにわかるわけはないけど、一応話してやるわ。

いいか、俺は日本中のいろんな商品や部品や鉄鋼や鉱物を船で世界中から集めて日本のいろんな企業に卸しているので、日本の製造業や工業や漁業関係者で俺を知らない奴はいないんだが、世界の港に入ると、必ず、「入港税」を取られるし、荷物を積み込んで出航する時にも「出港税」がかかるので、その経費が莫大すぎて利益が少ないので、従業員の給料も上げてやれないし、国の税金も未払いになっているのがあるので、何とかしたくてきたのさ。

でもお前みたいな若造にそんな問題を解決できるわけはないので、時間の無駄だったな。俺はもう帰るわ!!

 

吉岡)まあまあ、そんなに焦らないでトイレに行ってからビールでも飲んでて下さいよ。1杯だけですけどね?

その間に、処理しますのでお待ち下さい!

 

・・・・・

あー、お久しぶりです。モディ首相!

僕の子供は元気でやってますか?

あのう、ひとつお願いなのですが、日本の「鈴与」って言う会社の船がそちらに行ったら、港で色な「税金」を取られるらしいのでできるだけ安くしてもらえませんか?

できれば大東亜連合の全ての国も同じようにしてもらえるとありがたいのでお願いします!

 

モディ首相)そんなのお安い御用さ!!全部、タダにすればいいだけだろ!!

久しぶりの電話がそんなくだらないことなら誰かにやらせなさいよ!

次に来る時のために、綺麗でナイスバディの若い女の子を用意しているので、いつ来れるか決まったら電話下さいね!ではまた!!

 

・・・・・

 

吉岡)鈴木与平社長!!決まりましたよ!

インドとアジアは全部、「入港税」も「出航税」もタダにしてくれることになったので、がっぽり儲かると思うので、国の税金を払う前に、社員とパートアルバイト全員に「お詫びのボーナス」を出してあげて下さい。

どこの会社で働く従業員も不満の原因は「給料が安い!」と言っているし、私はそのために「ダイエー労働組合の中央執行委員」になったので、毎年、ダイエーの給料は「日本で一番高い妥結率」を保っています。

まあ、中内功社長は経営ができない人なので、今まで「約3兆円近くの借金を消した」ので、鈴木与平社長も素直にやってみたほうがいいですよ!!

ぜひ、あなたの「業界で一番高い給料を払う会社」になって、関わってくれた人たちに死ぬまで「恩返し」をして下さい。

 

自分の懐にいくらお金を貯めたかの計算をするよりも、いくら働く人たちにお礼のお金を払えるかが「社長の役目」だと私はここにくる社長たちに毎回、口を酸っぱくなるまで言い続けてきました。

こんな若造ですが、「国の仕事」もたくさん無償でしているので、困ったことがあればいつでも電話下さい。

 

確か、国土交通省に「株式会社フジドリームエアラインズ」の申請が上がっていたと思うので、あのままだと誰も書類を通さないので、私の方から優先的に許可を出せるように官僚たちを動かしますので、賄賂も出さなくて結構ですよ!!!

もし、官僚や国会議員がお金を請求したら、私の名前を言って下さい。

 

すぐに手を引くと思うので、正しいことを正しいように仕事をして下さい。

 

最後に、大変失礼なことですが、「鈴木」という苗字は武士の吉岡一門の頭領が日本中の「第三国人」につけたわかりやすい苗字なので、どうか、今までのように人を騙して儲けたり、人を苦しめてお金を引き出すことはやめて下さい。

疑うなら、ご自分の先祖の墓や仏壇で、「吉岡一門の最後の頭領の吉岡学に先祖は第三国人だと言われたが、本当か?」と聞いてみて下さい。

先祖の声が聞こえないなら、1000回お詫びするまでぶっ倒されると思いますが、その時は電話下さい。遠隔でサポートしますよ。以上です。

 

・・・・・・・・

 

そんなことを思い出した2024年7月13日、札幌市内は天気が良かったので「最後の思い出」として、「さくらんぼ狩り」をしてから世界の動物と触れ合える「民営動物園 ノースサファリサッポロでたくさんの動物を見ましたが、「ノースサファリサッポロ」を作った星野和生代表も「社長会」のメンバーだったので、私も動物好きなので一緒に手伝って木を切り柵を作りましたが、「生きることは全て自己責任を教える場所」として子供たちが動物に直接、「手で触れられる場所」を作ったことを思い出しながら楽しみました。

 

このあと、「乗馬体験」ができる「ワイルドムスタング」という場所で「乗馬」をしましたが、そこに止まっていたたくさんの「高級スポーツカー」は、日本全国の「社長会」の息子や娘たちが北海道まで来てくれたのをやっと思い出しました。

 

「社長会」の社長たちは最後に、「俺たちは仕事で忙しいのでいつも遊びまわっている次男や娘たちを北海道へ送るので、吉岡さんは生き残って新しい未来を作ってくれよな!」と言ってくれたことも思い出しました。

同じ場所にいた「外国人の男性」がワゴン車に乗って手を振り何か英語で喋っていましたが、きっと、記憶を消す前に仲良くしていた男だと思いますが、「国を守るための最後の作戦」を知られないために、「自分が体験したことや仲良くなった世界中の人たちのことも全て忘れる設定」にしたので、すぐに思い出せずに失礼しました。

 

 

 

有限会社ワイアット・アープ及びワイルドムスタングスの代表 山岸 晴二(やまぎし せいじ)  ウエスタンネーム:Vince(ヴィンス) 全国乗馬倶楽部振興協会公認インストラクター

「山岸 晴二代表」も多分、「社長会」のメンバーだと思いますが、詳細を思い出せず、申し訳ありません。

 

今の私を守ってくれている「守護存在」たちからも、「あなたがやりたいことをしていれば全てはうまくいくので自由に生きて下さい」と言われているので、「過去を思い出すためのブログを書きながら、少しでも「楽しい時間」を過ごすように心がけて毎日を過ごしています。

 

実際に、戦争や日本列島が折れるほどの大地震が来れば、この平和な日常も一瞬で消えるので、「楽しい記憶」こそが「未来を作る原動力」になると思っています。

どうぞ、皆様、悔いが残らないように残りの人生をお過ごし下さい。

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