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【富士山神事】事第五回 富士山頂上登山

2009年7月18日、富士宮口の五合目に集合した総勢32名は、準備運動をした後、心をひとつにする祈りを行いました。地球を愛する全ての人の思いを背負い、頂上まで無事に着きますよう、天の計らいに感謝する祈りです。
天候は、小雨まじりの涼しい気温。これも、登山にはとてもありがたいことです。30℃を超える日に登山した事がありますが、その時の暑さと辛さは、汗が出すぎて体力の消耗が激しく、持ってきた飲み水が不足した人が出たほどです。
一昨年の2008年の7月18日、私たちは、福井県の白山に登りました。
古くから日本を守ってきた神々たちに感謝の祈りをすることが目的でした。
そして、2009年7月18日、10:15、富士山へ昇り始めました。
道の途中には、大きな溶岩岩が連なっています。
この日が三連休という事もあり、多くの登山者が山を登っています。
数珠つなぎで互いをサポートしやすいように、離れない隊列を組みました。
体力差があるので先頭部隊、中盤部隊、後半部隊と三つに自然に分かれ始めますが、それぞれに体力のあるパワフルメンバーがサポートする人員配置です。
富士宮口 五合目の標高が2400mなので、六合目(2490m)まではそれほど辛い登りではありませんが、もう雲海を見下ろす高さまで来ていました。
雲の間から顔を出している山は、愛鷹(あしたか)山といって、この富士山が噴火してできる前まで、富士山の代わりをしていた大切な神の山です。
関東の仲間たちが事前にこの愛鷹山へご挨拶をしてくれたおかげで、私たちの登山も祝福するように顔を見せてくれています。
そして、この愛鷹山と富士山を結ぶラインこそ、日本を分断する大きなプレート(フォッサマグナ)のラインなのです。
このフォッサマグナのラインは、伊豆半島に天城山、その先に八丈島がありますが、フォッサマグナの神ラインを守っているのは、実は、八丈島なのです。
反対に、富士山の北北西に延びているライン上には、八ヶ岳を抜けて日本海まで続いています。
日本はこのフォッサマグナのプレートが動くことで日本列島が沈没することを20世紀の啓示で、何度も伝えてきています。※緑のプレートがフォッサマグナです。
自然界の神々が造り出した日本という小さな島は、いつもこのプレートの危険をはらみながら存在しています。
海の底から隆起した山や大地は、その頂きに神が存在してくれているおかげで、常に人間や自然界を見守ってくれています。
六合目を超えると、右手に宝永山が見えてきます。
この噴火は江戸時代ですが、土の色が違うために美しくその姿を見えます。
新七合目(2780m)まで来ると雲が開いて、日差しが出てきました。汗をかかない登山が一番疲れないと教わったので、体温管理の為にみんな着替えをしています。
元祖七合目(3010m)まで来ると、高山病の気配なのか、軽い頭の痛みを感じはじめます。
持ってきた濃縮酸素のおかげで頭がスッキリすると、すぐに出発できます。
このあたりに見える赤土はとても美しく、地球の奥底から地層が噴き出たエネルギーの凄さを実感します。
八合目(3250m)からが富士山奥宮の境内になりますので、全員で鳥居前でご挨拶をします。
ここでご来光見ると水平線に見える美しさがあるようですが、私たちの目的はあくまで頂上!
酸素がさらに薄くなっているのは、息がすぐに上がるのでわかります。
歩いては立ちどまり、歩いては立ち止まる登り方に変わります。
九合目(3460m)からは、万年雪が常時、見られるくらいに温度が下がります。
ふと、後ろを振り変えると、左のほうから龍のすじ雲がいくつも出ていました。
いくつもの龍雲が集まっている場所は、どうやら富士山の真南の方角から出ているようです。
先日の裾野祈りの南の地からなのかもしれません。
左手を見ると、夕日が沈む光の反射で雲が七色に輝き始めます。
この美しさをわざわざ見せてくれている神々の計らいに、感謝が溢れます。
神々に感謝を伝えていると、今度は、UFOの雲が降りてきました。
これは完全に母船を包み込んだ船です。
UFOは自分の意志で姿を見せたり消したりできますので、母船のエネルギーが雲の渦を作りますので、こうした姿を見る事ができます。
まだ、人間が地球外生命体の宇宙船の実態を見る準備ができていない為に、その姿を見せないよう私もいつもお願いしています。
このときは、母船の下にあるシャフト穴が開いていました。
これは小さなUFOを数百機収納する為の出入口です。
富士山でUFOを見る方は、とてもたくさんいらっしゃいます。
でも雲の形で出会ったり、光の動きで見る方が多いので、なかなか信じない方もいるようですが、まだ心に恐れが残っている為に受け入れられない幼さの証拠ですね。
夕暮れの気配を感じながら、やっと、九合五勺(3590m)の胸突き山荘に着きました。
八合目からどんどん身体は辛くなり、一歩がこれほど苦しいのかと思うほど、重い足取りが続きます。ここで頂上に着いた先発隊から電話が入りました。
「今、どこですか?6時を過ぎると食事が食べられません。そして、7時を超えるなら、就寝時間になりますので、その場所に宿泊して下さいと言ってます。」
時刻は、6:15分。
あと45分で全員登りきれるか、それとも、ここで宿泊するか?判断しなければいけません。
胸突山荘に聞くと、15名までならいいですが、それ以上は無理だと言われました。
現在、私の後にいるメンバーは、約20名。
危険を冒すか、ここで寒さを耐えて日の出前に登るか・・・。
すぐに、登る決断をしました。
頂上でなければいけない。
私たちは明日の朝、頂上にいなければいけないと強く感じるのです。
でも、ここからの時間が一番、苦しい時間でした。
本当に10歩進んで立ち止まるほど、心臓がバクバクしてきます。
酸素を吸っても吸っても足りないくらいに、身体が重く感じます。
そんなとき、後ろのほうで大きな声で掛け声をかけてくれる仲間がいました。
いくぞー!頑張れー!もう少し!
人間は、やっぱり最後は人間に力を頂くようです。
元気を与え続けてくれたすばらしい仲間に、心から感謝を贈ります。

私が頂上富士館に着いたのが、ほぼ夜7:00。(登山時間 9時間)

まず、山小屋の方にお詫びしました。

山小屋は、ただの宿泊所ではありません。
緊急時に判断しながら人の命を守るところですので、山の約束を守らない事で危険が周りの人に及ぶ恐ろしさを知っている方たちだからです。
最終の谷君チームのメンバーも全員、登り切りました。
最後の人が着いたのは、午後7:30くらいでしょうか。
夕食が当たらなかった人もいましたが、寝るところがあるだけで、本当に幸せだと感じました。
最後に知らない一人の若者が、山小屋の入り口で立っていました。
どうしたの?と尋ねると、予約をしていないので・・・と、外で待つ覚悟でいるようだったので、山小屋のご主人にお詫びして、宿泊をお願いしなさいと教えました。
結果は、泊まれたようです。
山は天気や気温が急変しますので、自分だけのことでは済まないくらいに、大がかりな問題を引き起こします。
どうぞ、その点だけは、山に登る皆様も考えて登って下さい。
32名全員が、無事、床につけましたが、疲れと高山病のせいで、夜中に、何度も吐いた方がたくさんいたようです。
一晩中、酸素を吸っているシュー、シューという音に包まれた山小屋の一夜でした。

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