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スイスの「アイガーの北壁」と「世界の一番高い山 ベスト10」とエベレスト8848mに三度も登頂しました!

自動車レース」も、「オートバイレース」も私がマーゴに勝ったので、頭にきた「マーゴ」は「吉岡学さんの一番苦手なものは何?」と聞いたので、

「山登りは嫌いです。山は平地から見るものだと思います。」

と言ったせいで、「スイスのアイガー北壁」「世界の一番高い山 ベスト10」を全てに登ることになり、何とか無事に達成して日本に戻ってきました。

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一番最初に登らされた「アイガー北壁」は、真冬に「アイガー北壁」の麓に夕方、ヘリから落とされて、「ここから24時間以内で一人で頂上まで行って、頂上からの周りの全体写真を写して戻ってきてから電話しなさい。」と笑顔で言ってからヘリで居なくなったので腹を括りました。

 

用意してくれた装備は最低限で、薄い夏用の寝袋2枚と登山ロープ(ザイル)数本と、20個のハーケンのみ。

使ったことはない道具ばかりでしたが、打ち込んであるハーケンを見て、足りない場所だけ打ち込んで登りました。

警察庁長官に任命された時、「警察庁」は「消防庁」も管理監督しているので、「警視正のあなたは訓練を受けるべきです」と警察庁長官に言われたので、「東京消防庁 ロープ登はん会」に参加して1位を取った経験もあるので、ロープの使い方は知っていました。

吉岡一門の頭領は、もともと、「警察庁と消防庁のトップ」だったので「火消し道具」は全て家の納屋に吊るしてありました。

「アイガー北壁」、またの名を「死の壁」。登攀(とうはん)が困難で危険な北壁として世界的に知られた存在だ。

「グランドジョラス北壁」、「マッターホルン北壁」と並び、登頂が困難な3大北壁の一つに数えられる。

岩壁の高さは1800メートル、頂上の標高は3970メートルで、最もスタンダードなヘックマイヤー・ルートでさえも国際基準外部リンクで2番目に難しい「超難関2(Extrêmement Difficile2)外部リンク」に定められている。

結局、時間が無いので自分で登山ルートを探りながら「最短の直線コースを行くしか無い」と判断し、一人で登りました。

世界中の登山家たちが見守るなか、「夕方から登ると凍傷で死にますよ」と言われましたが、時間が無いので一人でどんどん登りました。

結果的に、世界の登山家たちが朝日を見ている時に頂上から綺麗な写真を撮して戻ってきたのですが、名前は公開しない約束でネット上に「日本直登ルート」として記録されました。

 

 

これも「日本を守る国防のため」と自分に言い聞かせながらロープを繋いで登り続け、凍えてきても酸素が薄くなっても必死にやり抜きましたが、夜になると一気に冷えてマイナス6度になるので、寝袋を二重にしてロープにくくりつけて中に入り、朝日が当たるまでじっとしていると全身の血液が心臓に戻ってくるのを感じます。

このままいれば死ぬんだろうなと思っていると、上から声が聞こえて「大丈夫ですよ。私たちがあなたの心臓を動かしますので、どうぞ、ゆっくり寝て下さい」と言われたので、死んでも良いと思いながらも眠りました。

聞こえるのは「自分の心臓の音」だけですが、わずかな時間だけは眠れました。

 

3歳からのマイナス37度の冬空でも武士としての「腕振り訓練」毎日、欠かさずしたことを思い出せば、ユニクロのダウン2枚とセーター3枚でも持ち堪えたし、スキー手袋と軍手で何とかなったし、喉が乾けば雪を飲み込めば「水」になるのでギリギリ朝を迎えて登り切りって「朝日の写真」を写してから、一気にロープで降りて「マーゴ」に連絡しましたが、電話に出ませんでした。

「あー、そういうことか!』とわかったので、携帯で「ビヨンセ」を呼ぼうとしても繋がらないので、もう一度、「アイガーの北壁」に登って携帯電話がつながる高さから、「ビヨンセ」に電話して迎えに来てもらいました。

ちょうど、ヨーロッパツアーが終わった ばかりだったので助かりました。

「マーゴ」は本当に人間の命を何とも思わない「欲得ババア」だとよくわかりました。

 

無事に、「ビヨンセ」に日本に送り届けてもらってから「マーゴ」から電話がきました。

 

マーゴ)本当に、しぶとい男ね。今後だけは凍って死ぬと思ったのに、悔しいわ!!

