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【沖縄本島】男神の争い心を無くす沖縄 国神神事

2011年10月28日(火)、歴史上、沖縄全域を支配していた各時代の王様や按司(あじ)は男だからこそ、「男神たちの争い心を無くす国神神事」を沖縄の仲間たちと行いました。

この神事を決断したキッカケは、琉球王朝を舞台にした「テンペスト」というドラマを見ていた時に、踊りを舞う仲間由紀恵さんの後ろの存在の想いが伝わってきたからです。

※NHKドラマの「テンペスト」はyoutubeで見れますので、ぜひご覧下さい。

戦いに敗れたとても切ない王様たちの想いは、今も多くの人の心の底に王族カルマとして残っていることを伝えてきたのです。

「日本列島が世界のひな形」であることはご存知だと思いますが、日本という島々のひとつひとつの意味が、「人間の心のひな形」であることも宇宙の大神から聞いています。
 

南にある沖縄は日本の母、北の北海道は日本の父、本州、四国、九州は母が産んだ子供だからこそ、沖縄に住む人たちの集合意識は日本を支える「母心そのもの」だとも言えます。

沖縄には多くの人たちが自然や人の温かさに触れたくて病んだ心を癒しに行きますが、沖縄の母神たちの想いは、母が産んだ子供たち(※九州・四国・本州・北海道に産まれた人たち)が心をひとつにして母の愛を伝える人に成長することを望んでいます。

多くの人がそうなる為にも、母の地、琉球を束ねた王様の和合祈りが必要だと感じたのです。

加えて、いつも沖縄の女性たちは、「本当は、素晴らしい沖縄の男たちに立って欲しいのよ~!」と聞かされているからこそ、王家王族に縁がある男たちの心の整いを決めたのです。

テレビを見ていて、こんなことを感じるのはおかしいと思うかもしれませんが、私たち人間が感じる喜怒哀楽の感情は、土地に住んだ人の想いや、先祖や家族の想いが自分の心に転写していることに気づければ、辛い悲しい寂しい時の思いが、自分だけの感情と思わず歴史を調べたり先祖の想いを知る努力が必要だと気づくはずです。

親や親戚のトラブルは、先祖たちの争い心に迷わされた弱い心だからこそ、その先祖たちが出来なかったことを成し遂げる為に自分が産まれた事を気づけば、自分がどう生きるべきかはおのずとわかるはずです。

沖縄でも日本全国でも「神懸かり」で倒される人がとても増えていますが、ユタや霊媒師たちが教える「先祖拝みだけしか方法が無い」と思っているのも大きな間違いです。

他人の心を導く仕事をしている人たちにお願いしたいのは、クライアントの生きる力や守護力を上げる方法を教えてこそ、導く価値があると思いますので、どうか宜しくお願いします。

一般に、「依存心」が強い人は、他人に言われたことを鵜呑みにしがちですが、目の前で起きている問題をどうするかは、日々、自分で決めて行動するしかありません。

今年ほどの大きな自然災害が日本に起きても、まだ自分の生き方を変えられないのなら、これからも日本人が問われ続けることは仕方がないと言わざるおえないでしょう。

自分が苦しい経験をしてから生き方を変えるのもいいですが、自分のことばかりを考えて生きるのではなく、他人と一緒に生きるための「大きな愛の心」を持っている人たちが動き出さなければいけない時期だからこそ、その人たちが目覚める為にも神々の和合が必要なのです。

神事を決意してから思ったことは、必ず、自分の為だけではなく、親族一円、そして今、ご縁ある全ての人たち、また、ご先祖たちに関わりある全ての人たちの思いを整える人が集まると信じて沖縄に入りました。

当日、驚いたのは参加したほとんどの方が、「天孫子」の家系に繋がる先祖を持つ方ばかりだからこそ、「元正し」と言える大きな神事になりましたし、琉球王朝を最後に倒した島津藩はヤマトの人間だからこそ、沖縄とヤマトを繋ぐ為にヤマトの妻になった奥様も参加してくれました。

男たちの戦いは常に、勝ったほうも負けたほうも永遠にカルマを背負い続けますので、日本民族の魂を守り繋いだ琉球の王様たちに頭を下げて、神和合に力を貸して下さるよう話をしに行きました。
 

沖縄の歴史を調べると、「天孫子」から始まる沖縄開祖(琉球開闢)の王様の流れは、次のようになっています。

舜天王統:舜天1187?-1237? / 舜馬順煕1238-1248 / 義本1249-1259

英祖王統:英祖1259?-1299? / 大成1300-1308 / 英慈1308-1313 / 玉城1313-1336 / 西威1336-1349

察度王統(中山王国):察度1350-1395 / 武寧1396-1405?

怕尼芝王統(北山王国):怕尼芝1322?-1395? / 珉1396?-1400 / 攀安知1401-1416

大里王統(南山王国):承察度1337?-1396? / 汪英紫1388-1402? / 汪応祖1403?-1413? / 他魯毎1415?-1429

第一尚氏王統:尚思紹王1406-1421 / 尚巴志王1421-1439 / 尚忠王1439-1444 / 尚思達王1444-1449 / 尚金福王1449-1453 /尚泰久王1453-1460 / 尚徳王1460-1469

第二尚氏王統:尚円王1469-1476 / 尚宣威王1477 / 尚真王1477-1527 / 尚清王1527-1555 / 尚元王1556-1572 / 尚永王1573-1588 /尚寧王1589-1620 / 尚豊王1621-1640 / 尚賢王1641-1647 / 尚質王1648-1668 / 尚貞王1669-1709 / 尚益王1710-1712 /尚敬王1713-1752 / 尚穆王1752-1794 / 尚温王1795-1802 / 尚成王1803 / 尚�王1804-1834 / 尚育王1835-1847 /尚泰王1848-1872

