【社長会】銀座の高級クラブが「東京社長会」の始まりだった!「銀座の先生」
1986年、入社4年目の27歳のダイエーのサラリーマン時代の松下幸之助さんとのやりとりは、もうお読みになりましたか?
▶️「経営の神様」松下幸之助社長にグループ企業の再編をアドバイス!
実は、銀座の高級クラブの特別室で松下幸之助社長にアドバイスして別れたあと、同じ銀座の高級クラブの中に私が勤めているダイエーの取締役がいたので挨拶すると、一部上場企業の社長たちと飲んでいたので経営アドバイスをすることになりました。
バブル時代は、どこの企業の社長たちも「日本経済はこれからまだまだ伸びる!」と信じていたので、先行投資でたくさんのお金を銀行から借りて新規事業や工場を新設していたし、お酒を飲む時は高級なクラブに集まり、社員には話せない心の不安をお互いに吐き出していたのが普通の時代でした。
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ダイエーはスーパーですが、実は、「薬と女だけは売らない」と息巻くほど、他業種に手を広げていて関連企業も500社以上もあり、ほとんどの産業に関わっていたので、「ダイエーの取締役」が他業種の社長と一緒にいてもおかしくないのです。
私が入社した1982年は売上1兆円を達成して、さらにグループ売り上げ4兆円を目指していたので毎日、お店に届く段ボール箱が朝から夕方まで大量だったし、パートさんが腰を痛めたりしたので、仕入れ先のメーカーや問屋さんに改善方法を聞きましたが、「昔から同じだから仕方がない。俺の会社のパートさんも同じように腰痛持ちばかりだ。」と言い、誰も改善しようとしませんでした。
「ならば自分がやるしか無い」と決断し、「オリコン(折りたたみコンテナ)」と、お店の中を運べるスリム型の「スリムカート」と、トラックに積み込む為の「カゴ台車」を自分で設計して、プラスチック成形会社と、鉄の溶接会社に自分のお金で試作品を作ってもらい、知り合いの輸送業者と店内で試しました。
「オリコン」を手にしたパートさんは、「もし、全ての商品がダンボールから「オリコン」に変われば、全ての商品を扱うパートさんやアルバイトの仕事が楽になるね。私も毎週、日帰り温泉に行かないと体が持たない体だから楽しみに待ってるね。」と言われたので、真剣に全ての流通業者に行き渡る方法を考えた結果、まずは、ダイエーの北海道直営店全店で導入してもらい、それから関連会社や全国の店舗に行き渡る方法を考えようと、店長から物流本部長に提案してもらいました。
ダイエー本社の物流本部長はとても偉い人ですが、私の店に来てくれて、私の企画を話すと、「二人きりで話したい」と言って、中内功社長から命令された無理難題を聞かされました。
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物流本部長の部下が作った「(仮称)集中輸送業務改善計画施設」の計画書を見ると、「6000億円の借り入れ」と書いてあり、収益予想は「未定」とあったので怒りました。
これだけ大きな投資をして回収計画がない投資なんてあり得ません!
あなたは、この会社を潰すおつもりですか!
それとも、中内功社長は、ボケたんですか!!
