【外務省】1992年にマライヤ・キャリーとビヨンセと、シルベスター・スタローンとトムクルーズを日本に招待しました。
1992年(33)、「ダイエー労働組合中央執行委員」の時に、外務省の知り合いから大きな仕事を頼まれました。
当時、外務省のアメリカ担当は3人いるのに、戦後47年目の最も重要な「日米和親条約の更新条件がおり合わず長引いている」と相談され、私がフォローをすることになりました。
「アメリカの重要な案件を決める権限を持っているのは誰なのか?」と聞くと、「大統領補佐官」だと全員が言うので、大統領補佐官ご夫婦を日本に招いて接待する計画を立てました。
「予算は無制限」だと言われましたが、国の税金を無駄遣いするのは嫌だったので、極力低コストでやりました。
相手のスケジュールを調べてもらい日本へ招待する日程調整が整ったので、「会場探し」と「ゲスト選び」をして絶対に「ゲストを喜ばせる計画」を一人で練りました。
私に依頼した人間は、「その日はアメリカに用事がある」と言って問題になることを恐れて逃げたので、15カ国語を話せる有能な通訳の女性と、残りの二名のキャリア官僚たちと綿密に計画書を作りました。
労働組合の役員をする前からダイエーのお店の従業員たちを集めたパーティの企画は全て私だったし、労働組合の中央執行委員になってからも、500名以上パートさんを集めて喜ばせる講演会や食事会を企画して司会をしたり、接待するのが自分の仕事になっていたのでゲストを喜ばせる要領は同じでした。
当時は、毎週、札幌で社長会もあり、東京でも組合の会議や打ち合わせや接待が多かったので東京に行く頻度も増えたのですが、官僚の仕事はなるべく「指示」だけ出してプロたちには「期限を守る仕事」をさせていました。
会場探しの候補地3ヶ所へ行ってみると、神奈川県の老舗ホテルが改装予定だったので、一時的に全館を借り切って3ヶ月間で大幅な改装工事を進めて、「日本らしさとアメリカらしさの融合」をテーマに改装しました。
こだわったのは、アメリカで公式な催事にセレブリティや高官などの要人を歓迎するために、本人の歩行路として伝統的に用いられる「レッドカーペット」を取り寄せてホテルの階段と廊下に敷きました。
ホテルの正面入り口は「神社の赤い鳥居」にして、正面の階段の前には「大きな池坊専永のお花」を飾り、階段には、アメリカ人でも憧れのブロードウエイで使う高級な赤い絨毯を使ったあとすぐに送ってもらって正面玄関に敷きました。
2階の食事会場の宴会場の前には、アメリカと日本のゲストを立たせて、ゲストをお迎えしてもらいました。
当時、アメリカで有名なマライヤキャリーのビデオが感動したので、女性ゲストは「マライヤキャリー」に決定!
▶️Mariah Carey – Emotions (MTV Unplugged – HD Video)
男性は、1990年に出た「ロッキー5/最後のドラマ」がかっこ良かったし、ハワイで1985年に、『ロッキー4』を観て感動したし、アメリカ人は全員が「シルベスター・スタローン」の大ファンだと知ったのでお願いしました。
▶️Rocky 1 – Full Fight Scene
日本人でアメリカ映画に出た千葉真一さんに依頼しようとしましたが、千葉真一さんは忙しいと言って、「真田広之」を紹介して下さり、お願いしました。
真田広之が連れてきたのは渡辺謙で、私に「お前は役者か?キャラが被る」と文句を言ったほど気が合わない奴でしたが、アメリカの映画会社5社の契約をしてあげました。
・・・・・・・・・
日本女性は「スタッフに任せる」と伝えましたが、当日まで決まらないまま、マライヤキャリーとシルベスター・スタローンに、今日お招きしているゲストの紹介をしました。
二人とも、アメリカで有名になったので、「アメリカ大統領補佐官」に会えると大喜びし、最大の協力を約束をしてくれてゲストをお待ちしていました。
・・・・・・・・・
羽田空港から横浜まで道が混んでゲストの車が遅れている間、マライヤキャリーは、一人の女の子を紹介してくれました。
自分が幼い頃からサポートしている女性で、歌も上手なので、もし時間があれば、歌わせてほしいと言いました。
それが、今、有名になった「ビヨンセ」です。
・・・・・・・・・・
シルベスタースタローンも、実は、アメリカ映画界と日本の映画界に売り込みたい人間を連れてきましたが、それが、今の「トム・クルーズ」です。
ジェイムズ・ベイカー大統領補佐官が仕事で忙して来れなくなったので、代わりに、家族ぐるみでお付き合いしている友人の「ジョン・ボルトン夫妻」が来てくれました。
ジョン・ボルトンさんは、シルベスター・スタローンの大ファンで大喜びしていたし、奥様はマライヤキャリーの大ファンだったので、もう最高に盛り上がりました。
日本人のゲストとして招いた真田広之さんも、急に電話して、「渡辺謙さん」と、「小雪さん」を連れてきて、アメリカ映画会社と契約したいと言いました。
シルベスター・スタローンと真田広之さんがいるということで、アメリカ映画会社の社長が5社と、日本映画の会社の社長も5社も来ていたので、私が全てのゲストの素晴らしさを紹介して、日本とアメリカの5社に全員契約させました。
マライヤキャリーをゲストで呼んで1曲歌ってもらうと、1億円と言われた時代ですので、予算がないので「2曲で」と通訳してもらうと、「今回は、タダで良いです」と言われて、3曲も歌ってくれました。
耳を疑いましたが、アメリカ人の有名な政治家に会えたことと、日本人の優しさに触れて感動したマライヤキャリーは、「あとで請求はしません」と笑って言ってくれました。
私もマライヤキャリーの気持ちのお礼として、まだ幼い12歳のBeyonceも歌を歌わせると、これがすごい!
「マライヤキャリーみたいに有名になりたい!」とゲストたちの前で言うほど、本気で練習しているのがわかる歌声でした。
日本側の政治家は、「宮沢喜一首相」の時代だったので、宮澤内閣を全てお呼びして、ゲスト対応をしてもらいました。
その結果、「日米和親条約」も無事に調印できたし、相当な額のアメリカの強制的な農薬と食品添加物と医薬品の輸入数を減らすことに成功しました。
出演者たちからはたくさんお礼を言われ、全員が出演する映画を作るまでに時間がかかりましたが、2003年12月に「ラストサムライ」という形で映画になりました。