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関東総社繋ぎ 上野国(群馬県)

2014年8月10日(日)、関東の仲間達と今年1月から続けて来た「関東総社繋ぎ」の最後で八国目の上野国(こうずけのくに)を回りました。

※上野国と書いて「こうずけのくに」と呼ぶ理由は、年末の忠臣蔵で有名な吉良上野介(きら・こうずけのすけ)という人物が管理していた土地だからですが、本名を吉良義央といい、上野介(こうづけのすけ)という呼び名は上野国の実質上のトップである役職名であり、実際のトップは、上野国が親王任国であったため名目上は親王、つまり天皇の皇子がトップ(守)の地位についていたので次席である“介”を拝しました。1641年9月2日、高家旗本 吉良義冬(4,200石)と酒井忠勝の姪(の娘)の嫡男として鍛冶橋の吉良邸にて生まれる。

 

◎総社・総社神社(群馬県前橋市)
事前に、一宮宣言祈りをした人たちに神社の様子を聞くと、本殿の後ろにたくさんの祠があり、とても気になると言います。





本殿の裏に回ってまず目に止まるのは、左にある太い樹に雷が落ちているのに、元気に緑の葉を付けてることと、「命を産み出す神の樹」であることが一目でわかりました。

よく神社の太い樹に雷が落ちることがありますが、雷が神社の樹に落ちる意味は、「天の意思が地上の樹に降りた意味」だからこそ、土地と樹の生命力が強ければ生き残り、以前よりも元気になりますので、この樹は「霊的にとても強い樹」となっていると思って下さい。
魂を穢す生き方(自らに嘘をつく・先祖を汚す行い)をした方や、命に関わる病気の方がこの樹の下で祈ると、生命循環と命の再生エネルギーによって囚われの思いが外れ、心迷いや痛みが無くなるほど強い神気を持っている樹です。
通常、こういう強い神気がある樹には人が触れられようになっていることが多いですが、この神社は人間が入って拝めるようになっていますので、心身の病気や囚われ心がある方は強い自然神のお力を借りて自分を御霊を禊ぐお詫びの祈りをして下さい。

※一般のご利益信仰の方たちが拝むと、反対に、良くない事が起きる可能性が高いのでご注意下さい!



■本殿裏の石碑メッセージ

それ、奉り申す、神々のおわします元地、たて守りまするこの神々の思い、たて馳せ賜いて、守りし神々の思い、また祖霊の思い、それぞれ違(たが)えはあるものの、抑え守りし、きし守りし、「鬼子母神」の思いもあること、分かり給え。

母なる神の元、我が子守りし思いひとつとして、土地の全ての御霊守りしこと、神の役目ならば、思い留まりましてのこと、神守りの思いこそ、「鬼子母神」の思いと馳せ賜えよと申す。 

吉岡の解説)

たしか日蓮宗だったと思いますが、「鬼子母神」って、一番怖いんですよ。子どもを抱えたお母さんが形相しているんだけど、子供を必死に守っている強い神です。先人達の御霊を神が守っている意味の場所ですが、その思いは「鬼子母神」くらい強い想いみたいですね。だからこそ、「命を守る、命を繋ぐ思いの大切さ」を一番分って欲しいと神々は言っています。

■九十九社

一つ一つの思いを束ねまするは、この地の守りし祖霊たちの思いだけでなく、あらゆる神の思いを重ね合わせてお守りしておりまする。

それは「余計なことは言うな」という意味もございますし、また、「国を守るために力を貸せ」という意味もございます。

そして、この位置に置かれた意味こそが、「守れよ」という強い意味でございます。

後ろ守り、右守り、左守りの意味を正しく理解するならばこそ、ここに納め守りし神々の思いをどうぞお汲み取り下さいませ。


 

■本殿
 

御心、束ね合わせますればこそ、この地の守りの力、強くなりにけり。

この地、まとめしこと、国守りしことと同じ、大切な役目があったからこそ、この地の守りは、要(かなめ)。
北方守りの納めもありまするし、これより南の、東の国守りの役目もございまする。