今回の勝負も「世界博打」にしたのに、また負けちゃったじゃない!!

じゃあ、次を最後にするので世界でもっとも「世界の高い山10個」を全て上りきってちょうだい!

そうじゃないと、「日本に戦争を仕掛ける日付」は教えないからね!!

 

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「世界の高い山10個」の第10位の山(アンナプルナ)から順番に登りましたが、10個の山はほとんど「ヒマラヤ」なので、1日だけ休んで次の山を登るので3つの山を一気に5日間で登ったので「山の名前」も覚えていないし、どうやって登ったのかもよく覚えていませんが、全てをクリアするとマーゴはやっと「日本に戦争を仕掛ける日付」を教えてくれました。

 

「8月12日は日本が正式に負けた「ポツダム宣言の日」よ!!

だからその日に、日本にもう一度、戦争を仕掛けて皆殺しにしてやるわ!!

 

何年にやるのか教えてよ!もう最後なんだから!!

 

パリよ!パリオリンピックよ!!

あとは自分で調べなさい!!!

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私が登った公式記録は一切、残っていません。理由は、「公式ルート」を登らず、初めてのルートで登ったからですし、名前も教えず「日本人だ」としか言ってないので「日本直登ルート」として記録されて、私が残したハーケンとザイルのおかげでチャレンジする人がたくさん増えました

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「世界の高い山10個」

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一度に「3つの山」を制覇した3回目が終わり、「最後に残ったエベレスト8848m」の準備をするために日本へ戻り、チャレンジ当日、ヒマラヤのベースキャンプに「マーゴ」に下された時、プロースキーヤーで有名な「三浦雄一郎さん」がいたので挨拶に行きました。北海道ではスキーヤーとして有名な人で尊敬していたからです。

 

三浦雄一郎氏のエベレスト公開記録

2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も達成した。

2008年5月26日、75歳でエベレストに再登頂。その前日にネパールのシェルチャンが76歳で登頂していたため、最高齢記録更新にはならなかった。

2013年5月23日80歳で3回目のエベレスト登頂に成功!

 

三浦雄一郎、80歳でエベレスト登頂!8848m、歓喜の瞬間をTG-2が捉えた

 

https://youtu.be/v6o4kMW3wy0?si=3Mv_6kln4IHoghib

https://youtu.be/D0SY6RShW6E?si=zr3jsQo8vtzTdsHG

https://youtu.be/HrtC4aeiMNc?si=PQ3IDElRimkojBsu

https://youtu.be/V3RgvpOY5-A?si=XaWAakTHSymBBkgw

 

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<では、全ての真実を公開します!>

 

2003年5月22日

「マーゴ」に言われて「ヒマラヤ登山」に連れて行かれましたが、最後の「エベレストチャレンジ」だったのに、言葉が通じない「シェルパ6名と最低の装備」だけだったので、日本人を探すと「三浦雄一郎(70)」がいたので一緒に登ることに決定。

しかし、「三浦雄一郎」は途中で登れず、「リタイヤ」したのに「記録を作らないと借金が返せない」と頼まれたので私が代わりに中継マイクで頂上から無線を繋いで「ヒマラヤ達成記録」を作ってあげました。

 

2008年5月26日の2回目、5年後、急に電話が来て、「今度は自信があるので一緒に登って欲しい。装備と旅費は全てこちらで用意するので安心して下さい。」と三浦雄一郎(75)に頼まれてヒマラヤに一緒に行きましたが、やっぱり、三浦雄一郎氏は途中で登れず、帰りは私が担いで下山させました。また結局、私が頂上で「スターリンク」の中継アンテナを使ってライブ放送してあげました。

 

2013年5月23日の3回目、また5年後、「三度目で人生最後になるので「自分の息子を連れて一緒に登りたいので来てほしい」と言われてヒマラヤのベースキャンプ」に行くと、自称息子の三浦豪太(44)がお父さんと話し合って、やっぱり、高齢なので無理をさせられないと言い、私が「カメラと高感度マイク」を担いで頂上から「人工衛星スターリンク」に繋いでを高感度放送を「公式サイト」に公開してあげました。

 

ベースキャンプで酸素吸入をするほど弱っている三浦雄一郎と「自称:息子の三浦豪太」が、「二人で相談したのですが、明日は二人とも登れません」と言った時の写真。食い過ぎだろう!!

