<龍体神事>和歌山県 高野山の龍体エネルギーをつなぐ
高野山へ行った目的は、日本列島の「龍体神事」に関係する中央構造線上のエネルギー調査が目的です。
初めて高野山に着いて驚いたことは、こんな山奥に「大きな街」ができていたことです。
山を切り開いて街全体が高野山大学と高校とお寺ばかりの宗教都市ですが、多額の資金と相当の数の労働力が必要だったことを感じました。
※高野山(和歌山県伊都郡高野町)は、816年(弘仁7年)に、嵯峨天皇より空海に下賜された。
目的はお墓やお寺の参拝ではないので、太い樹や弘法大師や天皇家の御陵で、このあたりで「重要な日本列島の龍体に関わる場所がないですか?」と聞いてみると、教えてくれたのは次の神言葉でした。
「後ろの高い山の上に1本の大きな樹があり、その樹が大切なことを知っています」
どこに高い山があるのかを調べてみると、女人堂から「弁天岳」を登る道があることがわかりましたので、約40分の山登りをしました。
山道を登っている最中にもメッセージが降り、「あなたたちは「ガンズー(神頭)」、つまり、神の頭の中にいる」と言われ驚きました。
この意味は、この熊野や高野山の山々全体が「神の頭」であり、私たちは、その神聖な神の思いの中にいるのだという意味ですから余計なことは考えず、「神知らせ」を受け取ることに集中しました。
頂上に着くと、見つけました!
麓の太い樹が教えてくれた通り、山の上には1本の樹だけエネルギーが違い、樹全体が曲がりくねって天まで繋がっていました。
(山頂 弁天メッセージ)
この山における人々の願いはたくさんありまするが、あなたたちのような事を言う方は稀にしかおりませんのでよくわかりませんが、元々、この山には神が祀られておりましたが、その後に私が来たと言った方がよいでしょうか。
この山の神がどのような働きをするかあまり私は詳しくは知りませんが、この山の裾野を守る意味と、その山の中心から連なるラインが地の底まで繋がるという事は私もわかっておりまする。
そして、ここは「豊かな水を産み出す場所」でもあり、その命の恵みを産み出す事で私が祀られたと言った方がよいではないでしょうか。
この地が山の水を蓄えているという事は、その水を産み出す所、つまり、水の産み出す道・川の流れというものは、「神の道」であり、「神の意思」であるという事をお解り下さいませ。
その命の水・川を産み出す山こそが、「本来の神・泉・天・地の内なる泉の山の神」であり、そこに大切な命の泉を湧き出すようにしているからこそ、本来は山の中に祀るべきなのですが、中には人間が入れませんので、山の上に祀る事になっておりまする。
「弁天の力」を正しくご存知でしょうか?
本来は、山・海・川・湖・池などあらゆる、そして、天空のこの水蒸気でさえも我々の管轄下であり、この全てが命のエネルギーであるからこそ、それを「龍」と呼ぶ方もいるでしょう。
その繋がりを守る役目として、私がここにいる事をご理解下さいませ。
東と西の繋がりを守りたいのであればこの山だけではなく、いくつかの山を連なる事が必要ではありましょうが、その意味がわかるのならば、次の山は、やはり「龍神山」でございましょう。
そして、その繋がる泉の流れ、山の流れ、神の流れが何を守っているのか、命の木、本来の土地・大陸に繋がる中にある「氣」をそのまま表に出したものが山の連なりであり、あなた方の言う「連峰」という名前になるのでしょうか。
その「連峰」の山々の背の繋がりを「背骨」と呼ぶ方もいるでしょうし、その背骨の尾根の繋がりこそがであり、神が乗る場所であるという言い方もあるでしょう。
その事をいろいろな意味では言われまするが、本来はそこが表に出ている「山の上の命の泉の道」であり、山の中にもその道があり、また、山の裾野にもその道があるという事を覚えておいて下さいませ。
もう1つは、川が流れていればその下には岩盤の下にも同じように水が流れているからこそ、その繋がりが、この命の水脈ライン・氣のライン・エネルギーのラインとなり、生命の産み出しを守っているのでございます。どうぞ、その事を理解下さいませ。
大切なメッセージを頂きましたので、「高野龍神スカイライン」を走って和歌山県最高峰の「龍神岳(1032m)」へ向かいました。
平家の落人を弔ったとされる護摩壇山にある「ごまさんスカイタワー」の上からは熊野一帯の山々を見渡せますので、この展望台の上から10名が特別な六方祈り(東北・南西・北西・東南と南と北)を行い、自然界の神エネルギーをつなぎ合わせました。
祈りを終えたあと、私が皆さんにお話ししたことは、この道路が和歌山県で最高標高付近の尾根筋を削って作られたものであるだけに、周辺の自然環境への影響が大きく、特に、護摩壇山のブナ林はその道路沿いから枯死を広め、ほとんどの山の樹が植林で育っておらず、人間による自然破壊の酷さを感じた点です。
特に、「ブナ」の樹は、水をたっぷり吸い上げる音が聞こえるほど水を蓄えている樹ですので、「山の神の恵みの樹」が死ぬことは、「山の命の灯火が消えかかったいる」とも感じました。
それともうひとつ、北海道の開拓当時も同様に深い山の中に道を作るための労働力として「第三国人の強制労働」が必要でしたし、屍はそのまま放置されたため、北海道中の強制労働で亡くなった御霊たちの思いを上げる祈りをしたことをお話しすると、参加者のうち数名が同じ思いを感じていたことがわかりました。
私は「龍神スカイライン」を走っている時に、「右足首に何かが巻きついた!」と感じましたが、その意味は、当時、足首に鎖をつけられて働かされていた「第三国人の御霊たちのお知らせ」だとわかりました。
私たちが今、安全に暮らしているその足元に亡くなった御霊達がいるのを感じたからこそ、「第三国人の御霊たちの永代供養」を自然界の中で行うことにしました。
火、水、風、大地の力を合わせて、生み出しの母の元へ魂をお返する祈りを行いました。
第三国人の永代供養の祈りを終えて、高野山方面へ戻る途中、一人の男性が急に、激しく咳き込み始めました。
その苦しさが尋常ではなかったからこそ、カカッている思いを読み取ると、当時、「第三国人に強制労働を指示した現場監督」の魂を持っている人だと判明しましたし、さらに、この事実が表にでないように最後はすべての第三国人を殺害した魂記憶を持っていることまでわかりましたので、車を走らせながら道中の御霊上げとお詫び祈りをし続けました。
川に投げ込まれた屍は、川の流れに流されながらも悔しい思いを訴えていましたので、塩・水・酒とテラヘルツでお詫びと感謝の祈りを行い、過去の辛い思いを昇華させる祈りも行いました。
やっと、高野山の奥の院まで戻ってくると、今度は、「第三国人の御霊を密教の祈りで封印」したのが高野山のお坊さんたちだとわかりましたので、過去に封印した結界を外して、御霊達が故郷の土地へ帰れるようにしました。
今後は、高野山のお坊さんたちがお経を唱えることによって、第三国人の御霊たちの永代供養も同時にわれるようになりましたことを皆様へご報告させていただきます。
人間界と自然界、過去すべての人間の愚かな行いをお詫びし、私たちがこの土地のエネルギーを愛に変えるために働くことを全員で誓いました。