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【長野県】 諏訪神事 2日目-1「御柱の本当の意味」

二日目の朝は、関西から二名の巫女が合流しました。今日は、諏訪大社・上社方面に入る前の下準備として元々、土地を守っていた先人に挨拶するべき場所をサニワして決めました。

まずは、諏訪上社に深く関わる「守矢家」の初代大祝(おおほおり)が眠る「御射山神社(みしゃやまじんじゃ)」へ行くことになりました。

その車中、何度も神事に参加している関東巫女に異変が起こり、突然、神がかりして泣き出してしまいました。

最初に、かかってきた相手は、このあたり一帯の父神である「八ヶ岳の山神」の言葉が降りてきました。

そのあとは、御柱に埋められた「御柱巫女」を見守る神様の言葉でした。

(山神の言葉)

主の神山を守るために、いくつもの命を捧げた者達がいるが、それは、私達が望んだのではなく 自らの証としてその印を立てたまでのこと。

それは、お前達人間の行いだからこそ、我らは問わぬ。だが、その子供の扱いについては問うこともあるからこそ、よくその子らの神々の思いを知り賜いておくれ。よろしく頼む。

 

(天無神人の読み取りの記録)

これは、八ヶ岳の男神の思いだ。たくさんの人間の巫女達を祀ったんだ。

山神と繋ぐために・・・契約なんで・・・。

ということは、白山系の巫女が、絶対一人は入っているはずだ・・・。

そうしないと、神山(白山)の神と繋がらないから・・・、巫女魂、魂を運ばせるために・・・。

(関西から来た)Yさん!白山系の巫女の記憶はないでしょうか?

Yさん:あります!

そこでしょう!あなたは、魂を繋ぐためにここに使われてきたんでしょう。そして、ここに、祀られてきたんでしょう・・・きっと・・・。

祀られている女性の女神達、姫達の名前は、多くは山の神と繋ぐために祀られた姫神巫女達の名前です。だからこそ、その事をわかってあげて手を合わせて下さい。

その名前は、後から入って来た人達によって変えられているけれど、本来は、その巫女達を神として祀って繋いでいます。それが、「元神繋ぎ」なんです。では、Yさん、宜しくお願いします。

・・・ということは、関西から来たTさんの魂も、どっかにあるな・・・。Tさん!どっかにあるよ、あなたの魂が・・・。

(ここで御柱巫女を見守る神の言葉が降りました)

香具土山の、山神の思い奉りますれば、それ、香具山の香具姫の想いたるやと繋がりし、香具山の証たまいてツクヨミの、黄泉の光の守り巫女。それらの神山の、想い知る力の封印、玉手箱。

カグツチとは、記紀神話(日本神話)における火の神のことで、母神山である蓼科山に祀っているという意味です。※香具山については、こちらをご覧下さい。

神山たたえて、祀り神。

神山たたえて、祀り神。

祀りごと、御柱立て祀るは国おさめ。

その魂、繋ぎたまいて納め玉意思のこと、御柱とも言われる、その柱。

支えし守りし姫達の、御柱と御霊となりにけり。

その柱を守ることゆえに、御霊の守り巫女。

繋ぎし天地の想いやり。

その柱こそ、人柱。

おん自ら守りしことと、命をかけて守りし人々。

それ、想い違えず、守り違えず。

自らの守り巫女達、鏡族のいわれのある者。

御柱の光となりて、継ぐし清めの当たらぬ先に、その魂を宿らせる。

その守りの光の繋ぎを繋ぐため、御柱の矛先を削り賜いて、尖らせたまいて、命の光とするものなり。

御柱、立て祀るは神終わりの七年を持ちまして、始まりと終わりのけじめ。

おん新たに立て祀るその時には、その柱に巫女を埋め、その地繋がりし一族の証となること、その守り。

ゆえに、その一族一縁は、決してその事伝えることならずと言われ、一族一縁、御霊を差し出す者達こそが 御柱の守り巫女となり。

その男を鏡族支えし者達が、神役目の神官となりました。

おのずの光をひとつとなして、その守りし想いを明かさずに、閉じてたまいて繋がりし、今も続くはその光、その働きを繋ぎしことは、血の争い違わぬように縁を結びて、繋がりたまいて決して賜いて、その玉巫女達は、母に生まれし者達は、男の子が生まれればその守り神。

女の子が生まれれば、柱巫女。

選ぶことも許されず、命の一族、引き守り。

その宮ルールを作りし者は 秦氏一族の長たる者が、決めた証と繋がりし。

陰陽師も知るがゆえ、一族神官裏守り。

一族神官裏隠し、ゆえに本当のことは明かされず。

ゆえに、守りし消されず、どこにあるかはわからぬが、御柱のおん宮の中の姫巫女だけが、その全てを知っておりまするがゆえに、お貸し下さいませ、力のかぎり。

 

(天無神人の判断)

そうか!その姫達に、封印させているんだ。

Yさん!香具山って大和にありますか?