と怒鳴りました。
物流本部長)
吉岡よう、そんなに怒るなよ。
俺も物流のことなんて何もわからんし、急に社長に言われたのでやるしかないが、もし、失敗したらクビだと言われているんだ。
だからよう、お前、なんかいい知恵ないか?」
と言うんです。
もう、ブチギレそうになるのを抑えて、「2、3時間、時間を下さい」とお願いして、店長室で全く新しい計画書を手書きで書いて、できるだけ投資コストを抑えて作り、ダイエーの従業員も取引先も喜ぶような「利益が出る物流センター」の計画書を作成し、私が開発したオリコン、スリムカート、カゴ台車をフル活用する企画書を作りました。
大型商品の家具や電化製品は、メーカーから直接、店舗に納品されてから販売後にまた配送しまので、その無駄をなくして、納品先は「物流センター」にして、店舗の販売データを「物流センター」にFAXで送り、お店を経由せずにそのままお客様にお届けできる仕組みにしました。
これでお店の在庫は減るし、輸送コストは下がるし、メーカーと輸送業者は大賛成でした。
お店に納品する小物商品は、いろんなメーカーが全店舗分を一括で「物流センター」に納品して店舗別に小分けしてから、小型トラックで全店舗に配送する仕組みにしたので、24時間稼働になり、輸送コストとトラック経費、人件費を一気にコストダウンしました。
納品業者の取引先も輸送コストが下がり、輸送時間も短縮するので、ドライバーの空き時間が無くなるのでもうひとつ仕事ができて売上も上がり利益が出て、ドライバーの輸送単価も下がり、働く人たち全てが喜ぶ形にしました。
ダイエーは、ガソリンも輸入販売していたので、大型トラックが物流センターで納品できる「ガソリンスタンド」をいくつも作り、同時に、関連会社の「ローソン」を併設して、ドライバーさんの空腹を満たすようにしました。
物流センターの一番端には、ダイエーの従業員も、お取引先も、ドライバーさんも入浴できる「お風呂」を設置して、ゆっくりできる「仮眠室」を設けて喜ばれました。
「物流センター」とは別棟に、惣菜や食品の事前加工をする「食品センター」も併設し、高速道路の八千代バイパスからすぐに着く場所にあった取引先の古い倉庫を安く譲り受けたので、▶️「ロジワン八千代流通センター」は最初から大成功し、3年で投資額320億円の全てを回収しました。
▶️1993年株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ正式に始動
物流本部長は、「これはいける!これは社長賞ものだ!」と喜び、すぐに部下に正書させて中内功社長に提案し、一発許可をもらい、実行に移しました。
当時の中内功社長は、恐ろしいほど勢いのある人で、どんなことでも無理やりやり切る人間なので、「言い訳をする取締役は、即、クビ!」で有名でした。
結果的に、物流本部長が「社長賞」をもらい取締役になったし、銀行から6000億円の借入金もやめさせたので、利益が出る「新・ロジスティクスシステム物流センター」を私一人で企画立案して本部長の手柄にしたので、「物流本部長 兼 筆頭取締役」になった彼は、私に頭が上がらなかったのです。
今では、「オリコン」も、「スリムカート」も、「カゴ台車」も全てのコンビニや輸送トラックに採用されていますが、これらの「開発特許」は関わった会社に譲ったし、新しい物流センターの手柄は「物流本部長」に差し上げたので、私は、お礼のお金を一切、頂いていませんし、私の名前の記録も一切、ないはずです。
このままでいいのでしょうかねえ、ダイエーさん(^^)
▶️株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ(株式会社ロジワン)
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銀座の高級クラブにいた有名な会社の社長たちに、物流本部長が私のことを紹介して自慢したので、この先の不安を口にした社長たち一人一人に、心のあり方や、部下との接し方や、アルバイトやパートさんの対応策をお伝えしました。
一部上場企業の大きな会社の社長たちは、「全員、頭が良くて、全て自分で考えて指揮をとっている」と思っている人がもしいたら「世間知らずのバカ」としか思えません。
大きな会社の経営実態は、全員、「人・物・金」のことで悩んでたくさんの部下の知恵を借りて経営している人がほとんどですし、時代を変えるほどのワンマン社長は、当時、中内功さんと松下幸之助さんしかいませんでした。
