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大久保長安神事(静岡県)

関東から関西までの神道(かみみち)正しで降りた「大久保長安事件」。

戦国時代にたくさんの争いが起きた本州の土地に眠る武士の魂を正しく理解せずに土地を整える事はできませんので、大神はその代表的な思いを気づかせる為にメッセージを下さいました。
結果として神事に入るまでに思っていた事と、神事を終えてから学んだ事は大きく違っていたことを先にご報告しておきます。
今回も、「出来事やうわさを表面的に判断する人間の愚かさ」を学ばされました。
2月10日、神事に参加してくれた4名は、伊賀国、伊勢国、志摩国、尾張国、三河国、遠江国、駿河国、伊豆国、甲斐国の9つの国守り宣言をしてくれた巫女たちです。
「国繋ぎ全国一宮宣言祈り」を自ら行った人の中でも、9つの国を繋いだ人は無いほど、何日もかけた巫女たちが同行してくれた意味は、9つの国番、神番、土地番の協力を得て行う神事になった為にとても助かりました。
最初に向かった場所は、この地域を守る大神様の場所として「富士山本宮浅間大社」(静岡県富士宮市宮町1-1)へ行きました。2009年の富士山神事以来なので、とても懐かしい場所です。
本殿の神様に本日の神事をご報告すると、「どうぞよろしくお願いします」とお言葉を下さり、今日一日の神事で使う御神水を湧玉池から頂きました。
土地を守る神社の神水を頂く意味は、神の御心を水に移して繋ぎたい土地へまく事で、神の御心を繋ぐ意味があります。
湧き出る豊かな水が出ていない神社でも、神社やお寺の中にある手水のお水でも十分、神仏の力が宿っていますので、近くの大切な神社やお寺があるならばどうぞ不浄な土地へまく許可を頂き、祈りと共に自分で土地の浄化をなさってみて下さい。
次に向かった場所は、高野山音羽山清水寺(静岡市葵区音羽町)です。
ここは徳川家康が大切にしたお寺で、慶長7年(1602年)に観音堂を建立しています。
車がこのお寺に近付くと突然、体が苦しくなり、人間の想いと共にメッセージが届きました。
偽りの噂話しを徳川家康の耳に入れ、長安を陥れたとされている本多親子【本多正信(父)・本多正純(息子)】の父親・正信からの言葉です。
『うぬたちに何がわかる・・・。大切なものや一族を守る為に仕方なかったのだ』
と言ってきました。しばらく、本多正信の魂の思いを感じ、何に正しく気づけばいいのかを感じてみました。すると、このきっかけとなる出来事は、奈良神事から新幹線で戻る途中で偶然、見た「掛川城」がヒントでした。
初めて「掛川城」を見た時、この地域は最終的に徳川家康の家臣が当主でしたが、見て感じたのはどうしても徳川家ではなく、今川家が思い浮かびました。歴史を全く知らない私ですので、後で調べて驚きました。
天皇家の南北朝争いの際、今川家が北朝に認められて「掛川城」を手に入れていたのです。しかし、そのあと今川家は、甲斐国の竹田信玄と三河国の徳川家康の両大名から挟み撃ちに合い、駿府城から「掛川城」に立てこもり、最後は命を助ける約束の元、「掛川城」を開城したのです。
城を追われた当主は、家臣をや一族を守る為に本位ではない人生を歩まなければならなかった事をまず感じました。その無念さは、いかほどかと思うものがあり、誰に付き、誰を信じて良いのかわからなくなった時代が戦国の世でした。
※今川家と本田正信との関係は調べ切れていませんが、伝えたい神の気持ちはわかりました。
天皇家も南北朝時代は、親子兄弟で殺し合って天皇の座を奪い合った時代ですが、武士の世界も乱世になると誰も信じられない時代だった当時の苦しみがよくわかりました。
「無念、無念・・・」と伝わってくる思いと、「申し訳なかった」と心で詫びる気持ちを感じました。
清水寺に着くと、『その私たちの気持ちがわかるのならよろしく頼む』と、私の右手に本田正信・正純の御霊の思いが乗り、左手には大久保長安の首をはねた刀が渡されました。
二人の思いと因縁の刀をどうするか迷いましたが、家康が清水寺に納めた千手観音様にお渡しして、全ての思いを終わらせて下さる様お願いしました。すると、千手観音様は大きな光と共に渡した思いと刀を受取り、私たちの祈りと共に天へ上がて下さいました。
本多親子の無念な思いはこれで成就できましたので、次は大久保長安が墓から掘り起こされ、磔にされ首を切られた場所である「安倍川河川敷」へ行きました。
河沿いに正座して祈り始めると、曇り空に光が射してきました。暫く祈っていると、長安は磔にされ、首を切られたままの状態で放置され、とても辱めを受けた事の思いが残っている事がわかりました。
その全ての思いを引き受け、もう一度、亡骸に御霊を戻して天へあげる為には、徳川家康に合いに行かなければなりません。
場所の浄化祈りを終えると大神様は御礼に、昔の人が旅に出る時に使う籐で出来た四角いかごを一人の巫女に下さり、もう一人の巫女には、乾燥させたお米を下さいました。この二つは、あの世へ行く時に持たせる旅支度の道具です。
三人目の巫女には、長安の奥さんや女性たちの悲痛な思いの証である「かんざし」を下さり、四人目の巫女には「あの世の旅支度に必要な財布」を下さいました。
河原の帰り道、大久保長安の意思を石に置き換える為に気になる石を拾い、長安の頭と胴体、本多親子と長安の奥さんや家族の思いを家康の御霊が眠る久能山東照宮に納めることにしました。
【久能山東照宮】
一番上にある家康公の御霊に向かって正座して今日一日の神事を正式にご報告したと、墓の周りに安倍川河川敷から拾ってきた石(意思)を埋めました。
家康公の魂は一切、言葉を話すこと無く、その後ろにいらっしゃる御仏様や大神様が全ての思いを天の光で繋ぎ、天上界へあげて「ご苦労様でした」とお礼の言葉を下さいました。
この神事を始める前は、どの文献や資料を見ても本多親子が我欲の為に大久保長安を陥れたとされていますが、それは一方的な見方でしかなかったと気づかされ、それぞれの人の立場や思いを深く理解していなかった愚かさに反省させられた神事でした。
大神や御仏は、私たちに同じ愚かな過ちを繰り返さぬように、こういう歴史の一部分を気づかせる為にメッセージを届けて下さることがあるのです。
過去の様々な御霊たちの思いが残る土地の上に生きている私たちは、今日を生きるありがたさに気づくことでこの神事も意味があったと思います。
午後3時に祈り合わせ下さいました全国の皆様、本当にありがとうございます。
過去のひとつの出来事から、10も100も学ぶ心を育てたいものですね。

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