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吉岡一門 (前)頭領、光に戻り、ありがとうございます

2012年のお正月を親子一緒に楽しく過した2012年1月6日夜、「吉岡家の家長兼頭領」だった父が光に戻りました。

これで、私は、「吉岡憲法 吉岡一門」の最後の生き残りとして、家長兼頭領を正式に私が引き継ぐ意味になりました。

一年少々の闘病生活期間は入退院を繰り返しましたが、母や兄夫婦のおかげ様で、父もとても満足したと思います。
無口で、無骨な人でしたが、私にとっては「神様」と思える人でした。
なぜ父を神様と思えたかというと、一度も他人の陰口や悪口を父の口から聞いたことがないからです。
社会に出て、そういう大人に出会ったことがなかったからこそ、我が父親ながら感謝の言葉しかありません。
父を亡くす意味を考えてみると、先に人生を歩いてくれた背中が無くなったことで、強がりではなく、周りの皆さんのお力を借りながら支え合いの心を気づきなさいと言われている気がします。
母一人を実家に残すことには心苦しいですが、近くに兄が居てくれることに心から感謝します。
年の順に親を見送れる幸せは、先祖と神々の力だと強くを感じるからこそ感謝しています。
「吉岡一門の頭領」して、最後まで私に譲った「頭領」のことは、母にも兄にも話さず、静かに行きました。
350名を超える多くの皆様のご将校を賜り、小作の人たちは、お寺の隅から手を合わせていましたし、弔電・ご供花・香典・通夜に多くの人のご参列を頂きましたことを心から感謝いたします。
全ての方に十分なお礼・ご挨拶ができないことをこの場を借りてお詫び致します。
2006年、神事をする際に、守護存在から言われた言葉があります。
「命をかけて神事をするという意味は、親兄弟・親族が亡くなっても、途中で、後戻りすることは出来ないが、それでもやるか?」
この厳しい宣言を一緒に覚悟しあった当時の仲間のおかげで、尋常ではない世界へ足を踏み入れることになりました。
生きている間に親兄弟の一人一人の死を感じて、亡くなった時の悲しみを先に終える作業を繰り返した時期を思い出します。
何度も苦しい神事を一緒に行ってくれた全国の神事仲間は、それぞれの道で多くの人たちに愛を分け与える素晴らしい人になられています。
私がここまで出来たのも、父のおかげ、母のおかげ、そして、ご先祖様たちのおかげと、心から手を合わせる時間をありがとうございます。

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