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北海道へ移住しましょう!

2011/3/11の東日本大震災のあと、地震や津波、原子力発電について評論家たちは勝手な意見を言い続けていますが、現在の日本の状況は国家的に「有事」だと宣言したように日本の未来は危機的な状況だからこそ、他人の意見を批判している時期ではないと思います。

国も、東電も、自衛隊の方たちも、被災地に関わる当事者たちは、必死で毎日、仕事をしていますので、こういう時期に評論家は必要ありません!

今、必要な事は日本の大人たち一人一人が、全く新しい発想やビジョンを持って子供たちや周りの人に勇気や希望を与える発言をする事なのですが、もしそうできなければ、私たちが死んだ50年後の日本がどうなっているかわかりません。

第二次大戦後、60年間で日本を復活させた日本は、世界中の人が驚くほどの発展を遂げましたが、政治家も経済人も自営業者も一人一人が力を合わせて国の復活を願い努力した結果です。

現在の日本は、良くも悪くも世界中から注目されている状況だからこそ、「国策と民間主導」の両方で大きな方向転換が必要な時期なのは誰が見ても明白です。 

これほど大きな方向転換を日本人全員が決断をしなければいけなかったのは、第二次大戦後もそうですが、130年前の日本も同じ状況でした。 

1868年の明治維新に続き、1871年に公布された「廃藩置県」によって、それまで武士や氏族だけが持っていた領地を国が召し上げる法律だった為に、武士の家に残る事ができたのは家長である「長男」だけでした。

だからこそ次男以下の男たちは、生き残りとプライドをかけて少ない農民と共に北海道へやってきて、原野を切り開きながら新しい生活を始めたのです。

当時は、1877年に西南戦争、1894年-1895年は日清戦争、1904年-1905年は日露戦争と戦いが続いていましたので、北方警護を目的に「屯田兵(1874年~1904年)」を国が組織して、北海道に多くの元武士と家族が移住してきました。

「屯田兵」の実情を知る人から聞いた話ですが、男たちは毎日、軍事訓練ばかりしていた為に、実際に田畑を切り開いて開拓したのは農民と女性たちだったそうです。

私の五代前の先祖も、岩手県と石川県から1895年(明治28年)に北海道に入ってきました。

当時の様子を知る祖父は、とても厳しい環境だったからこそ、韓国人・中国人・部落民・武士・町人の身分差別なく、全員が食べ物を分けあい助け合いながら土地を開墾した話を教えてくれました。 

私たちの先祖が開拓した北海道は、現在、食糧自給率260%を維持し、広大な土地と飲める自然水がこんこんと溢れ出る素晴らしい大地になりました。 

しかし、現在の北海道農業の実情は、後継者不足で30年先の計画が立たないほど、離職農家が増えて、あき家と土地があちこちに余り始めています。 

北海道は日本全体の1/5(22%)を占める土地を有しているほど広いので、ほとんど雪が降らない地域もありますし、低額投資で米や野菜以外に様々な産業へチャレンジするには好条件の土地があちこちにあります。※土地の価格は、驚くほど安いのですよ! 

インターネットのソフト関連の仕事をしている方なら全国どこに住んでも出来ますし、ハードのシステム関連なら山間部の安全な場所に設置するという構想もできると思います。 

先日のG8で「2010年に自然エネルギー20%達成」を国が掲げましたが、実は、現在の電気の送電ロスが最も大きいのが北海道という広大な土地だからこそ、自然エネルギー転換を一番進めるべき場所でもあるのです。 

山間部の多い北海道ですから水力・風力・太陽光の設置には好条件な場所がたくさんあります!

これからの自然エネルギー設置を考える時には、ひとつだけではなく、複合的に利用する事で24時間の発電が可能になりますので、関係省庁や企業は手を組み合って家庭向けの効率のよい蓄電池を開発して下さい。
 

日本全体が本気で取り組めば、「2020年に30%のエネルギー転換」も可能だと私は思っています。

「30%のエネルギー転換」をスローガンにする理由は、二つあります。

ひとつには、非常時に電気が1/3でも生活する為には、普段から30%削減する考え方をトレーニングする必要があるからです。※1/3なら生き残れます。

もうひとつは、枯渇するエネルギー源から永遠に使用可能な自然エネルギー転換が30%になると、日本のエネルギー構造と考え方が大きく変わるからです。

これから電力を含めた自然エネルギーの設備設置を考える為には、経営者は今の利権をどう分け合うかではなく、私たちが死んだあとの50年先・100年先まで考えて判断する事が重要です。

大人として元服した16歳以上の全員が、0歳から15歳までの未来を考えて行動しなければ、日本という国は生き残れません。 

 

第二次大戦時、日本の女性たちは家族を守る為に、男の子たちに戦いに行け!と戦地へ送りだした強い精神性を持っていたからこそ、この日本は守り続けられたのです。 

これからは、女性たちやお母さんたちの精神性次第で、日本の未来は決まるとも言えるでしょう!

どうぞ、新しい日本の未来の為に、そして子供たちの未来の為にチャレンジする志がある方は、北海道へ家族と一緒に移住して事業を始めて下さい。 

地域単位や村や町単位で屯田兵の様に移住して、自分たちの町を新しく形成する事も可能です。 

私の実家も農家だからこそ、被災地の農家の方が土地から離れたくない気持ちは良くわかりますが、土地や海の放射能汚染と風評被害も含めた最悪の場合は、被災地の農業・漁業の一次産業復活には30年ほどかかると思います。

国や東電と戦って、見舞金を受け取る姿を子供たちへ見せ続ける事が本当に良い教育なのでしょうか?

どうか、子供たちへ示すべき生き方を北海道へ移住して実践して下さい! 

若者のリーダーとして全国で活躍している「てんつくマン」も、四国を離れて北海道に一団が移住することを決めました。 

北海道は、若者たちがわくわくして農業ができる場所なのです! 

北海道を愛する皆さんも、私と同じ気持ちですので、どうぞお越し下さい。 

(北海道移住の相談窓口)・・・一般社団法人北海道移住交流促進協議会

 

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