Yさん:香具山って、奈良の香具山ですよね。

どっちかな~。伊勢系がやっているのか、出雲系がやっているのか・・・

このあと、宇宙語で細かい事を確認すると、多くの事実がわかりましたのでご説明します。

まず、お宮の中にあった八方結界は、八ヶ岳の男神の力を使っていますし、男神の力を繋いでいる証です。

結界の内側の名前は、その力を持って来た修験者達の一族名前です。その一族は、家系として「御柱巫女」になる決まりがあります。

御柱巫女を産んだ母が、次に、男の子を産めば、その子は御柱を守る神官になりますし、女の子が生まれれば、順番に御柱巫女になる決まりです。

この事を母は、その対象年齢になるまで本人には言ってはいけない決まりがありました。この家族が誰かということも、他の者達には知られてはいけない決まりです。

男達は、自分の娘達が御柱になっているので、それを守るために神官をやっていますし、御柱を取り合う男達の意味は、どこの地区が柱巫女を出すかを決める祭りだからです。

なかでも、強い神の力・山神と繋いだ場所には、「姫」として、そこにお宮を建て祀っています。

もともと、御柱は、山神に参拝する為の目印のようなものだったのですが、人間の都合で、国を守るため、柱に「人柱(ひとばしら)」を入れるようになりました。

白山巫女、倭巫女、両方の巫女の命を持ってきています。

また、御柱の巫女を産み出す家系もあったようです。

鏡一族の巫女も、ここに連れてこられました。

それには、陰陽師も、秦氏も関係していました。

古い時代、御柱に女子を入れていた時代があったようです。

車中で、この言葉降ろしが終わると、ちょうど、「御射山神社(みしゃやまじんじゃ)」に着きました。

この場所では、守矢一族の土地に後から入り、国を勝ち取った大国主の子供の魂を持つ巫女が、先頭に立ってお詫び祈りをしてくれました。※今世、肉体は女性に生まれていますが、魂は男の子の記憶が強い女性です。

過去に勝った者が、負かした相手に頭を下げてこそ、過去の因縁を終わらせることが出来るので、彼女に先頭をお願いして頭を下げてもらいましたが、結局は、大国主も次の勢力に負けた思いを知っているからこそ出来る賢い行動が頭を下げる意味なのです。

人として愚かな人ほど頭を下げることに抵抗をしますが、「実るほど首を垂れる稲穂かな」を心の底から理解して頭を下げる祈りは、先祖や過去の因縁を終わらせる大切な方法なのです。

敷地内の巫女御霊を祈り上げて、自然神、山神のラインを繋ぐ祈りを何度もしました。

この場所は祭事場で、昔、御柱巫女の神事と山神の神事をしていたようです。

しかし、湧き水があり、光が強く、とても気持ちのいい空間でした。

 

 ー御射山神社での神降り言葉ー

繋ぎて鍵よしとするも、これ泣かれなみ。

その涙の想い、雫と垂れや。

これ想いたるやのこと、雫、この地多かれ。

人の涙の支えられし者、祝いたまいて、繋ぎたまいて、大元繋がりし神山の想い。

ひとつに結び賜う場所なればこそ、これ賜い叶いて、全ての御霊の想い、ひとつとなるようこの地の詫び。

心の中にあるもの、ひとつにおわすものの、その裏の想いを知り賜いて、神守りし魂こと、ひとつの想いと知り賜え。

いさぎよしとするもの、これ、一族の想いなればこそ、そこにあらぬが女の気持ち。

それたまいて、受けたまいて、心あらわしたまいて、大元の光、自らの光と合わせたまいて候。

お墓の前で初代大祝(おおほおり)に質問してみました。

「何故、御柱を立てたのでしょうか?」

私達がしてきたことは、ただ自然の神々をあやつるのではなく、その力の繋がりに気づいた者達がそれに感謝出来るように知恵を与え、生かされている自然神の神々に心、手を合わす方法や場所を作り教えてきたのですが、そのことを人間の意図で、こうしたいああしたいというばかりに沢山の法力を使い、いろんな形を組み替え組み立てて、その形となるものとしたそのひとつが御柱であります。

それは、私達の願いとは全く違ったものであり、その本来の形を知る者達がその事を受け入れず ここにおわす。

本来の者達の想いを大切にしてくれる証として、その封印結界の形をここにまで押し込める事は、さけております。

それは、後から入ってきた諏訪族達の想いでもあり、その事の過去の封印でもあるからこそ、我々はその土地を守って来た自然神の本来の大きな神としての繋がりを作る力を繋いでおりますからこそ、それ意外の人間の邪念のようなものは持ち込んで欲しくなく、その想いが今も残っているものだとご理解下さい。よろしくお願い致します。

大国主との話し合いもありましたが、それは古く、昔の話だからこそ、あまりその事は表に出ませんが、多くの話し合いの結果として、その形しかなかったということもひとつはあります。

ただ、そのことが犠牲、つまり苦しみばかりではなく、その御柱となる心の積もりつもった巫女達の想いは、多くの昔から沢山の人の命を救う為に捧げた者達もおります。

ただ、その全てをまだ理解出来ない幼子達の泣き叫ぶ思いや、その家族の思いに関してはどうすることも出来ないのが、いつの世の常でございますからこそ、どちらかを問うのではなく、その思いを知る者達が、その心を合わせて守って下さっている者達の心を一つにして、問う心を鞘(さや)に納めて下さい。

私達は誰かを問うつもりはありませんが、筋を知らぬ者、人の心が解らぬ者、そしてその言葉にせずとも見守っている者達の想いが解らぬ者の心においては、一番の神の行いの証として傷を付けたことになりまするがゆえ、その詫びについては、一番厳しく通さなければ怒ります。

私が言うことではありませんが 大国主の大神様も、いろいろな想いをされているからこそ、多くの想いを問うことはいたしませぬが、共に、この国を守ろうとした想いは同じであったことだけは覚えておいて下さい。どうぞ、宜しくお願い致します。

つづく

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