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消えた産婆さん

 昨日の19 日は、ガイアシンフォニー上映会のボランティア「つながり育つ会」の会合に参加して、新しく参加された方の中に、若い助産婦さんが4名いらしゃいましたので一緒に食事をしながらお話をしました。

この世の中に命が生まれる一番最初を受け持つ大切なお仕事をされている方々です。
全員が札幌市ある天使病院の大学院の助産婦科に通われています。

28歳のある女性は、東京の病院に勤めた7年間で出産に立ち会った件数が、170 件ある方でした。
なぜまた大学院に来たのかを訪ねてみると、現場の繰り返しの日々が何のために仕事をするのか、目標を見失ったからだそうです。

今の病院の出産は、時間を優先し作業を優先する為に、子供と母親の母体のバランスを壊していることを行っている病院がほとんどだという現実と、それは本当に自分のしたいことではないと感じたからだそうです。

第二次大戦の終戦後、GHQ と呼ばれるアメリカの頭脳集団は、弾薬も食料もないまま最後まで戦い続けた日本人の戦い方と、その魂の強さを研究していました。

その結果、たどり着いた理由のひとつに、自宅で「産婆さん」での出産が原因と分かった為に、あらゆるものを日本に導入して「産婆さん」の地位を引き下げました。

その方法は、まず、医学の導入、そして、粉ミルクと母子手帳の神話を作り上げる作戦でした。

昔は、医者と同格の位置にあった産婆さんを「助産婦」という名前にしたのも、そういう理由と意図があったからです。

その際、ある経験年数以下の方は、全員試験を受けて合格しないとダメになり、結果、今では、正看護婦の試験を受かってから、さらに助産婦の試験を合格し、そして、数年の経験を積んだのちでも、医者が立ち会わないと主さんできない条件をつけています。

昔々、自分の家で出産していた頃は、産婆さんは、あらゆる経験と知恵を駆使して、命と向き合っていました。

そこには、医者さえ口を出せないほどの過去からの知恵と工夫に、満ち溢れていたから技術があったからです。

出産を家で迎えることは、育つ環境にすぐ産み落とすわけですから、最高に波動が安定しています。だから、落ち着きがあって我慢強い子供に育つのです。

生まれてまもなく亡くなる子供も多かった時代は、生きる力が弱いといずれ、種族に迷惑をかけたり、自分でも苦しむ一生になると判断したときには、静かに死を受け入れることの必要性をお母さん方にも教えていました。

生きることが難しかった時代だからこそ、お母さんたちは、食べ物が行き渡る範囲で、一人でも多くの子供を生もうとしたわけです。

そして生き残った子供たちは、自分の死んだ兄弟の分まで、生きることを強く決意して生きます。

命のあり方と、子供の育て方、もう一度、親子や地域で考えてみる時期だと思いませんか?

 

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