【防衛省】東日本大地震<日本国を守る!>
「この国を守る!」ために、今、たくさんの人が働いています。
3月11日に羽田空港で震度5の地震を体験してから一晩、空港で夜を明かし、今日まで関東・東海・関西・中部を回りながら、刻々と変わる状況と心の変化を皆様と話し合い、つい先ほど、北海道に戻りました。
3月11日(金)の午後2:46、羽田空港の四階レストランが揺れ始めてから数分おきに続く地震は、全ての交通機関が停止になるまで何が起きているか把握できませんでした。
「宮城県沖に震度7!」と聞いた瞬間、「これは、とんでも無い事が起きている」とわかり、15年前の平成7年1月17日(火)に起きた阪神・淡路大震災を思い出しました。
当時は、ダイエーの本社に勤めていたのでダイエーの店が集中していた神戸の三ノ宮に、7日後に現地救済の第三部隊として入り、日用必需品が販売できる為の売場を立て直しながら、神戸の皆さんの心の苦しみを教えて頂きました。
マスコミには流れない現地の人たちの様々な心の苦しみを思い出しながら、宮城県・岩手県近郊で被害を受けた人たちの心に焦点を合わせて祈っていました。
数千人と一緒に羽田空港で夜を明かしている間、この場所が埋め立てられた「陸の孤島」だという恐ろしさをつくづく感じました。
飲み水と食べ物か無くなれば、人間は自我が出ますので、抑えきれない感情がパニックを引き起こさない為に何をすればいいのか、考えていました。どんなことが起きても、それだけは回避しなければいけないと思い、冷静に冷静に、今、自分がするべき事を考え続けました。
最初の地震からしばらくすると、目の前に見える東京湾の反対側にある「市原コンビナート」が爆発し、100m近い火柱が二度、立ち登りました。少しでも被害者が少ないようにと祈りながら、また何ができるのかを必死で考え続けました。
夜中じゅう、何度も今回の地震の意味を教える為に神様メッセージが降りました。
何度も何度も、そのメッセージを書き留めながら、今、人間が問われている事はハッキリしました。
これまでの日本人の在り方、生き方を変えなければ、・・・・。
その答えは、一人一人が行動で示さなければなりません。
一人で考えても人間は弱い動物だからこそ、「地球創生SNS」という場が与えられた事も神様に教わりました。
個人の意識を繋ぎ、心を紡ぎ、愛が溢れる行動意識を共有できるようにと、与えられたサイトなのです。今、全国の参加者たち全てが、あなたを待っています!
阪神淡路大地震から学んだ事は、現地は7日目までの一日一日ごとに必要な物が変わるという点です。これから被災地は、長期戦の対策が必要になってきます。
平成12年3月27日に起きた有珠山噴火で自衛隊の総指揮を現地で行った司令官にあった時、被災地における救援体制のバックアップシステムの重要性を教えて頂きました。
しかし今回は、あまりに被害の範囲が広い為に、国や市が把握し切れていない避難場所へ全国の勇士たちが物資を届けている情報も届いています。
車の燃料が不足していますので、帰りの燃料を持ちながら現地へ向かう必要があると思います。
翌3月12日の東京勉強会には電車が不便な中、9名の方が集まってくれました。
千葉まで、10時間かけてお父さんを車で迎えにいった男性や、自分の陶芸工房の生徒さんや周りの方たちに声をかけて募金を始めた男性もいました。
11日の電車が止まった夜、会社に泊まった女性は、帰れない人がいたら場所を提供しようと準備していたと話してくれました。
地震後、都内の飲食店はすぐに営業をやめたようですが、残ったハンバーグやスープを無料で歩いて帰る人たちに振舞っていたお店もあった事も報告してくれました。
もし、今回の地震が関東や東海地方に直下型で来た時に、自分が何をしなければけないかを全員と話していると、7時間も経っていま
した。
今、すぐにできる事や「してはいけないこと」、長期的に考えて今するべきこと、そして、最も大切な感情や不安の管理は「人の繋がり」によって支えられる事を確認しました。
勉強会に参加された皆さんは、すぐに「地球創生SNS」を通して、全国の仲間に情報を発信してくれています。
翌日12日の朝、都内のコンビニは、お水が品切れ、インスタントラーメンも品薄でした。
自分や自分の家族のことしか考えない「不安回避行動」が、もう始まっていました。
東海地方に向かう新幹線は動いていましたが、東京・神奈川などの近郊の在来線は、電力調整で50%以下の運行でした。
