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秦河勝(はたかわかつ)のメッセージ

それでは、とても古い時代に日本に入り、民衆たちに生きる知恵と技術を伝えてくれた秦河勝(はたかわかつ)さんに関わる場所を訪れてみましょう。

 

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◎大阪府寝屋川市の熱田神社(太秦うずまさ廃寺跡) 2013.01.13

 1800年前の弥生時代、後ろの古墳の場所に全国的に珍しい高地性集落があった記録があり、現在、神社がある場所には古墳を守るお寺があったことまでは聞いていましたが、着いて驚いたのは、神社の鳥居に人が通れないようにしめ飾りを吊るし、境内には、八方除けの方位陣が組まれていたことです。
 

正月が明けるまで、魔を一切入れない方位陣を組んだのも地元の方だと思いますが、昔からこうやってご先祖たちを守っていたのでしょうね。

お社や後ろの古墳から色々なメッセージはありましたが、近くに秦河勝の墓があると聞いたので向かいました。住宅街の中にその場所を見つけましたが、天の光は繋がっていますが、地に眠る人たちの力は強くないので、やはり、先ほどの場所に先祖たちの思いは集まっているようです。


 

ご近所の皆様もきっと秦氏に関係する人たちが多いと思い、失礼のないよう早々に土地を離れましたが、車に乗ると、私の体に大きなカカリがきたので、ファミレスに入って50分間もメッセージを下ろし続けました。どうぞ、秦一族の方達は、次の世代へこの言葉を伝え残して下さい。 

<秦河勝からのメッセージ>

お前達に言う事がある。お前達にまずわかって欲しい事はこの地に住む者達、人々は全てではないが、元秦一族であり、そして、その時に連れて来た者達、この地において奴隷として使ってきた者達までも全ての者達がこの地域に集められたからこそ、この事についてどの様な集落として扱われているかはお前達が知ってる通りだが、その事について誰もが公に出来ないのは、その事について扱いがとても複雑であり、そして、最後は我々の様な頭領までもが裁かれ、そこに追いやられたからこそ、その記録を正しく残す事が出来ず とても無念な思いが沢山ある者達がいるのだ。

それは私だけではなく、その連れて来た一族全ての思いさえも踏みにじる行為だからこそ、祖先の地を追われた身でありながら、その命(めい)を受け、この地に文化を伝承し知恵を授けた者でありながらも、この様な扱いを受けるとは思ってもみなかったからこそ、とても無念でもあり、でもまたそれが政治、策略、取引の天皇(テンスメラ)の働きによるとは言えないが、ただその影に追いやられた者の思いがある事だけは正しく伝えておくれと、ただそれを願うばかりである。
 

そして、この地に追いやられた者のうち、いくらかの富を持つ者の達は、この地を出て行った者達もいるが、その者達がそれぞれの場所でやはり、この先祖の地へ拝みが出来る様に色々な形を変え、繋がりを作る事をわかっている者達が未だにいるからこそ、この一族血縁の血は絶える事なく、未だにその思いは続いているのだと言う事をわかっておくれ。

 我々がこの地に来なければいけなかった理由は幾つかあるが、ひとつはこの地における安定、平成の為にその地へ文化を持って、この地の民達の生活を整えるのが役目だったからこそ、まず人の手を借り、そこに技術を教え、そして食うため生きるために必要な技術を教え、それがしいては国の役に立ち、そして、民達が生き残る為に沢山の技術を教えるために職人達を連れて来たのだが、その事の思いさえもなかなか伝わらず、我々が連れて来た職人達も、実の家に帰す事は出来ず、その思いの無念さはとても大きい。大いなる流れとはいえ、とても無念でならぬ。

 時において、その道を問わず争わずと言う事を考えていたが、どうしてもこの主(あるじ)について行かねばならぬと言って一族を離れた者達もおるし、その者達は名を変え、姓を変え、自らが秦一族ではないと言う事を示さぬ様、一生懸命に生き抜いた者達がいることも知っておる。だからこそ、その者達の思いをわかっておくれ。

 生きると言う事は並大抵の事ではなく、どの時代においてもそこにおれば、大事なものを守るためにこだわりすぎれば言うまでもなくその地で命を落とすしかないからこそ、子に未来を託す親は自らの姓を捨ててまで主(あるじ)を変え、どんな仕事でも受け入れ、生きようとした者達がいたからこそ、今、お前達が住むこの土地が整い住む場所が出来ているのだと言う事をわかっておいておくれ。

 私達がどの様に正しく祀られたかはどこに行ってもその証を立てる事は出来ず、歴史の影に消えてしまった訳ではないのだが、どうしてもその思いを正しく弔う事が出来ず、その国への恩返しすら出来ないほど、もう元の国さえなくなってしまっているのだから、我々はこの地で生きて行くしかないと言う事ばかりを考え、共に助け合い生きて来たものだ。

 だから、どの様な時代の流れの中でどの様な位置にあるべきかは、それぞれの者達が自らで判断をして生きぬいて行かなければならないからこそ、その事についてから語り継ぐ事を許されず、また、史書に残される事も許されず、ただその思いだけを大切に抱えて、死んで行った者達が沢山いることをわかっておくれ。

 私はもう誰かを責めるつもりはない。その事だけではなく、また我々を責め支配した者達でさえ責める気はない。何も言う事はないのだ。

 誰かが家族を持って命を繋ぎ、生きてくれればと思うからこそ、その事を守りたい者達の思いは沢山あるが、私が何かをして欲しいとは思わぬ。

 時にこの地に繋がる者の行く末と言えば、これから皆がその道を開くであろうからこそ、私に出来る事はそれほど多くはないが、お前達はこの地を守り繋ぐ心が同じであるならば、共に授けるこの一族の思いと同じ魂の繋がりを持つ者として、その同胞として我々は迎えよう。この地を育む仲間として共に働こうではないか。