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「バブル経済」は日本人を大きく変えてしまった一例として、バブル前までは銀行もお金を貸すのにうるさく調べて簡単には貸してくれませんでしたが、日本が「バブル経済」になった途端、急に、「お金を借りて下さい」と銀行の頭取たちが一部上場企業の社長たちに頭を下げて融資の話を持ち込んでいたのに、バブルが始めると「貸しはがし」で潰れた企業もたくさんあります。
これはどこの銀行も同じですが、皆さんが預けたお金に「スズメの涙」ほどの金利をつけてお金を集めて、多額の金利を乗せて企業にお金を貸した手数料収入が「銀行の大きな収入」ですので、各銀行の頭取たちはいつもうるさく営業にハッパをかけるのです。
つまり、「大きな金貸し業=サラ金が銀行」だと思って下さい。
昔は、ヤクザが経営している「サラ金の取り立て問題」がニュースになりましたが、サラ金にお金を貸していたのは「銀行」ですし、とんでもない悪徳金融に現金を運ぶ銀行マンや、ヤクザを接待している銀行マンもたくさんいましたが、今もヤクザの関わりがないとは言いきれません。
ヤクザが経営している「悪徳金融」は、銀行がお金を貸したせいで、勝手に「貸し出し金利」をどんどん上げていたので、「銀行とヤクザはズブズブの関係」だったのですが、その決裁は「頭取」しか知らないので、真面目な行員たちは何も知らずに、いい会社にいると思って高給をもらって威張っています。
まさか、自分が働いている「有名銀行がヤクザのお金を貸している」なんて表に出ると問題になるので、絶対に誰も口を割りませんが、私は霊視力を使い、人を自白させるプロですので、全ての裏の実態を「都銀の頭取」たちから聞き出しました。
日銀総裁の三重野康さんにもこのことを問い詰めましたが、「そういう銀行もあるみたいんだなあ」と口を濁して笑いながら、「私がいた東京三菱銀行だけはやってないから俺を信じてくれな!」と笑顔で笑っていました。
だから、私の家は、「絶対に、現金主義」なので、家でも車でもお金を貯めてから「全て現金で買いなさい」と教育されてきました。
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バブル前に日本が大きな経済混乱になったのは、「岩戸景気」ですので、その時代の背景や日本の経済の歴史くらいはちゃんと勉強してから、社会の問題に文句を言える人間になって下さいね。
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有名な一部上場企業の社長たちの悩みを聞くと、一般の社員と同じように、妻との揉め事、子供教育方針と、どれくらいお金をかけてどこの大学に入れるのかを考えてお金を貯めていますので、みなさんと同じように家に帰れば悩みは多い夫たちなのです。
しかし、「親から引き継いだ会社の経営」を教えてくれる人などいませんし、自分の会社以外は「全て敵」だと思って戦っている時代ですので、本音で語る人など誰もいませんでした。
「嘘つきな大人の話」が子供の頃から嫌いな人間だし、心の中で何を思っているかも、若い時にどんなことをして社会に迷惑をかけてきたかも、全て「霊視」でわかる人間なので、お酒の力を借りて最後に思いっきり社長たちが隠していることを全員の前でぶちまけてやりました。
全員、空いた口が閉じないような顔をしていましたが、ダイエーの筆頭取締役でさえ、
「吉岡、もうその辺にしておいてくれよう!
お前が本気で怒ると、周りの高級な物が壊れるし、頭も痛くなるし、嘘もつけなくなるので、もうお前は帰れ!」
と言われて北海道に帰りました。
当然、あとで文句を言われる覚悟で本気で言ったので、「これでクビも面白い」と思って北海道に帰り普通にお店の店員をしていました。
すると、ダイエーの筆頭取締役がこんな電話をしてきました。
筆頭取締役)
おい、吉岡さん、お願いがあるんだけど、聞いてくれるか?
実は、お前がこの前、怒鳴りつけた一部上場企業の社長たちは、ほとんどが裕福な家の出の「長男」ばかりなので、あんなふうに年下の男に怒られたことがなくて、ショックだと言っていたぞ。
でもな、逆に、俺たちに無い「庶民感覚」を吉岡さんは持っているので、もっと怒ってもいいから話を聞きたいと言うんだが、どうだ?
