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【京都府】 出雲大神宮(元出雲)・真名井神社・籠神社

7月13日に行いました関西神事ワークは、関西の地にある出雲大神宮(元出雲)の紐解きから始まりました。

(磐座メッセージ)

こんなにも多くの方が来てくれたのは嬉しいが、何のために来たのか教えてくれ。

そうか…いかがしようか。「光の玉の場所」を教えようか、教えるべきか、今、相談している。

しばらく行けばわかると思うが、その場所がわかれば、お前たちにその力があるという事だからな!

(稲荷社メッセージ)

ようこそお越し下さいました。皆さんの中に特にこの地に由緒・由縁のある方がいますね。その方は特にその思いを繋いで下さいね。しっかり守りますので、よろしくお願いします。

ここで、青・赤・黄・白・金の玉を5名が頂きましたので、すぐ隣の「みかげの滝」(龍神)にてお礼の祈りをしました。

(笑殿社メッセージ)

国譲り馳せ給いて、事の改め、決め直す時に、私がその役目を果たしておりまする。

所々の場所により意味が変わりまするが、本来、国のまとめ収めをする時、意味を変える時に、その役目を果たしておりまする。

つまり、裏と表のルールを変えるとか、それまで言われていた事の意味を変えるとか、そういう役目があるという事を覚えておいて下さいませ。元々、お持ちですから神霊司る役目、与えます。

(崇神天皇社メッセージ)

国給えまして、国栄えあれと我、思い給えて、この地に、この勅命成す事、賜れば、この地に神を収めるがごとく、この地に治める神々の思いを一つにまとめよと、思いの馳せたまいて、この地に来らるる者達の思い束ね、繋ぎたまいて、守りいたしておりまする。行く末の世が、永遠に続く事だけを願っておりまする。よろしくお願いいたし申す。

(上の社 メッセージ)※スサノオ&クシナダヒメ

イワナガヒメと言わず、奇稲田姫と書いてある意味をご理解下さいませ。

おわします神々の守りの役目としてここにおりまするが、それ以外にもいろいろな働きをしておりますが、あまり正しくは伝えられておりません。

思い馳せ給いて、この地守る事、とても大変な為、この地守りおさえの地・要の地として働いております。

どうぞご理解下さいませ。ありがとうございます。


(御神体山メッセージ)

矢面に、国、栄えたおらんば、矢面に、国、建前祀りますれば、矢表裏なりとなるがごとし、心根の芯軸立て給えと申します。

心に、裏と表がある者は、神にも人にも問われます。

己の心の中に嘘無きように、正直に生きること、おそれおおきかな。

国始まりの、真っ直ぐな光と同じでございます。

黒太夫社(猿田彦)のお言葉

(御影山についての意味 )

御影山における神の思い・人の思いについて・・・御影山は、本来、この地にあるものではなく、この地の役目が与えられた時にその名前がつきましたが、本来の山達の意味はもっと自然の中に調和したひとつのシンプルな山としてお考え下さいませ。

その時には、先住民の方達も普通の山として出入りをし、 食べ物や獣や命の循環を上手にしていた民達が暮らしておりましたし、その後に来た古い秦氏や物部の方達と共に生きる意味での命の循環を大切にしておりましたが、元々、山にある岩における意味については、それぞれの言い伝えが変わっておりまするがゆえに、その思いを1つずつ公開する事は難しいですが、元々は、山の意味として、ここから御影石が出た事によるものでございます。

御影石の力は、全ての陰を納める強い力があったからこそ、それを霊石として、拝み、その力を持ってあらゆるものを納め守るという意味で神力があると信じられはじめましたが、それは、人間における意味であり、本来の自然の中においては、そういう意味だけではありませんが、その力を理解し信じた人間達は、その力が欲しくて奪い合いもおきましたし、多くの民達がこの裾野で殺された事もありまする。

それは、全ての物事を陰に隠すという意味もあり、もともとここに置かれた時に祀られた崇神天皇の意味は、その時代における事だからです。

それまでのいきさつについては、様々な者達が力を合わせるように生きていたからこそ、大きなもめごとはありませんでしたが、あなた方の言う「出雲族」という呼び方からすると、その方々がここにやって来た時に、共に生きる上で最も大切な事は何かという意味で自然の神々に拝みをするという意味においては最も自然な形でありましたが、岩の形の意味やその力に念を込めたのは、その後の話でございます。

神の名を岩に書くなどという愚かな思いは人間にだけに出来る事であり、本来は、神の意思・意味においてはそこに何も意味を持たないからこそ、存在のエネルギーを感じ取ることが出来るものでございますが、そこに神の名を祀る事において人が手を合わせれば、その力がご神体となる事は明らかであり、その力をもって出雲の力で、この地を封じ込めるという意味がございます。

それは、大きな意味では、天皇家の御陵を守るためにそれまでの先人達の多いを封じ込めるという意味がございます。

そして、もう1つ大きな意味では、この地を守っていた出雲族の方達の思いを祀る事によって、荒ぶる怒りが起きぬようにするという意味もございまする。

自然の摂理に従えば、岩は崩れ、山・川は流れ、形は変わるものでございまするが、人間が良きにつけ、悪しきにつけ、
手を加える事によって、山の摂理は動かぬように固定されるからこそ、その場の思いをもって固定をしております。

あなた方の足が入る事が出来なかった禁足地には、もっといろいろな神という名を持つ意味や、その由縁・由緒を持つ意味を隠すように祀る場所が沢山ありまするが、それはもう神職でさえも、全ての意味を読み取る事が出来ず、ただ守る事さえやっというのが現状でございまする。