東海地方では、国道1号線が海のそばを通っているので富士宮から清水まで「完全閉鎖」した為に、一切の物資供給が停止してガソリンの値上げが始まっていました。
スーパーのお水、インスタントラーメン・総菜・お米が品薄で、ここにも自分のことしか考えられない人たちが増えていました。
東海地方の仲間は、巴川の源流祈りをしているので、全ての水が飲めなくなっても、どこへ行けば水があるのかを知っています。
そこへ向かう為の手段も考えて準備するように伝えました。
常時、車の中には命を守る為に最低限必要な要な物を準備しておく事と、必ず、自分で判断して行動しなければいけなくなるので、「守るべき命の順番」を考えておくよう伝えました。
戦時中のお母さんたちは、「国を守る為に自分の息子を戦地へ送った強い精神性」を学んでいますので、緊急時に何が一番大切な事なのかを教えてもらいなさいとも言いました。
橋や湾岸工事をする際に、深い海の中にもぐって作業をしている上級潜水士の男性からは、波の怖さや今後の問題を教えてもらいました。
津波が起きた時は、見えている高波だけではなく、海の底では海水全てが大きく渦を巻いているのでしばらくの間は海の中は全く見えない状態ですし、養殖している人たちの被害もこれから出るだろうと教えてくれました。
地震から5日目には関西に入りましたが、揺れはしたけど見た目に影響が無かった為か、12名の方たちが集まって下さり、東海・中部地震が起きた時に何をすればいいのかを話し合いました。
自分勝手な「不安回避行動」をした人たちのせいで、お店に物が無い状態を見ると、さらに買占めをする人たちが増えているという報告が、関東・東海・関西の方たちから入りました。電池や懐中電灯が、どこのお店にも全く売っていない状態だそうです。
先ほど、札幌についてタクシーの運転手さんから聞いて驚いたのは、ここ札幌市内でも「自分や自分の家族のことしか考えない人たちが買占めに走っている」と、運転手さんが嘆いていました。
買占めに走る不安心理は、「家族の命を守る為」にと女性たちが多いようです。
どうぞ、お願いです。
戦時下を生き抜いたお母さんやその子供たち、東京大空襲の体験した話を聞いたお母さんたち、田舎暮らしを経験していて、助け合う心が最も「家族の命を守る方法」だと知っている方は、周りの若いお母さんたちに教えてあげて下さい。
このまま「個人の不安心理」が増すと、日本国全体がパニックに入ってしまいます。
お金が無くなっても「助け合う心」さえあれば必ず、日本国は絶対に守れますので、周りの人を信じて行動している人たちの話しをどんどん伝えてあげて下さい。
阪神・淡路大震災の1週間後から最も被災地に必要な事は、「心の平安」と「正しい情報」でした。
自分も我慢して、子供にも我慢させ続けた苦しい心がはじけそうになった時、一人の女性がおにぎりを配りながら大きな声で歌を歌って避難場所を回っていたそうです。
それを見ていた男性は、何が今、ここに必要かなの気づいたので、周りの人に声をかけてインスタントのミニFM局を自分で開設して、個人でラジオ放送を始め、被災地にはラジオを配って聞いてもらったそうです。
大丈夫!、全国の人たちが必ず、あなたたちを見捨てはしない!
今、あなたたちを救う為に全国の人たちも頑張っているよ!とメッセージを添えて、心が安らぐ音楽を流し続けた事を、1998年の青森コンサートで個展を開いた時に、その本人たちから話を聞くことができました。
六日目の3/16(水)、名古屋駅前に着いた時は感動して涙が溢れました!
名古屋市内の大学生たちが声を掛け合って、募金活動をしていたんです!
大きな声を張り上げて、冷たい風が吹く日だったのに、皆んな真剣でした。
話を聞くと、自然発生的に動き出す人たちが集まったそうです。
大人の皆さん、あなたにも今すぐにできる事はたくさんあります。知恵を発信できる人は、どんどん周りの人に教えてあげて下さい。
まだ地震が続いている茨木県で、やっと電気が回復したばかりの男性に先ほど話を聞きましたが、やっぱり現地の皆さんは不安だけが募って、対処の方法が考えられなくなっているみたいです。
お金でできることもありますし、物資でできることもあります。
お金というエネルギーは、人から人へ回る事でお互いの生活を支えているからこそ、止めないで循環させてあげて下さい。
死んだら持っていけないこの世のお金だからこそ、今、有意義に使う為の話し合いも家族として下さいね!
私たちは必ず、この国を守ります!