1月11日の祈り

1月10日は、大人たちが元気になる為に自宅を開放している北海道苫小牧市の「さくらぎ笑楽好」で新年会が行われ、たくさんの人たちと今年一年の抱負を語り合いました。

20代から60代までの大人が一緒に食べ物や飲み物を持ち寄り、昨年の成長を認め合いながら中泉盛行好調と中泉貞子福好調が大きな愛の場を提供してくれています。

毎年恒例になった新年の「書」を仲間と書きながら、お互いの魂を見つめあう素敵な時間も過ごせましたことに感謝いたします。

翌1月11日は、個人のお宅にある素晴らしい神殿に仲間が集まり、年始の祈りと1月11日11時11分に合わせた地球創生の祈りを行いました。

神主の白装束に身を固めた理由も、今年一年でやりきらなければいけない事が多いからこそ自らの決意の表れとして身を正しましたが、最初に唱えた大神の祝詞は人として、そして神として働く人たちの心迷いを正す祓いの言葉が降りました。

身ひとつ、心ひとつのの人間は、誰一人、無駄なくこの世に存在しているからこそ、他人を問わず、そして、自分を問わずに生きる術を身につけなさい、教えてくれました。

心ひとつに繋がる苫小牧の仲間は、自らの学びこそ全ての人の学びに通じる事を悟っている方ばかりですので、おろかな我を主張する人は誰一人いません。

愛を信じ、生かされている中で自分のするべき事を自分で気づき、周りの人と歓びを大きくする努力をし続けている仲間です。

信頼という言葉さえ陳腐に思えるほど互いに甘えず取り繕わず、しかも、自らの立場を律しながら大切な言葉を正直に話してくれる素敵な大人たちの集まりです。

全ての人が初めからそうではなかったからこそ、ここまで変化した事を認めう素直で大きな愛の心をお持ちの方ばかりなのです。

それぞれがそれぞれの立場で成すべき事をすれば、必ずこの地球や日本は良くなる事を信じて行動している方ばかりですし、その中心にあるものはどの宗教にも囚われず、また全ての宗教を貫くほどの神心を大切にする日本人の精神性の柱が育っています。

日本人として今、何を大切にするべきなのか、自分の年齢で何を気づく必要があるのか、全員がいつも心がけながら日々、現実を前向きに生きて続けています。

今回この御神殿を「吉田神宮」と名付けた方がいましたが、個人のお宅の神棚に多くの方が手を合わせたくなる理由は、その場を守る方の神心の素晴らしさだと言えるでしょう。

諸先輩に生きる知恵を教わりながら若者から勇気とチャレンジ精神を学び、母なる女性たちから育む愛と美味しい料理を頂く歓びは、自分の家の中のルールだけも物事を考える狭い生き方ではなく、常に心を開いて互いに学ぶ好奇心旺盛な大人たちだと言えます。

自分や家族や同じ土地に住む人たちが幸せになる為には、まず自分の夢を叶える事の重要さを身にしみている方ばかりですし、だからこそ一歩一歩、さらなるそれぞれの道へ歩み出す年になることでしょう。

日本全国にも素晴らしい活動をしている方がたくさん増えてきましたので、身近な所にあるよりよい情報に耳を傾けながら、自らの成長をおろそかにせずに今年は過ごしたいものです。

一切、愚痴も言い訳もしない素晴らしい大人たちの集まりは、突然、誰かが訪ねてきても、態度を変える事はありません。

「来る者拒まず、去る者追わず」

常に自分の立ち位置を確認しながら必要な人と学び逢う事で、自分の成すべき道を歩んでいく方たちが増える事を願っています。

11時11分の祈りで唱えた私の大和言葉の祝詞で皆さんが見たビジョンは、白い霧に包まれた天上界の社から金粉が降り注いだ風景が見えていたそうです。このビジョンは、天上界の神々の祝福を意味しています。

天上界には神々の為の社がありますが、そこと直結したエネルギーがその場に繋がり、日本全国、地球全体で同じ時間に祈りをしていた皆様と繋がった事を大神が祝福してくれたのです。

祈りは、誰の為に祈るのか?

それは先祖への感謝、つまり自分自身の存在そのものへの感謝であり、自然界全ての感謝であり、地球を育む宇宙全体の神々に対する感謝の意思表示が祈りなのです。

1月11日の祈りの大切さは何年も前から言い続けてきたからこそ、今年は事前に祈りの案内をしませんでしたが、もう大切な事に気づいた人たちは自分の成すべき事を知っているはずだからです。

「必要な人が、必要な事をなすべき年」

だと言う事をどうぞお忘れなく!

今年もどうぞ宜しくお願い致します。

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