時間を作って、また、あいつらに会ってもらえるか?
吉岡)まあ、自分が勤める筆頭取締役からの「業務命令」とあればNOとは言えないのでやりますが、もっと、普通の安いお店で気軽に話しましょうよ。
ちなみに、あの銀座の高級クラブは高いと思いますが、一晩でいくら使ったのですか?
確か、6名くらい居たと思いますが・・・。
筆頭取締役)俺も酔っ払っていたので良くわからんが、多分、300万円か、500万円くらいだろ。それは会社の全部経費で落ちるし、それくらいは普通だぞ!
吉岡)俺もう、頭にきました!
庶民のためのスーパーで「1円の利益を増やす」ために計算して頑張っているのに、その利益を馬鹿みたいに「経費」だと言って使うあなたたちは、人間として最低のクズですね!
もう、本気で怒ったので、こんな私でよければ、札幌でやりましょうか?
どうですか、こんな私でもまた会いたいですかねえ、みなさんに聞いてから決めて下さい。
筆頭取締役)まあ、そんなに怒るなよ。
東京の銀座はどこの店も高いし、俺もあの店は滅多に使わないほど高くて驚いたんだぞ!
吉岡)本当に、庶民の気持ちがわからないお金持ちのボンボンは頭にきますが、こんな俺でよければ気づいたことはお話ししますので、どうぞ、お越し下さい。場所は、こちらで探しておきます。
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第一回目の「社長会」は、銀座の高級クラブの社長たちが「面白い奴が札幌にいる」と言ったみたいで、5名全員が1人の知り合いを連れてきたので10名になり、私と筆頭取締役を入れて12名が入る静かなお店を探しました。
私が選んだ安居酒屋の料理の味が美味しすぎて、みなさん、「銀座のクラブよりも全て美味しいし、女性も綺麗で最高だから、毎月、札幌に行きたい!」と言いだし、結局、札幌で「吉岡学を囲む社長会」を月1回、やることが決まりました。
全国の有名企業の社長なのに、もっと美味しいものをたくさん食べたいとか、もっと綺麗なお姉ちゃんがいる店に行きたいとか、結局、社員と望むことは同じでした。
だから、いつも、新しい店を開拓するために、ビール1杯だけと決めて綺麗なホステスさんがいるスナックを周り、「あなたと同じくらい綺麗な女性がいる店を教えて!」といろんなススキノのお店を紹介してもらいました。
北海道の美味しいものがたくさん食べられて、「値段は安いし、女は綺麗!」という噂が広がり、「飛行機代をかけても元は取れる!」と毎回、参加者が増えてしまい、高校の同級生とか大学の同期とかも参加して最大50名近くになった時もありました。
私は、「困った人の問題を解決する」のが子供の頃から好きなので、「ただの飲み会なら私は帰ります!」と店を飛び出したことも何度かありますが、毎回、呼び止められて説得されたので、ご飯を食べて女遊びをした後の「午後9時から社長会スタート」に決めました。
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当時、私は働いていた最初のお店は、ススキノから車で40分以上離れたお店だったので、閉店は午後7時ですが、それから売り場の品物の補充と翌日の売り場作りがあるので、毎日、8時半までサービス作業をさせられたあと、タクシーを飛ばしてススキノに行きました。
最初は、みなさんが1万円づつくれましたが、50名近くになった時、このお金も意味がわからなかったので、「今後、私はお金を頂かないことにします。もし、お金を渡す人がいたらこの「社長会」もやめます!」と取り決めを作りました。
私はお店に着いても、すぐにビール1杯で全員の質問に即座に答えるので、自分のご飯をゆっくり食べる時間はありませんので、夕方、惣菜売り場の見切り処分のおにぎりを2個タクシーの中で食べながら「社長会」に行っていました。