よく自然の中にある磐座には神がいると申されますが、本来は、それはあなた方が祀る神とは違い、本来の自然循環の中において大切な命を育む意味と、もう1つは山の力から生み出される男山・女山の意味や、またもう1つは、山と山を繋ぐアンテナや、レーダーの意味があったり、それぞれ地球の内側から溢れ出るように湧き上がったその力によって生命の繋がりがあるものでございます。

その意味をもってすれば、随分、話が変わってきた事は確かですが、あなた達が歴史における人間の思いを問うのであれば、それは出雲族の封印ではなく、納め守る事に感謝するという良い意味で理解すればよいのではないでしょうか。

元々この地を納めていたというよりは調和をして暮らしていた出雲族の方達は、たいそう知恵者が多く、多くの者たちの交流の場や情報の提供、そして協力的にお互いを支え合う信頼関係を作るために労をつくしていたからこそ、土地の民達が大きな争いを起こすことはありませんでした。

しかし、都を選定し、その都を守るために過去の力を抑え込まねばという発言の裏には、その力をもって守りとする要とする・支えとするという意味において、「表看板 出雲大神宮」ですが、実は裏で、「アマテラスの抑え守り」という意味がございます。

それはここだけに限らず、あらゆる場所にその裏守りの陰陽五行に沿うような形で何箇所にもその場所を作っておりますが、それが少ししずつ力が解けてきておりまするがゆえに、守ることも、封印することも出来ないような状態がありまする。

つまり、人間が作ったものは、人間が信じなければその力は働かず、その力が永遠なるものに思うのは人間だけの間違いでございます。

山の神の力と申されれば、それは大山祇神が最も大きな力を持っておりまするがゆえに、スサノオの妻「奇稲田姫」と書かれた場所でイワナガヒメをもと言った意味も添えておきますれば、本来、最も山の力の恐るる力に夫婦で入れる意味は、陰陽のバランスを取って下さいという思いがございます。

大山祇神の娘であるイワナガヒメが最もその力が強いからこそ、本来は、あのニ人の名前の後ろに、イワナガヒメが祀られていると思ってくださればよいでしょう。

イワナガヒメは生きる上で、一番大切な命を生み出す為の強い力や、守りの要となるものを守っていた神でございます。

その巫女がいなければ、命の循環を守ることが出来なかったからこそ、美しい華やかなものだけに囚われたもの達が、どれほど無惨生き方になったかはご理解できるでしょう。

命の生み出し守るのは誰かと言われれば、やはりそれは、父親に命をうけ、産み出しを守れといわれたイワナガヒメでありまするし、その力があってこそ、山の摂理、循環が起き、その力によって民達や生類全ての豊かな水や種や植物や獣が生き・生かされ、人間も生きておるのでございます。

つまり、生命循環の最もすばらしい形で守られていた山であるということをご理解下さいませ。

そういう意味では、今も大切に守ろうとしているからこそ問題はありませんが、あなた方の心の中で問うことであれば、伊勢族との思いでしょうが、それはある意味、もう消えてしまった都の力からいえばそれほど闇という意味ではなく、様々な場所の土地における人たちの思いと、伊勢族の思いと、それに関わる巫女達の思いであり、ただその陰で支えた物部・秦氏の人達や、さらにもっと古くから住んでいた先人達の思いがあるのだとご理解下さればありがたく思います。

ちなみに、秦氏が祀られている稲荷社には、秦氏のとても素敵な巫女が祀られておりますからこそ、隣に滝があり、命の循環を守りつづけたすばらしい巫女があなた達に必要な色の力、そして、エネルギーの元玉を差し上げたのでございます。

あそこにいらっしゃる巫女神様はとても美しく聡明な方ですので、誰にでもその知恵を与える事を喜びとしておりまするがゆえに、いただいた玉を自分のものとせず、多くの方達にその恵を授ける心で神に向き合う時、人に向き合う時、自分に向き合う時にその言葉を思い返して伝えて下さいませ。

山はひとつではございまするが、人の思いは何重にも重なっておりまするがゆえに、あなた方が問われる・問う心で物事を見ればそこは因縁に見えまするし、そこにあるものが感謝と光で崇拝する心で向き合えば、全てが光に見えるでしょう。

人の命が亡くなった事を問うのであれば、それは、摂理の一部であるとしか、言いようがございません。

力によって殺された者や、また戦い負けて死んだ者達の魂でさえも、親が寿命で亡くなる事でさえも、命の循環には、何も変わりはありません。

ただ、残るのは、土地への人としての思いでございましょう。

だからこそ、神に向き合い、過去の思いを先人に感謝し、土地の思いを育むような心で手心を合わせる大切さをご理解下されば、これよりもまた、出雲の地よりやってきた者達よりも古い者たちの思いさえ、愛に変える事が出来るのではないでしょうか。

その事を皆様にお伝えしたくて待っておりました、ありがとうございます。

 

◎籠神社

籠神社右手の恵比寿社

実は、恵比寿社の神様から重要な神言葉を頂きましたが公開を禁止されましたので、「地球創生SNS」の神事仲間にだけ公開させて頂きます。

 

◎真名井神社

とても残念なことですが、真名井神社の本殿の後ろにある天照大神の古代神事の場所を汚す行為をした人たちが増えた為、2013年末の工事によって本殿の裏には一切、行くことができなくなりましたし、本殿周りの写真撮影も一切禁止になりました。

この二つの神社は、「陽の天照大神」と「陰の天照大神」を納めている大事な場所だということは、2006年12月の神事でわかりました。

 

 

全ての思いを理解したので、神々が入ってきた海と真水が交わる「湾口龍宮神」にお礼の祈りをして神の思いをおつなぎさせていただきました。

 

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