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【奈良県】関西神事の本当の目的

まず2/8の奈良神事の追加情報をお知らせします。

今回の関西 奈良神事は、最終的に京都で行う「日本国の国神立て直しの神事」を目的とした壮大な神事の始まりを告げています。
日本の歴史上、最大のカルマは 関西に祀った大神様を関東に移した事が最大のカルマになっています。
この感情は、わかりやすい土地のカルマとして、
1、関西人の関東人嫌い
2、京都の上京区と下京区のライバル心
3、関西全地区に残る地域ごとのライバル心 に現れています。
 
もともと関西という土地は、国の平安を願い神が住まう大切な土地だからこそ、幾度も宮を建て国守りにたくさんの民族が集まった土地ですが、この解消には、難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京・京都御所+αの土地に残る思い全てを引き受けて、改めて京都で「国神立て直しの神事」を行う必要があります。
関西が「神不在」となった事により、神守りをしていた公家・武家・民の目的意識が低下し、収入を失いよそへ移住した一団もいますが、土地を持っている人たちの所に集まった形で現在の集落は形成しています。
最終的な京都の神事を行う為には、皇族の血筋や日本民族の王家の血筋を持つ方たちの参加に加えて、神巫女・神番・霊界番・土地番・龍の番・鳳凰番など様々な次元意識を持つ方たちが力を合わせなければできないほど大きなエネルギーを動かす神事になりますし、期限は2011年末までと言われています。
※沖縄流に言えば、「天の10段、地(底)の10段」の祈りをしなければいけないという意味です。
 
だからこそ、2/8の奈良神事は、日本に渡来した民族カルマの整いを目的で行いますが、実は、宇宙の大神の意志は、宇宙最大カルマが地球に意識転生したユダヤ・イスラエル民族の12支族問題にまで遡る神事なのです。
 
守護ラインが宇宙次元にまで繋がっている人たちは、どうぞ自分の守護ラインを通してこのことをご確認下さい。
日本人は、この宇宙の壮大な記憶を乗り越えて和合し、愛を育みあう星にするために日本に生まれた人たちなのです。
大切な約束を忘れた人たちの為に、因果因縁が強く残る土地にわざわざ足を踏み入れて土地を愛する人たちと共に神事を行い、一人一人の守護存在を通して日本民族のカルマ解消を続けているのです。
現在の日本の信仰心が完成するまでには、先住民アイヌたちが守り続けた「自然神・先祖神」という思想に加えて、渡来人が持ち込んだ神仏思想が加わり、神国日本という統一思想を完成しましたが、地球規模では「人間が誕生してから続いているカルマにまで手を付けなければいけない時期が来たという事です。
通常、神事に参加する人以外にこういう大切な神情報は公開してきませんでしたが、あえて公開している理由は一人でも多くの方に目覚め頂き、これからの神事にあなたのお力を貸して欲しいからです。
 
2011年までと焦る理由は、無責任にも「間に合わない」というメッセージを受け取っている人たちが増えているからです。
私は必ずやり遂げると神々に宣言し続けていますが、
 
2011年11月11日までに終えなければ全てが崩壊す
というメッセージも受け取っています。
◎日本人の魂に触れる民族カルマ(追加資料)
 
 1、天皇家の本来の血筋を正す本当の意味と目的 
2、1336年皇族の南朝(大和国吉野行宮)と北朝(山城国平安京)分裂の背景
3、南朝 大室寅之祐(明治天皇)の即位の目的
4、イスラエルの「失われた10支族」と皇族のキリスト信仰の理由
5、紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて古代イスラエルに存在したユダ王国の2支族の日本への影響 
6、「日ユ同祖論」には、主に三つの考え方がある。
①古代イスラエルの「失われた10支族」が、日本に来たという説。
②古代イスラエルの「失われた10支族」のみならず、12支族全てが、日本に来たという説。③古代日本人が、ユダヤ人の先祖であるという説。 
7、支配階級とユタ・ユダ・エタ・被差別部落問題による土地の因縁 
 
(追加情報1) ※K氏より
 
 歴史の報告を致します。日本には紀元前にキリストが生まれる前のイスラエル 10支族のユダヤ人の秦氏がやって来ました。この人たちは、お祈りをする時に動物の生け贄を捧げていました。
後に原始キリスト教のユダヤ人が来て、お祈りの時の生け贄は血に触れると言うことで最初に来たユダヤ人を迫害しました。この迫害を受けた人たちは現在の大阪 奈良に多く、「被差別部落」として日本人のカルマに残っていると思われます。
 