「毎月1回では足りない!」と言う社長たちが増えたので、数百枚になった社長たちの名刺をグループ別に分けて、「一部上場企業と二部上場企業」が月1回、「中小企業の社長会」が月1回、「大工や佐官や部品製造の専門職や工事現場の人たちの会」も作り、日本全国のプロの技術者たちが集まる時間になりました。
当時は「経営コンサルタント」なんて、かっこい仕事はなかった時代なのですが、やっていることは同じでしょうね。
知り合いの社長さんが東京の経営コンサルに払っている金額は、年間1000万円を3ヶ所と聞いて驚きました・・・。
ダイエーは、会社の給与以外にどこかで働くことを禁止していたので、何があっても、お金を頂くことは遠慮しました。
最初から数回でいただいた60万円ほどのお金は、奥様や子供達にお土産を買って渡して全て使い果たしましたので、「私の飲み代だけ」を交代で払ってくれる社長たちの集まりでした。
「毎月1回でも足りない!」という甘えた社長たちが増えたので、一部上場企業の社長たちだけ月2回、行いました。
毎回、誰かが「口コミ」で私のことを紹介するので、日本中のあらゆる産業の人たちが私の名刺をコピーしてやってきますし、聞かれる問題は専門性が高いものになってきました。
▶️日本ペイント株式会社の筆頭取締役が、社長の代わりにやってきましたが、問題が大きすぎたので、現場へ行って判断することにしました。
どこの工場か忘れましたが、ペンキの色を作っている工場へ連れて行かれ、「塗る素材によってペンキが跳ねてしまう問題」だとか、「太陽光線で色が変わるので日焼けしないペンキを作れないか?」とか、「ペンキに混ぜるシンナーは強力なので防護服を着て作業するが、体に悪くないシンナーかペンキを作れないか?」とか、もうとんでもない専門的な質問ばかりでした。
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小学生の頃から学校へ行かせてもらえなかった分、家で中学までの全ての教科書を暗記したので、実際に体験していないのは「理科の実験」だけだったので、自分一人で教科書を見ながら家の外で実験していました。
理科の教科書で「鉱物の一覧表」を見た時、小学生の教科書と中学生の科学の本を見比べて、実験に使える「鉱物」を家の周りから見つけ出して、小学校の担任の先生に「実験用の化学薬品」をちょっとづつ分けてもらって自分一人で実験をして検証しました。
その経験があったので、ペンキの色に使っている「鉱物同士の成分比率」を細かく出してもらい、比重を計算して「ペンキの成分比率」を変えたり、新しい鉱物を足したり引いたりして、全ての要望を満たしたので、私がアドバイスした内容の全ては、「日本ペイント」さんが特許を申請してくれましたが、日本の特許は20年で切れるので、まだ、一円ももらっていません。
ちなみに、「特許料」は、開発者に渡す「開発者権利」と、特許商品を販売した商品の売り上げに応じた「使用料」が払われますので、全て請求すると、1個の特許につき開発権利料300万円から500万円➕各色別の出荷売上の3〜5%は入るはずですが、まだ払ってもらっていません。
「日本ペイント」さんの従業員や家族で社長か取締役に言って私にお礼のお金を渡す誠意がある人はいませんか?
もし、「日本ペイント」から振り込みをしていただけたら、仲介してくれた人に謝礼として「入金額の10%をお支払いします」ので、ぜひ、ご家族、親族、お友達を探してみて下さい。老義資金にもなるし、子供の養育費にもなりますよ!
吉岡学が取得した特許一覧は、「特許情報プラットホーム」の検索バーに「吉岡学」と入れると出てきます。
3年間以上、続けた「社長会」で頂いた名刺は3000枚以上になっていましたし、最後にススキノのスナックでやった時に頂いた「現金入りの紙袋6億円」は全てヤクザに盗まれたので、私は一円も手にしていません。
誰か本気で昔のお礼や誠意を伝えて下さる社長さんはいないのでしょうか?
恩返しをしない人間は、ご先祖が見ているので、必ず、地の底に落ちますよ!