2012年3月10日 宮城県の現状と御霊鎮魂祈り

宮城県に入る時に土地神様の力を借りる必要性を感じたので、一宮でもある「塩竈神社」へ6人で向かいました。塩竈神社は、大震災後の大祭を行うかを迷ったそうですが、亡くなった人たちの為にも、大切な神行事を続けると決めたそうです。境内に向かう途中、あちこちで装束や神衣装を来た地元の方たちにお会いました。

今日の宮城県の祈りに、土地を守る神として力を合わせて下さる許可を頂き、お札を三枚購入しました。このお札は、祈りの場所で炊き上げて、神と御霊の思いをひとつにする為です。
津波が、山裾まで押し寄せて、一気に多くの命を失った石巻市内に入りました。
石巻港のあたりは、全て家が流されていて、廃墟になった建物だけが残っていました。
この海から津波が上がって、山の裾野まで一気に全てを押し流しました。
栄えていた漁港の土地も、地盤沈下と道路が壊れ、仮の道路をやっと移動できる状態です。
海のそばに積み上げられた車は、持ち主不明の物も多くあるそうです。
ガレキは、あちこちに積み上げられていますが、1年経っても、いつ整理されるかメドはたっていません。
道路の側に、大きな缶詰会社の広告缶詰が押し流されていました。
住宅街のすぐ横の川には、漁船も押し上げられてしまっています。
1時間以上、石巻市内を回って現状を知ったあと、祈りの場所を決めました。
津波が川を上ってきた時に、最も多くの命が集まった中州で祈りを行いました。
多くの悲しみが、まだ、この土地には残っていますし、商店街も人はまばらで、駅前に数件だけ食事ができる店がある程度です。
命の循環と再生には時間がかかる場所だと思いますが、どうか、今、生きて生活している人たちの命が繋がるようにお願いします。
石巻市から女川町へ向かう道路の横に、仮設住宅がありました。失礼だとは思いましたが、皆さんの為に写真を撮りました。どうか、今、ここで生きている人たちがいることを忘れないで下さいね。
女川町に、入りました。
でも、町はありません。
まったく、命の灯火が消えてしまった町の姿です。
この建物の裏の山の上に、一件だけ電気がついていました。
お寺か神社のようですが、土地を見守る神仏に感謝を伝えました。
何もない空間の一番奥は、林になっていますが、中へ入ってみると、そこには、津波で押し寄せられた生活の残骸がそのまま残っている場所でした。
一番、奥まで進んでみましたが、そこには、もと住宅街があり、子供たちが遊び回り、山からきれいな水も流れている場所でした。
その場所に立つと、誰もが言葉を失いました。1年経っても、ここは、時間が止まっていたからです。
私たちに今、できることは、天へ上がりたい御霊たちに体を貸し、祈りの力で神々に繋いで御霊の再生を手伝うことしかできません。
必死に必死に、祈りました。
海側の町は明日のイベントの為に一切、宿が取れなかったので岩手県丹沢まで戻りましたが、道の途中で小さな愛を見つけました。
震災後、誰かが、道の側に「お地蔵さん」を置いてくれたのです。
道を通る人たちの安全と、ガレキを運んでくれるトラックの運転手さんたちを、そっと見守るように・・・。
ありがとう、ありがとう、そして、ありがとうございます。
誰かの、本の少しの愛の行動で、誰かが、また勇気を持てるかもしれません。
私たちの祈りも、誰かの為になると信じて、明日も、頑張ります。
そして、どうもすいません。
この日予定していた気仙沼市は、移動に時間がかかりすぎたので、明日、改めて伺います。
神々の守護、そして、たくさんの人たちの祈り力と愛に支えられていることを、誰もが感じています。
私たちの代わりに、ありがとう、そして、どうも、すいません。
必ず、私たちにできることは、させて頂きます。

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