あなたは決して一人ではない

御霊の神に 仰せの祈り、
 

御霊の神に しつらえの祈り、
 
御霊の神に 大やけどの祈り、行いなさい。
 
大難と思える起きる出来事、世の流れ、世俗の風潮・うわさに振り回されず、神に心を合わせ続けて、人を問わず、神を問わず、自らの心の闇に光を当てる祈りをしなさい。
 
多くの物事は、自分の心の捉え方で変わるもの。
 
あなたが迷えば家族全てが迷い、あなたが狂えば家族全てが狂います。
「あなたは、あなたであって、あなたではない」と言われる意味は、あなたは決して一人ではないという意味です。
「命」を自分のものと思ってはいけません。
「魂」を自分だけのものだと思ってもいけません。
肉体という箱を頂いた先祖に感謝することは命の重さを計ることではなく、魂が与えられて、今も、生かされている意味に気づきなさいという意味だからこそ、自らを問わぬように、人も神もそのあり方を問いてはいけません。
教える事ができる人は、自分の過去全ての思いを善悪ではなく、感謝の心で伝えなさい。
教わる気持ちがある人は、明日、教える立場になることを想定して、次の世代の人たちがどう自分で道を切り開くか、自らが体験した生き方の視点を変えて伝える方法を学びなさい。
この世の中で起きることに、正しいことなどありません。
誰かにとって、賞賛したい人がいるだけです。
この世の中に起きることで、悪いことなどありません。
誰かにとって、都合が悪いことがあるだけなのです。
「世の常」を話す人は過去に生きている人ですから、新しい未来を創るためには、先人に感謝して、自分が信じた道を進むことですが、避難や中傷を恐れてはいけません。
信じる仲間を一人持てば、それは、戦友の如き、魂の仲間に出会えたと思い、前に進みなさい。
苦しいこと、辛いこと、悲しいことは、まだ、自分で乗り越えられない幼い心を持っているのだと気づき、その幼さのひとつひとつを許し、認め、前に進む努力をしなさい。
失敗を恐れることは、子供よりも愚かな心だからこそ、恐れを克服するためにも、自分のしたいことができるように、失敗を乗り越えた意思を積み上げるように生きなさい。
誰かの評価が気になる人は、誰かを評価したい心に満ち溢れているからこそ、その愚かさに気づいた時から心を入れ替えて、余計なことは言わないと決めて進みなさい。
世の中の善悪は、「闇があってこその光」と気づくならば、勝とうとしている心の奥底の負けたくない愚かな自分の弱さを認め、互いが気づき合う為の知恵に気づきなさい。
親友は、あなたを最もわかってくれる人かもしれませんが、あなたを誰よりもわかっているのは、あなたの中にある「魂」だと気づきなさい。
誰かに「信頼」を押し付ける愚かさに気づいた人は、不安な時ほど、自分に心に向き合って、不安の奥底にある「恐れ」を手放しなさい。
信じるものを信じ続ける自分さえいれば、何が起きても揺るがずに、自分の信じた道を進めばいいのです。
「自分を信じた分だけ他人を許せる」と心得た人は、今よりも多く自分を許す心を学びなさい。
愛する人を信じる段階で、許せない時こそ、自分の我欲の戦いなのです。
愛するとは、本来、何があっても、全てのことを、どんな状態になっても愛するという状態だからこそ、それ以外の愛は、全て無意識
の「条件付き愛」だと気づき、愛と愛情の差を学びなさい。
無常、非常、情けがないと思える時ほど、どれほど大きな愛の思いで自分が包み込まれているかを悟りなさい。
言葉をかけず、電話をせず、ただ、じっと、あなたが自分で気づくのを信じて見守っている人がいることに気づきなさい。
愛の行動とは、その心を持って、なお、自らの意思を立てる行動をする人のことを言うのです。
「今」を大切にしなさい。
「今」、思うこと全てが、あなたの信じる未来を創るのです。
不完全な自分の「今」を認め許すことこそ、完全な道の一歩ですので、今日を、今を、感謝して生きなさい。
愛する相手がいてくれて、ありがとうございます。
許しあえる仲間がいてくれて、ありがとうございます。
信じあえる仲間がいてくれて、ありがとうございます。
裏切り、憎しみ、苦しみの的にしていただき、ありがとうございます。
喜び、感謝、愛の対象にしていただいて、ありがとうございます。
今、私は、「生きております」。ありがとうございます。

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