彼らの多くは、沖縄・北海道に追いやられました。追いやられる時に現地の人と結婚し、信仰・布教が全国的に広がったと思われます。
次に、南北朝時代 587年 用明天皇が崩御すると、 親仏派の蘇我 馬子 と排仏派の物部守屋との間で武力衝突が起こり、守屋側が敗れると 大神神社・大和神社 ・石上神社の神威も次第に衰えていきました。
 
第41代 持統天皇と渡来系氏族の藤原(中臣)不比等 が共謀して、国津神の業績と歴史を切り捨て天孫族の都合の良いように改ざんしました。この事が、南北朝時代から江戸時代末期まで 天皇の祭儀は全て仏式で行われていた理由です。
その後、明治時代になって伊勢神宮が日本の皇室の祖神として復活するのです。
 
南朝の末裔 後醍醐天皇の孫にあたる大室虎之祐を、伊藤博文や桂小五郎らが本来の天皇の血脈に帰る計略をしました。それまで南朝の末裔の虎之祐は、南朝に仕えていた毛利家長州藩の武士たちにかくまわれて ぼそぼそと生き延びていました。
北畠親房の「尊皇思想」に目覚めた勝海舟・坂本龍馬・西郷隆盛の本家の菊池家が南朝側にあった事から薩摩と長州が同盟を結び、幕府側に勝ち、徳川慶喜の大政奉還に繋がりました。
 
北朝の天皇家には足利義満以来、天皇の血脈が流れていない為、 明治維新の時に北朝の睦仁親王を殺めて、南朝の虎之助と入れ替えて即位させました(明治天皇)。 
この天皇家のカルマもあると思われます。皇室とって最も大切なことは天照大神から受け継いでいる天皇の血脈を守ることだからです。
明治天皇の孫であり、国際政治評論家の中丸薫氏の著書「真実のともし火を消してはならない」(サンマーク出版)のエピローグに、「明治天皇の真実」について記載されています。
私はこれを読んで非常に驚きましたが、明治維新の真の意味を知りました。
明治維新の真意は、天皇の血脈を正当な南朝の天皇家に戻す事件だったのです。
北朝の天皇家には足利義満の時以来,天皇の血脈が流れていない。
そのため天皇家の血脈をもっている南朝に天皇の座を取り戻すために勤皇の志士たちが決起し、明治維新を起こしたということです。
 
つまり、後醍醐天皇の第11番目の皇子、満良親王の御王孫である大室寅之祐を勤皇の志士でとしたのです。伊藤博文とか桂小五郎たちが、彼を担ぎ上げて天皇のすり替えを行ったということです。
1864年孝明天皇の皇子である睦仁親王が12歳の時、禁門の変が起こりいました。女官たちに囲まれて育った睦仁親王は、大砲の音と女官たちの泣き叫ぶ声に圧迫され卒倒してしまいました。
睦仁親王と寅之祐のすり替えはその時なされ、大室寅之祐が明治天皇として即位したのです。
明治天皇は北朝の末裔、孝明天皇の皇子ではなく、南朝の末裔、大室寅之祐だったのです。そのため現在の天皇家は天照大神から受け継いだ血脈が正統に流れているのです。(CPA東郷の「ヨハネの黙示録」概説、「日ユ同祖論」参照) 
(追加資料2)※出所不明
 
「被差別部落問題」。 明治4年に太政官令により、差別部落の人間にも苗字をあたえることになりました。それまで苗字を持つのは武士と一部の苗字帯刀を許された者に限られていましたが、百姓・商人・職人なども晴れて苗字を名乗れることになりました。
庶民には苗字はなかったのかというと、そうではなく、あっても名乗れなかったのです。苗字がなかったのが差別部落の人々で、この人たちは人別帳外(戸籍がない)として年貢を納めることもなくそのかわり土地も持てない生活でした。
明治4年太政官令ではこれらの制度を廃止して差別部落民にも苗字を与えようという画期的な試みがなされたのです。しかし、その名前を付けるに当たり、あとで分かるように巧妙な罠が仕掛けられていました。
※以上の情報の正誤・取り扱いについては、個人の責任でご判断下さい。なお、神事で降りた神言葉は、地球創生メルマガより配信致します。
神事は、ひとつひとつの真偽を問う事が目的ではなく、全ての思いを自らの守護存在を通して確認しながら命を与えて下さった大神様の意味に気づき、心根ある日本人として世界を、そして地球を愛する人間の代表となってカルマの解消に向き合う事が神事の目的です。
神の御前にて身と心を正し、御自らの御霊をさらけ出す心根こそ、神に通じる心磨きであり、魂の目覚めになる事を御理解下さい。
 

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