2014年11月11日 メッセージ

2014年11月11日の宇宙に繋がる祈りで降りたメッセージの全文を公開いたします。2015年よりさらに急速に物事は変化し、多くの多様性と変化を求められる時代がやってくるからこそ、過去の囚われ心を手放し、新たなる自分を手に入れるためにお読み下さい。

(午前11:11の祈りメッセージ)

思いとらわれまして、この道、長き続き事は、この世のはかばかしき鏡の前に映る所業とは別なもの。

世の流れ、とらわれの言葉に苛(さいな)まれ、心病むならば、それ愚かなりけり。

命はかばかしく、短かなるものと与えしもの、何故に、その短なるものかという事にも気付かず、己の所業、他人の所業のひとつひとつに、目、心、とらわれならば、それ、神の心とあらず、邪悪な心と同じなり。

人の心を見て、人の所業を見て、問う事をするよりも、自らの学びとする中で、いかにして、そのとらわれから外れた喜びを、自らが見出し、自らの命となる人生と成すのかは、それは、他が為に生きる事よりも、大切な事なり。

自ずの魂にある奥底の思いが「念」ならば、それ、自我の思い、とらわれの思い、寂しさ、悲しみ、苦しみの思いなりとて、その、はかばかしきかな、先祖の思いさえも、たかが人の思いととらわれなされ。

この世、大き古きかな、魂の世の繋がりを持つ者多かれど、時の流れを超えて、その時のメッセージを受け取り、世の繋ぎをはかばかしく行う者、それ、多くなかれ。 

時、ひとつ。

時、ひとつ。

ひとつの時、100年たれば、それ100年に一度の起きる事、気付く事、学ぶ事、あると悟りし。

時の一粒、米粒程の、10年の解き明かしさえも目に見えぬものならば、三日先も一秒先も闇であろうにな。 

自ずの心が何処を向いているのか、誰ぞの声が気になるのか、自らの思いが馳せ給わず、泣き喚くその姿、誠に愚かなりと我申す。

「己」無きとらわれなど、有りえぬ。

必ずや、「己」を掴んだ上でとらわれがあるからこそ、「己」という思いを外し給えと我申しまする。

この世、儚きかな。

儚きとは人の心なり。

この宇天における儚きは、名も無き星達。

星と星とを繋ぐ、空間の思い。

そこには、「愛」さえも、言葉を失う程、塵のような、呼吸のような、空間があるのです。

それが無ければ、あなた達も生きてはおられず、全ての思いに大切なのは、その空間、距離、なのです。

近ければ良いわけではなく、遠ければ楽なわけではありません。

どこの位置においても、大神からの心の距離は同じなりと、それ、目算する距離とは別に、魂の繋がりを持つ者、皆、同じく、同じ位置にあると思い給えと我申しまする。

過去のとらわれのごとき、どれほどマスターに近かったかを主張するならば、それ程愚かな事はなきと、思い給え。

星の仲間を集い、星の捉われにまだ苛まれる者達がいるならば、それはもう、叶わぬものと思い給え。

(午後11:11の祈りメッセージ)

この世にはかばかしきかな、遠き思いにおいて、願い賜りますれば、事多きこの世の思い、それはかばかしくなく、思い黄昏の中にある者、まだ多く、道開き、神の道開き、心眼見据え生きる事出来る者、まだ少なく、心の中の迷いに捉われ、親の目、人目、自らの本質の目さえ曇ってしまった者は多くまだおります。

その事を、いかに早く目覚めさせるか、沢山の情報を与え、沢山のチャンスを与え、気付きをサポートして参りましたが、その方が、その方達が「全ての原因は自らにある」という事を認めない限り、本当の事はわからぬという事をお伝え下さいませ。

心眼、神の目を見開く!

その道において、一番大切な事は、誰の目よりも最も深く、高く、気高き心を持って自らを問う事なく、しかしながら、人間としての所業の全ての愚かさを丸々認める事でしか、その目が開く事はありません。

心、大きい時期には、そんな事も聞こえず、欲望に走り、自らの出来る事、可能な限り手を振り回し、周りの助けを頂いたとしても、なんともその徳の重さがわからず、心浅はきかな生き方をしたとしても許されてしまう。

それが愚かなき、平和な国の甘えでございましょう。

明日、この神国日本が、無くなるような危機を迎えるとしたら、ここまでに人生が何の意味であったかを問う事すら出来ず、その悟りを得る事すら出来ません。

物事は一瞬にして相殺され、消えてしまいます。

その後には、ただ魂だけが彷徨うだけでございましょう。

では何故、これ程までに愚かなら、国の民が蔓延している中で、高き心を持つ者と、愚かな心を持つ者と、そうではなく、この現実のあり方において、少しでも自らの立ち位置を良くしようとその努力はしていますが、それは結局は、自らの為であり、事愚かなきよう気付かぬ事が多かれど、この無限成就の世界において、自らの達成を持って他が達成を叶える事の難しさを、早く学ばねばいけません。

人間の欲望は無限でございまして自らの達成を導いたものを、また多くの達成をするような道に導こうとする者が多くない理由は、多くの者が達成する成功というものは無いからでございます。

多くの者が達成した時には、それは成功ではなく、ただ普通の過程でございましょう。

成功とは、普通ではない事を目指したい、自己顕示欲の象徴でございます。

それが良いか悪いかではございません。

この世において、何を持って自らの成功と成すのか、その価値を成すのか、まず、その点を考えるべきですし、反対に、あなたが悩み苦しむ失敗とは何かを、またもう一度見直すべきでしょう。