納めしこと、この勢力図の中で立ち位置難しきかなは、力を持ちて管理征伐せねばならぬほど、世の争い多き地まわりに多かれど、その中でも力強きもの守りしことによりて、上野の国の神の元の力は都の神の力にも通ずるがごとく、神の守りと政治の力と経済の力を動かすほどの尽力を果たし、尽くしたものが多かればこそ、この国守られしこと、その思い汲み取り馳せ給えて、国納めの証となしたまえと申す。

国納めること、由々しきこと、はばかりなく納めること、これ思惑は一つではないからこそ、心納めし時に、自ずの身のたて明らかにせしこと、願い馳せたまいて思い伝えまする。

 国守りしこと、国番納めしこと、守り繋ぎしこと、よろしくよろしくお願い奉り申す。

※総社神社の神様は、私達の祈りをとても歓んで下さり、このようにお礼の言葉を下さいましたし、これから始まる関東全域を愛の地にする神事のために力を貸してくれることも約束して下さいました。写真に写った白い大きなオーブは、この神社を守っている神々の姿です。

◎上野国一宮・貫前神社(群馬県富岡市)




※一般の方は、山門を潜ってすぐに階段を降りてしまいますが、この神社の素晴らしい守りの力は、左手にある社が守っていますので、必ず最初に、左の社で祈りをしてから階段を降りて下さい。

◎二十二末社・・・社領内各地に鎮座していた二十二の末社を寛永十二年御本社の御造営の際に、一棟の社殿にお祀りしたことから二十二末社と称す。


◎末社「日枝神社」・・・日枝神社の現在の社殿は寛永十二年以前の旧ご本社の本殿を移築したと伝わる。明治四十二年に近在の氏神である和合神社(田島)、諏訪神社(宇田)、大臣神社(坂井)各社の合祀、大山昨神、他十七柱の神々をお祀りしている。


◎末社「伊勢内宮、外宮」・・・内宮、外宮は古くは境内の天狗沢峰通り字伊勢屋敷に鎮座していたものを寛永十二年に現在地に遷座したと伝わる。伊勢内宮は天照大神、伊勢外宮は豊受大神をお祀りしている。

■伊勢・内宮   ※内宮が女千木で、外宮が男千木。
このえ、馳せ給えて、神、賜えますること、おわします神々の思い、馳せ給えよと申します

 

 


■伊勢・外宮

神守り給えと申します。 「コノハナサクヤヒメ」もおわしますゆえに、よろしくお願い致します。

はやせ神抜き給えて神守りしこと、このおわしますこと、全ての三神、並びに、その後ろ並びする神々の思い給えまして、ここ守りますること、連なりまする神々の思い抑え守りしこと、また受けとめ給うこと、これ、この地から一つのこととなりにけり。

全ての神の思い同列ならば、それ同じ思いになりまするが、しかしながら、この山の配置を考えるならば、ここに神をおわしますことの意味、深く汲み取り給えとわれ申しまおす。

なぜに山の頂きではなく、自ずとその谷に納めしことかな、その納め守りし神の思い、深く、深き心の奥底にあるもの汲み取り給えと申しまおす。
 

◎末社「月読神社」・・・月読神社の現在の社殿は、寛永十二年以前の旧御本社拝殿を牛王堂として使用し、明治維新以降、月夜見命をお祀りして月読神社として改称した。明治四十一年、近在の氏神である社久司神社(秋畑琵琶澤)、雷電神社(秋畑二ツ石)、湯前神社(秋畑裏根)、近戸神社(富岡市野上)の各社を合祀した。月夜見命他十七柱の神々をお祀りしている。
※階段の途中に「月読神社」を持ってきた理由は、国争いや民族争いなどのあらゆる土地の争い心をひとまとめにして、問い心が入らないようにする意味があるからこそ、最高の守り神として働いています。

  ■本殿の左手にある水神

水龍、水賜えて神守りしこと、この地納め守り、谷の山よりうち出る神の水、御神水とならずんば、それただの流れ水。

しかしながら、ここに社、組む時に、これ神水となすことにより、神の思い、龍の思い、水神の思い、ひとつとなりしこと、これ大きかな、高きかな、産み出しの神の玉、「母の水玉」として命変わりてございまする。