 多くの神仏を見守る者達もおるが、我々はその事について形を問う事はせん。決まり事を押し付ける事もせず、共に歩めば良いのではないかと言う道を探して来たからこそ、あえてその神の形や礼儀作法や仕方においてとやかく言う事はせず、その本質たるや命を守る事において充分な教えをしてきたつもりだからこそ、この時代における神仏の本来の光とは我々が繋いだ物だと言う事をわかって欲しいのだ。

 共に民を同じくして命を分かち合う者、食べ物を作ってくれる民達がいるからこそ、衣服を機を織ってくれる者達がいるからこそ、蚕を育ててくれる者達がいるからこそ、食を営む者達がいるからこそ、どの時代においても多くの民達が生かされたのだ。

 その事を支配と言えばそうかも知れぬ。しかし、我々はそうやってひとつの大きな社会を形成する為に長く大きな時間と手間をかけてきたはずなのだが、いつしか大きな支配が・・・ 支配の力が入って来たため、我々も体制に逆らう事が出来ず、本家から知恵を借り、その繋ぎ元の力を学ぼうとする者達がいたからこそ、色々な場所で神仏守りの事も覚えた様だが、本来はその中にある光とは、「イスラエルの光」なのだ。

 我々が守って来たものは、その本質こそがそこにあるからこそ、形を問わず世の民族を通して繋がれる光を繋いで行こうと言う思いは今も同じである。だからもう問う事はせず、責めぬ故に共に道・・・その同じ道を探そうではないか。

 幾ばくもなく消えた民達の命の事については、お前達が心配せぬとも多くの者達がその弔いをして来たからこそもう、そのさまよえる御霊達はここにおらぬ。我々がその光を持って天に帰し全ての再生の為の準備がなされている。

 ただ思い起こして欲しいのは、歴史の影に隠れた故に今の光と繋がらない事だ。その光が天・・天皇神(てんすめらがみ)の光と同じくあらばこそ、その力となればと思い、多くの物事を教え導いて来たつもりだが、多くの者達がその事を正しく伝えず伝わらず消えて行った事だけが悲しい。

 何故、私が神道の影に隠れ、仏教の袈裟をかぶり、その姿を同じく見せたかと言えば、それは争いをせぬためなのだ。その国の民達が信ずる物を受け入れなければ我々さえ生き残るすべがなかったからこそ、共に生かしあうとはその道を探る事であり、その中心にある光がイスラエルの光であることさえ知っていれば、それは我々が大きな声でその事を掲げる事もないが、またもっと多くの民に知らせる事ばかりに気を配る時間もなかったが、ただ今ではその思いが一心光となって繋がる事だけを願っておる。故に、苦渋の選択であったこともわかっておいて欲しい 。

 受け入れる事こそが魂を生かすことであり、その光を生かすことである事も同胞としてわかっておいて欲しいのだ。その命を血と血で争うのではなく、魂が繋がる様に争いをせずに受け入れる事が大切な事なのだ。その事だけは、よおくわかっておくれ。

 お前達がこれからの歩く道となるであろうし、その事を望む者達が沢山いるからこそ、ユダヤの道ではなく、イスラエルの道であると思うのならばその道を歩いておくれ。

 その聖なる知恵を持つ仲間達がこの地に集まったからこそ、多くの者達の思いもあるが、共に光は元々同じであったとしているからこそ、争いをせずに消えていった事、去って行った者達が多くいた事を覚えておいておくれ。私が皆に伝えられる事はこれだけなので、これからもまたよろしく頼むな。

 時における時代の流れは早く、我々の思いが消える時も来るだろう。また新たな者達へその光繋いでおくれと願うばかりである。

 ◎「聖徳太子」について言えばこれだけは言える。その者は光そのものであり、これは我々が守って来た証そのものであるからこそ、時に人を変え、時に架空の様な形にも見せ、様々な形でその時その時を変え続け、生かし続けて来た我々の大切な命の光だからこそ、その事についてはもう誰も問う者はおらぬであろう。ただ、その光を欲しがる者は多くいるがな・・・ ワッハッハッハ

このメッセージを聞いて、秦河勝という人は大きな愛の人だったという事を全員が学びましたので、もう一度、熱田神社へお礼に伺いました。薄明かり写る御霊たちが、感謝を伝えてくれています。

「聖徳太子」が実在するかどうかを長い間、問う方もいましたが、これで理解できましたね!

「聖徳太子」は、秦氏が持ってきたイスラエルの光そのものだからこそ、実在したように見せかけて続けて、日本の神力を世界へ示す知恵が秦河勝にあったということです。

このイスラエルの光が最終的にどこに収まったかと言えば、たくさんの民族争いの結果、日本全体を守る為に統一した日本国家の象徴である天皇家の守護神、そして、日本神道の大神として祀られている「天照大神様」の後ろに控えていらっっしゃいます。

これから天照大神様に手を合わせる時は、この意味を思い出して、正しい日本の歴史、古事記、日本書紀、日本神話を読み解く心の力を持って、後世に日本国家形成に命を捧げた人たちの本当の思いや事実を伝えて下さい。

まだ国家として統一されていない時代の日本に世界中から多くの民族が入ったからこそ、最初に、日本を統一国家として形づくる方法として民族たちに生き残る術をたくさん伝えてくれた秦氏一族に心から感謝を贈りたいと思います。

全ての先人たちの神心と知恵に感謝して、新しい愛の光を私たちが未来へ繋ぎましょう!

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