 

雲で周りの山が見えない時を狙って、三浦豪太が「私と写真」を写し、いかにも「三浦雄一郎」登ったように見せかけた写真。私の装備は「プロ仕様」だったのでとても楽でした。

 

TV番組用に作られたエベレストの登攀ルートの模型。(三浦事務所内の展示物を撮影)→「実際のルート」はもっと長いので全く違いますが、いつも自分で登ったと嘘を付き自慢していました。

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なぜ、そこまで私がしたかというと、「マーゴ」が「いつ日本に戦争を仕掛けるのか?の最後の日付」を聞き出すためだけです。

それが、パリオリンピック閉会式の2024年8月12日だと判明したので、「残り11年」しかないので焦って「防衛上の対策」を全て変更しました。

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北海道では「三浦雄一郎氏」はプロスキーヤーでとても有名でしたし、「自分の事業」に失敗して大きな借金があったのでスポーツメーカーのスポンサーからの「お金集め」が目的で「ヒマラヤに登る」と言ったのですが、資金が集まらなかったので私の「社長会」のスポーツメーカー数社に頼んでお金を出してもらったので「ヒマラヤ登山」は実現したのです。

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「一度目のヒマラヤ登頂成功」で味をしめた三浦雄一郎氏の自宅に招かれましたが、コンビニのお寿司と発泡ビールだけの振る舞いなのに、奥の部屋では家族が神戸牛の焼肉パーティをしていました。

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「息子」とされている三浦豪太(44)が急に現れたので一緒にヒマラヤ登山の写真家デビューをするために連れて行くことになりましたが、三浦雄一郎氏に聞くと「酒を飲んでいろんな女とたくさんセックスしたので誰の子供かわからない」と言いながらも、ヒマラヤに連れて行きたいと言うのでとても邪魔くさい三浦豪太(44)でした。

ウイキペディアにも、「三浦豪太」:この存命人物の記事には出典がまったくありませんと出ていますので自分で勝手に書いたようです。

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私はお礼のお金は一切もらっていませんし、有名な人はみんな同じ「嘘つき」だと学ばせてもらったので、「財務省の鈴木友康」と同じで、ろくな「死に方」はしないと思います。

三浦雄一郎氏は「マーゴと私の母」の1学年下だし、南朝の裏切り者の「薩長連合」に寄付するような男ですが、世界で有名な人だったので黙っていましたが、もう残り少ない命ですので公開することにしました。

 

「ヒマラヤ男」の私を写したのも、三浦豪太です。

他には出さない約束でしたが、「マーゴ」に三浦豪太は「写真データ」を売ったので、「Facebookリール動画」に出しています。

 

「白いぬいぐるみの猿は私」でマーゴに着せられた「伝説のヒマラヤ男」だと言い張ってました。

頂上じゃない場所で写真を撮る三浦雄一郎と三浦豪太

全然、頂上じゃない場所で「頂上達成のふり」をして手上げて、三浦豪太が写した三浦雄一郎の写真

「シェルパ」たちは全員知っていますが、「三度もヒマラヤに登って成功した奴もいない」と驚かれたし、「お前の祈りのおかげで山の神に通じてシェルパ全員が事故も怪我もなく登れた」と言われ、麓の「シェルパの街」でお祝いをしてくれてシェルパ村の長老から「娘に神の種を入れてくれ!」と頼まれたので、「ヒマラヤのシェルパ村の私の息子」を大事に育ててくれていると思います。

 

 

実際に私が登った時の写真(プロの写真家撮影)

 

さあ、皆さんも命をかけて「生き残りの準備」をして下さい。

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