その思い汲み取り給えと、感謝申しあげ奉り申す。



 ■貫先神社・本殿
 
母ぬき賜えて神賜えて、心の思い、貫き給えし神の思い、胸の心の奥底まで貫き給えしこと、一心の神の思い。
母の思い、その思いあればこそ、命産み出し育む賜えるための、この地の場所の意味、どうぞ、汲み取り賜えとお願い申しまする。

解説)凄く立派で、特に後ろの本殿が凄いですね。女千木だし素晴らしい装飾だし、凄くお金もかかってるし、力も集まっています。
やっぱり上野の国は、特別に力と金があったことははっきりしてますね。よほど神の力、つまり、天皇(皇族)に可愛がられていたということですね。
公家たちの力も入っているから、どうしても神の思いに政治の力も入るので、この神社はちょっと別格です。

話してくれた言葉の意味は、過去の全ての思いを山の中腹に納めることで、女性の腹の思いとか、心の奥底の思いという意味で、全ての思いをまとめてという意味で造ったと言っています。つまり、過去の余計な思いを口にするな、過去に囚われるなという意味なのです。

本来、民を見守る一宮なら山のてっぺんに置いても良いのに、あえて山の中腹に納めることで、それまでに押さえつけてきたいろいろな思いを封じ込める意味もあります。
この土地を支配し管理するためには、良い悪い好き嫌いだけではなく、人の思いと神の思いを全部同列で並べて納め守っていることが象徴的です。

さらに力の強い伊勢の天照大神と豊受大神を持って来て、月読命に裏を守らせて抑えこむ意味こそ、敵味方の子孫達が戦わない為の知恵なのです。

通常、神社を豪華絢爛にすると見栄の戦いが起きそうですが、この神社は天皇家の神力を使ってきれいに押さえ込んでいる場所なので、これはこれで納素晴らしいと思います。

最後に、「この神社がこのように造られた意味をあなたならわかりますよね?」私が言われた理由は、誰かが言った言葉だけを信じて苦しむのではなく、どんな人にも親が居て先祖がいて家族がいることを考えれば、一人の愚かな思いや言葉だけに苦しんで生きるのは、もう、おやめなさいと言う意味で伝えています。

だからこそ私は、「この関東の仲間たちが、本気で関東から愛を日本中、世界中に発信する仲間ですので、どうぞ、これから一人一人の行動と導きを宜しくお願いいたします。過去の全ての思いを愛に変える為に、私達は、働きます。」とお伝えしました。

 

 
◎榛名(はるな)神社  http://www.haruna.or.jp/
※ここは自然界の神をとても強く感じる素晴らしい場所です。
この榛名神社は神仏習合の時代に、巌山という一字15万平方メートルの境内地に立てられた建物ですが、それ以前は、修験者たちの厳しい修行場でした。今は道が整備され、橋もかけられて簡単に歩けますが、本来は、命の駆け引きが何度も必要なほど強く厳しい自然神たちが守っている神社(かみやしろ)だと思って下さい。









※入口を守る神は私の祈りに対して、精霊達が左上から右下へ姿を見せてくれましたので、この意味は、「神のタスキ=承認」を得たという意味になります。

「賽神社(さいのかみやしろ)」へ向かう橋から先は、幽界・霊界・神界に入りますので、ご注意を。





「賽神社(さいのかみやしろ)」の写真に写っているとんでもない数の小さなオーブは、この巌山を守っている精霊たちですので、人間の御霊ではないことをまずご理解下さい。
※この場所には屋根があるため、一切の雨粒が入らない場所だからこそ、自然界の精霊達だとはっきりわかります。

そして、このあと写した写真がすべて真っ白く見えるほど大量の精霊達が写り続けている理由は、私の意識が自然界の周波数に同調し続けたからですが、もう一人だけ、同じような写真を写した男性も、自然界の精霊達に愛される魂を持っている証として写真に写りましたので合わせて公開いたします。
※ちなみに、他の方がいくら撮影しても、この小さい精霊達は一切、写りませんでした。