何において失敗なのでしょう。

誰において失敗なのでしょう。

何時において失敗なのでしょう。

この世に生きている上で、一生の人生を勝ち抜いた者などは誰もおらず、ただ一時期、華やかな時期もあり、一時期、愚かな時期もあり、その経験の華々しささえ、たかが、一瞬の人生でございます。

大切な事は、人の心、そう、自らの心が喜び勇むその方向の先に、あなたと同じくその喜びを共有し合う仲間、友がいるかどうかでございましょう。

家族とは命を育む上で、最も大切な個体の集まりでございますが、家族の良し、悪しも当然あるからこそ、集団家族というべき、集落の文化がありまするし、しかしながら、その集落を超える程、大きくなった時に、通用するルールは、また全く違ったものとなってしまいます。

それがさらに大きくなれば、国のルールとなり、地球のルールともなっておりまするが、それさえも、たかがこの星ひとつのルールでございます。

何故にその事にそんなに囚われるのでしょうか?

あなたは、永遠無限に、この選択が出来る魂を持ちながら、最も過少な家族という環境を選び、最もその逆境となるべき与えられた物事の真反対となる意味を学ぶ為に、生かされているのでございますよ。

家族を持たずして育った者などおりません。

父母が死んでいたとしても、育ての父母が家族でございます。

親戚も周りの人も家族でございましょう。

要は、あなたは、どの役がどれくらいできますか?という事です。

与えられた恩は、お返しせねばなりません。

恩とは何か?

それは、自らの力では出来ぬ事を与えてもらった時に、与えた人が得るものでございます。

では、与えられた人は、その恩の仇となるのか?

いいえ、仇ではなく、それは、ただの借金となりまする。

借金とは、人の思いでございます。

お金はただの一部でございましょう。

心の借金が、もし、あなたの中に無いのであれば、それは、平安無事な愛そのものの人となっている事でしょう。

平安無事な世を願う前に、その借金の無い心に成る事が出来れば、良いだけなのです。

その為に、捉われを外す事や、過去から学ぶ事や、未来への創造力を高める事が必要ですし、その上で、今のあなたをそのまま受け入れて下さる仲間も必要でございましょう。

仲間をお友達と勘違いしてはいけません。

仲間は共に歩む戦士であり、また集落の家族であり、また、地球家族でもあります。

常に、その繋がっている感覚の中で、互いに良い時期、悪い時期を経験させ、見せられ、体験する事によって自ずの愚かさと、他人の愚かさの差が見えるものでございます。

いくら一人で頑張ってみても、それ程、孤独な道はありません。

何を達成したとしても、その人は得るものが無く、最後には、孤独との戦いになってしまいます。

みなさんに与えた多くの力は、孤独から始まっております。

そこに書いてある思いの奥底には、大きなマスターの愛があるからこそ、孤独から愛を学ぶべきでしょう。

この宇宙の星には、あなた達の心以上に、もっと寂しい辛い思いをした星達がたくさんございます。

全ての魂が、転生出来るわけではありませぬ。

この地球という星に転生出来た魂は、よほど恵まれた経験を持っているか、また反対に、大きな変化のきっかけとなる魂として、選ばれた者たちばかりですので、その自覚がなければただの動物でございましょう。

何を持って幸せと成すか、喜びを成すか、成功と成すかは、その方の価値によるものですが、明日、亡くなる事を前提としてお考え下さいませ。

あなた達は、皆、亡くなる事を目指して歩んでいるのです。

自らの消滅が、どのような意味があるのか、その一点において学びさえすれば、愛の意味がわかるでしょう。

失う為に努力する、亡くなる為に頑張る、価値と思いの重き事、その思い、捉われなきよう、自らの心の中に良く言い聞かせて下さいませ。

安らぎを求めたければ、どうぞごゆっくりとお過ごし下さい。

いずれまた元気になって、前へ進みたい時が来たら、どこへ行くのかを明確になさって下さいませ。

誰もがあなたのガイドであり、だれもが、あなたのサポーターであり、そして、あなたもその両方の役目を持っているのだという事を良く自覚し、誰の為に生きるのか、何の為に生きるのか、どこに喜びを持つのか、その事さえ、ぶらさずに出来さえすれば、自らの心は、ただ人々の心と同じくなり、その多くの人を見守る神の意思の声も聞こえ、感じる事でしょう。

心を開かねばなりません。

心を開く事でしか聞こえません。

ただ、真っ直ぐ前を向いて、出される全ての物事に対し「はい。ありがとうございます」と言って下さいませ。

その言葉だけが、扉を開ける事が出来るのです。

次の扉を開けるのは、あなたのその言葉ひとつだけなのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

宇宙の始まりについて説く事が出来るならば、宇宙の終わりも知らされている事でしょう。

では、その過程において、今、存在する意味を説明出来なければ、始まりも終わりもなくなります。

今は、その両者において仮定される一つの時間であり、空間であり、意識なのです。

そこが、何処なのかをしっかり掴んで下さいませ。

意識を超えるもの、現実ではないものを感じる者達は、その機会とチャンスが与えられているのですから、どうぞ、その時空を超えた目で、自分を見つめて下さいませ。

今が何者なのか、これで良いのかを知っているのは、あなたでございます。

どうぞ、宜しくお願い致しまする。

(吉岡より)

2015年以降に何が起きるかはもう決まっております。

だからこそ、今、なすべきことを真剣に取り組む人たちがいるのです。

問題は、何が起きるかではなく、起きる事をどうとらえるか、あなた自身だと問われております。

囚われ心や恐れ心を掴んだまま、未来の扉は開きません。

心の扉をどうぞ、今、すぐ開けて全てを受け入れて下さいませ。

愚かな「己」を手放しながら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です