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【富士山神事】第九回 本栖湖(北西)・山宮浅間神社(南西)

南東(須山浅間神社)→北東(忍野八海)の祈りを終えて、次は、北西の場所にある本栖湖へ向かいました。本栖湖に着いた時は雨がパラつく曇り空でしたが、湖のほとりに一列に並んで祈りを唱え始めると、空が少しづつ開いてきて、光の放射ラインが湖に降りてきました。

本栖湖で唱えた詔は、富士山の神様として祀られている木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を地球に降ろした宇宙の大神様の言葉を直接、唱えた詔でした。大神様は、こうおしゃいました。

木花咲耶姫(ハナサクヤヒメ)は、地球の未来を新しく創造する為の希望の神として地球に降ろした。しかし、その神が働けるかどうかは、一人一人の人間の心の在り方で決まるのだ。今の神の働きやあり方では、この地球は救われることはない。

もっと大切な事に気づき、神を大切にするようにお互いを敬い合い、全てを受け入れあって愛を大きくしなければ、全てのものを失う未来が待っていると気づかなければいけない。私たちが神を地球へ降ろした意味を、もう一度、考えることが今、とても必要だ。

表で輝かしく働く神がいれば、必ず、見えない所で働いている神がいることも忘れてはいけない。この地球へ降ろした全ての神は、一対の働きで働けるようにしているのだから。今、大切なことは、その表と裏の神の意志を理解することだ。

 

この詔を終えてすぐに思ったことは、富士山のご神体と言われている木花咲耶姫(このハナサクヤヒメ)と、姉妹の石長比売(イワナガヒメ)のことでした。

この姫たちの話は古事記に書かれていますが、国津神(先住民族)が天津神(外来侵攻民族)に国譲りをしたあと、天孫族のニニギの尊に対し、土地の大神である大山祇神(おおやまつみのかみ)自分の二人の娘を差し出した時のお話です。

ニニギの尊は、美しい娘の木花咲耶姫(このハナサクヤヒメ)だけを受け取り、醜い石長比売(イワナガヒメ)を返してしまいましたが、実は、健康で長生きの神であるイワナガ姫を返したことで、人間の寿命は短くなったとも言われています。

二人の娘をニニギの尊へ差し出した大山祇神(おおやまつみのかみ)の想いは、これからの日本の未来の発展の為に、明るい希望と喜びの役目としてコノハナサクヤ姫を、健康と安心を与えて子を産み育てる神としてイワナガ姫を二人セットで送った意味を理解できなかった愚かさを嘆いておられます。

これは現代に置き換えても同じ事が言えますが、明るい精神と健康な肉体の両方がなければ、本当の幸せは得られないという教えでもあります。

 

実は今回の神事が始まる初日に、すでに巫女役の女性たちに役割が与えられていました。一人は、コノハナサクヤ姫の役目、もう一人はイワナガ姫の役目として神事を行ってきました。私の役目は、大山祇神(おおやまつみのかみ)の役目です。

神事で神役目を与えられると、無意識に神のメッセージが入るような身体になります。神が私たちの肉体を通して、気持ちを伝えてくれるからです。ですから、この時の大神様の詔はとても重要な内容だったのです。

このとき頂いたメッセージの意味を三人で確認し合いました。最後の祈りの場所では、過去の全ての人間の思いをひとつにしてまとめる祈りをしなければいけませんので、神の気持ちを汲む為の真剣な話し合いの時間を持ちました。

バスは、この神事の全てをまとめる重要な場所として、南西の場所、山宮浅間神社へ向かっています。三人はお互いの神の気持ちを理解しようとしますが、なかなかうまくいきません。山宮浅間神社の前に着いても、まだ納まらない気持ちがあったので納得いくまで話し合いをしました。

 

 

 

 

やっと、三人の神意識がまとまったので正式に鳥居をくぐる事ができます。第一鳥居から参道を進むと、両側にきれいな杉林の森があります。その先にはたくさんの灯篭があり、最後に、大きな山門とさい銭箱が置いてあります。

山門をくぐり、その先の砂利道を歩いて行くと、道の真中に二か所、石が祀られていました。この石は、「弾丸石」と呼ばれていて富士山の噴火の際に、この場所まで直接、弾丸のように飛んできた石を祀っているそうです。

誰が見てもわかるくらいに、ハッキリ神の意志を感じる石です。

 

 

 

この石にご挨拶した瞬間に、先頭にいた私の役目が変わり、二人の姫様たちが先頭に立って進むことになりました。

 

最後の石段を登って鉄柵の門を開けると、そこはお宮が無い神様の場所でした。

 

先頭にいた二人は、どこへ進むのかわからないようなので、私が道順を示す為に前に出ました。

 

 

 

 

この場所は昔、正面に富士山が見えていて、その富士山をご神体として祀っていた修験者たちの神聖な神場所でした。

平らな場所には神が降りる御神木があり、敷地には石を埋めこんでお宮の中をそのまま再現しているとても古い聖地です。

 

正式参拝をしたことがある方はわかると思いますが、正面にご神鏡があるとすると、右手には神官、左手には神官に仕える人が並んで座ります。正面手前の座は、一般参加者が座る位置です。

神官の動きを見ていると気付くと思いますが、神に対して決してお尻を向けない歩き方をしています。そして、角を直角に曲がり、少しづつ少しづつ前に進みます。

私たちはこの地の神官ではないので、右手には座れません。だから、左手の場所へ神官が進むように一歩一歩、直角に曲がりながら、神の許しを得られる場所まで進みました。

ここまでおこなった5日間の神事の報告の祈りが始まりました。

コノハナサクヤ姫とイワナガ姫の思いを和合すること。

大山祇神(おおやまつみのかみ)が、二人の娘を差し出した思いを叶えること

国津神と天津神の本当の神和合をすること

そして、そのことを人間が実践することの誓い。

神は、御礼の言葉をひとつ。そして、これからの為の言葉をひとつ。そして最後に、この土地を守ってきた人たちの思いを話して下さいました。

神和合は、人間一人一人の心の和合から始まります。

これまでは祀る神が違うからと相手を非難する人たちもいましたが、今後、その人たちは神に自分の神意を問われる経験を繰り返す日々が続くでしょう。

神を信じず、人を信じられない人たちは、神を信じないように、周りの人から信用されない経験を繰り返す日々が続くでしょう。

 

見えない物を信じない人たちは、明日に不安を感じて惑う日々が続く事になるでしょう。

神は、私たち一人一人の魂の中に、存在しています。

何度、裏切られても、傷つけられても、人間を信用し続けて、守り続けてきた神は、今もあなたを守って下さっています。

感謝の心を神に示し、家族に示し、見知らぬ人に示す人間になりなさい。

 

与えられることが当然だと思っている人たちは、失う事でその価値がわかる学びをさせられます。

神は、永遠に存在しています。しかし、人間の肉体は永遠ではありません。

その限りある時間をどう生きるかは、あなた次第なのです。

 

何の為に生きるのか?誰の為に生きるのか?

そして、死を迎える時に、どんな自分になっているのか?

言葉ではなく、行動や態度で示すことを、神は望んでおられます。

生かされている喜びと全ての出来事に感謝を込めてありがとうございます。

 

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