※「双龍門」を置いたことにより、ここから先は「龍の守り」がさらに強くなっています。








この榛名神社の本殿は一般の神社と違い、個人のお願いごとをする場所ではなく、「鎮護国家」と本殿に書かれているように、国家安泰を願う人たちが国の全てを見守る神のお力を借りるために、山神と自然界の神力に畏敬の念を持って拝みをするための場所ですので、いくら観光客が多くても自らの志しを明確にして、天の神々が見ていることを意識して祈って下さい。

本殿の上には切り立った岩壁がありますし、さらにその上に大きな岩の塊が乗っていますが、どうやって乗ったのか、落ちて来ないのかと思えるほど不思議な岩があります。
その岩を写真に写そうとしても精霊達が多すぎて写らないので、お願いして消えてもらっても、やはり神々のオーブが写ってしまい、綺麗には見えませんでしたので、一般の方が写した写真も公開しておきます。



私がこれまで見て来た全国の社の中でもこの社は、一切、自然界の調和エネルギーを壊すこと無く、人と自然界のエネルギーが完全に調和していることに驚きました。

その理由は、この社に詰めて神守りをしている「神主たちの御心と行動」の結果だと思います。

偶然、仕事を終えて私服に着替え、山を降りる若い神主の行動を見守っていましたが、参拝する人の為に傘もささずに道に溜まった水をかき出したり、ゴミを拾ったりしていましたが、彼にとっては普通の行いだと思います。

神社(かみやしろ)は、人間が欲で建てた物だからこそ、その場所を守る人たちの心で神気も変わりますが、これほど素晴らしい神気を保ち続けている神社が関東にあったことに、本当に感動しました。

自然界の精霊達は、山が生み出される全ての命の循環を繋ぎ守る「生命エネルギー体」ですので、「龍の身体の中に入っている意味の霧に包まれた日」に、榛名神社を来れられたことを心から感謝します。




(特別な場所)
※一カ所だけ、山の波動が違う場所を見つけましたが、そこには一切、祀っている物がないからこそ、偶然、その場所を見つけた人は、壁に身体をピタッと付けて、全身で山の波動を感じてみて下さい。山の中に、身体も意識も吸い込まれる体験をすると思いますが、その理由は、この場所が「山の内なる意思」を感じながら、自らを問う場所だからです。

帰り際まで、精霊達はなごりおしそうに私の写真に写り続けましたが、これだけたくさん精霊達が写り続けている理由は、「見えない命が存在している」ことを皆さんにわかって欲しいのだと思います。

自然界は、人間の都合に合わせて存在していないからこそ、「見えない物を見せてくれている意味」を理解できた方は、自然界の神々と対話しながら感じた心に素直に生きるようにお願いします。

自然界は、時おり、人間が戸惑うような事態も引き起こしますが、人間が問われているのではなく、人間の愚かさに気付く為だと理解し、「神は人を問わない」という真理を正しく理解した上で、「人が人を問う愚かさ」に気付いて下さい。

いろんな知識をたくさん得るよりも尊いことは、「素直に感じる素直な心」だからこそ、自らの囚われ心をきれいにして、物事や人の本質を見極められる人間としてあなた自身が世界を導く愛の人になって下さい。

世界中の誰もが人間の命が永遠に続く事を願っているからこそ、子供がいるいないに関わらず、20才以上のすべての「大人たちは、愛を創造する責任」があると私は思います。






このあと、榛名山と赤城山を繋ぐ為に赤城神社へ90分かけて移動しましたが、あいにく、周りがほとんど見えないほど濃い霧に包まれて赤城神社へ向かう山道が通行止めとなっていたので、その場から繋ぎ祈りを行いました。

どちらの山も、「霧という龍の身体の中に入って祈る祈り」ができたことを心から感謝いたします。※龍は、雲や霧の中に入って移動しています。

これからの関東神事は、いくつかやり残したテーマを終えたあと、世界のひな形である「日本の龍体のバランスを整える神事」がスタートしますので、ご協力頂けます皆様のご支援を宜しくお願いいたします。

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