◎まず最初に訪れた場所は、那覇港にある「三重城(みーぐすく)」です。

 

 

この場所はヤマトの船や琉球王朝の船が出入りしていた港だからこそ、両者の因縁を紐解き、同じ日本国民としての繋がりを繋ぎ直す祈りをしました。今も内地に行き来する沖縄の子供たちが、ご先祖の誰かに問われることが無いよう大きな神エネルギーを繋ぎ直しました。
 

◎二か所目は、12世紀初頭の舜天(しゅんてん)王統、英祖(えいそ)王統、察度(さっと)王統までの220年間の居城である「浦添城跡」に向かいました。ここに先祖の縁がある一人の女性は、神に導かれて起こして欲しい神場所へ私を案内しました。

この場所を見てすぐにわかりましたが、ここは王様たちがこの城を作った時に最初に神を下ろした場所だとわかりました。天の神光を受け止める最も大切な場所で、今回の目的の祈りを捧げました。

 

 

右奥にあるがじゅまるの樹は、人が居なくなったあとも、この場所を守ってくれていました。この樹の神様が、先ほどの神お越しのお礼を言われたと教えてくれました。

 

奥には、「ティーグガマ」があり、戦時中の防空壕として使われ、たくさんの御霊が残っていたので天に繋がる光のラインを作り、不浄御霊が集まらない場に変えました。

 

 

800年前に、この美しい風景の街並みを納めていた人たちのことを感じました。

 

 

◎三か所目は、一人の女性が天女巫女の魂を持っているので、和合した男たちを見守る天女の役目ができるように天女の居る「森の川(ムイヌカー)」へ行きました。

 

 

沖縄で最も古い龍がいる七瀧(ななたき)から水を頂き、森の川の神様へ繋いだあと、お水を頂きました。今回もやはり、男たちは中には入る許可がおりませんでした。※理由は羽衣伝説をお読み下さい。

 

◎四か所目は、中城(なかぐすく)です。
2009年の「村建て神事」で、谷君や仲間たちとハードな御霊あげをした記憶が蘇りました。

 

 

ここ中城と勝連城と首里城の因縁は、大きな男のカルマとして言い伝えられていますが、事実は噂とは違います。
しかし、今、そのことを伝えても民衆の気持ちがおさまる訳ではないので、祈り仲間にだけは真実を伝えておきました。
 

王様に祈りを捧げると、すぐには許可を下さらなかった為に、この場所に大きなお城を建てて差し上げました。
三つの瓦屋根がある霊界の御屋敷です。
魂となった人たちが住む屋敷が出来たことで、「仕方がないので力を貸す」と最後には協力を約束して下さいました。
 

◎五か所目は、移動途中でメッセージが降りたので、読谷伊良皆にある「尚八志の御墓」へ向かいました。
こんな誰も知らないような場所にひっそり立っている墓碑を見つけたは、地元沖縄生まれの60代のご夫婦でした。

普通に生活していはずの見えない聞こえない奥様が、御先祖に突然、乗られて1週間も眠れない日々を送り、自分たちの先祖ルーツを遡ることをしているご夫婦でした。

 

 

墓碑に向かって祈り始めると、何かおかしな感じがします。どうやらここには、「念がけ」がされていて、一族以外が入らないようにしているようです。その「念がけ」をしているのが、 左奥にある大きな石でした。

 

念を外しながら話を聞いてみると、「お前たちに何がわかる!」と怒鳴ります。よほど、自分たちの思いとは違った扱いを受けたために、一族が山の裏で隠しているものがあるようですが、失礼なことはやめて退散しました。
 

今回の全ての拝みが終われば、誰も責めることはないので、地元の方に改めて調べるようにお願いしました。
○○門中や隠された話があることも聞いていますが、今は、一族の思いを大切にしておきましょう。
 

◎この日の最後は、喜屋武(きゃん)の按司であった「喜屋武城(具志川城)」へ向かいました。

ここは御夫婦の先祖ルーツの墓であることもわかっていたので、やっと先祖の御無礼にお詫びが出来ると喜んでくれました。大きな岩に掘られた風葬墓に入っている御先祖に話を聞くと、私たちが大切にしてきた神々を正しく守って欲しいとメッセージがおりました。

火の神ともうひとつの場所は、木札で示されているので、今も拝みをしているようですが、「河の神」と重要な神場所がつぶされていたのを見つけたので、場所を少しだけずらして神々に御挨拶ができるようにしました。
 

公園の階段を上がって右手にある三本の樹の間に神を移しましたので、地元の方はどうぞ、そこで拝みをして下さい。呼び名はわかりませんが、霊界、人間界、神の三つの世界でこの場所を守る大きな「守衛の神様」が居た場所です。
 

参加された方たちの今日の拝みの納め方を教えたあと、色々な話を聞きました。

私が最も大切にしたい神心は、これから神を大切にしたい人たちが、守りたくなるような知恵と心を教えることなので、沖縄に行くたびに勉強会は続けようと思っています。

今日の神事で、琉球の地を守った男たちの思いはひとつになりましたので、どうか、そのことを素直に認めて、先祖に問われる心で拝むのではなく、先祖に喜ばれる拝み方を子供たちに教えられる大人になって下さい。

日本全国でも同じですが、先祖に対する感謝の心さえあれば、方法や道具が変わったとしても先祖たちは問うことはありません。

先祖や神たちが問うことはただひとつ、あなたの神に対する心だけなのです。
 

だからこそ、神を問うなかれ!他人を問うなかれ!そして、自分を問うなかれ!

と大神はいつも申しております。どうか、戦いの心を捨てて、お詫びと感謝の心で祈りをお願いします

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