2015年4月1日 速開都比売 メッセージ

心に十字架を刻み、それを包み込むように点と点を繋ぎ、それをさらに円で包む事により、全ての囚われ、禍い、汲み取るもの(思い)、繋ぎ合わされ相殺され、すべて思い囚われなく、心祈りできます事をお伝え致します。
 
ハヤアキツヒメ様の祈り、皆々様が心合わせて祈ること、とても大切な時間でございまする。
 
共に、心祈りする人たち、ひとつひとつその思い合わせることにより、心を向けたところにその祈りが届き、心、闇を解きほぐしながらその人の禍い、囚われを外すことにできまするし、病気や怪我、禍いと思うことを良き方向へ転換する力がございます。
 
心の囚われ、自分の思い込み、その愚かな思いを手放したまえ!と、我、申しまする。
 
我、個人の祈りなど無く、それ、皆の祈りの中のひとつの心、つまり、皆ひとつの神の分霊であるからこそ、その祈りは皆のひとつの祈りが全ての祈りと連鎖しながら大きな力となって働くものでございます。
 
神力、信じる力とは、我を忘れて必死に拝む事でもありまするが、それよりも力を抜き、我の囚われを外し、思い込みを外し、天命誓いたまいて、心の思いフラットにし、あらゆるものに心を合わせられるくらい自由に、また、己の囚われなく、思い、発する言葉、心、そこにさえ合わせれば、全ての物事は成就いたします。
 
良き事思いたまいて、光たまいて、前へ進みたければ、過去の思い囚われ外したまえと申しますが、その思い、自らが思う事を正しい、善として考えること、また、我を正しいと思う事、また、我の気持ちをわかってくれないと思うように愚かな心がある限り、一切、成就することはできません。
 
愚かな子供の心のように囚われを掴んだまま歩もうとするのではなく、まず先に囚われの心を外したまえと我、申します。
 
己の囚われ持ちたまいて、右手に囚われを持ち、左手に神の力を持ったとして、何ぞ、働きましょうか?
 
それ、自らの囚われ外し賜えの神業なればこそ、個人の祈りとなりまする。
 
己の身、即神仏となり心合わせて、天に身体、心、思い合わせたまえなければ、自らの思う心など愚かなものでございまする。
 
行く末の世が安泰か安泰でないか、あなたにとってプラスなのかマイナスなのか、それはあなた次第と言う人もいるでしょうが、そうではありません。
 
あなたが皆の心と合わせられるような自由な大きな心になり、大海に出た小舟のような自分なのだと思い、その小舟にいる身は全てに身を任し、天命全うするまでその神業なさなければいかぬものを成しえること、それが自らの生きる道でございます。
 
行く末光となるならば、それ、海の上のゆらりゆらりと浮かぶ小舟のようでございますが、一旦、波が荒れ、小舟に潮が入り、日照りが続けば喉も乾きましょう。
 
水をくれ、水をくれと言ったところで、あなたがどんな水を産み出すことができるでしょうか?
 
そう、あなたは一滴の水さえも出す事もできぬ、ただの存在なのです。
 
それが何を望む者でございましょう。
 
水、一滴あればどれほど命が繋がるか、その水一滴の思い役目をする男達のことをなぜに理解せぬのか、自らが塩の身体を持ち、液体の身体を持ち、そして、個体となった肉体を持っている理由さえまだわからぬのならば、その肉体無くなっても念だけが残り、この世の呪縛の魂となりましょうぞ。
 
思い囚われ一言一句、何事も無く、笑い済ませるほど心緩やかにたずさえて、誰の言葉でもその心を動かさず、ああ、そういう気落ちなのだと「今」を認めさえすれば、明日、3分後、1時間後にその人の気持ちさえ変わるかもしれませぬが、あなたがわかって欲しいという心を掴んでいる限りは、相手の心も変わりませぬ。
 
わかりますか?
 
すべてあなたが掴んだ囚われの心ようにしか、この世は見えず、感じず、体験できぬものなのです。
 
だからこそ、人の命をどうこうしようとするのではなく、人の思いをどうこうしようとするのではなく、自らの心を一心不乱に禊ぎたまいて、光の水、天より流れおちるその流れに身を任せ、その思いに身を任せる事こそ1日の祈りなればこそ、その思い合わせらるる全ての皆々様方の思い、共に清らな水となりまして、神業あつらうことなく、心惑うことなく、世の暮らし平安な暮らしとなりましょうぞ!
 
世のあらぶる神達の言葉に心を動かされず囚われず、また他人の言葉に心囚われず、人の思いに囚われず、我が心、ゆるやかな川に浮かぶ笹の葉のように、ゆるゆると流るるように生きなされと申しまする。
 
山果て、清らかなもの、川の流れの春の芽吹きがなる時期なればこそ、命の始まりの時期と心あわせるのであればこそ、陽の光、世の光を見、「自らの闇を照らすことこそが、世を照らす光となること」だとお考え下さいませ。
 
自らが天命天子、一心不乱の心なればこそ、世は永遠に光輝きますると申します。
 
我、天命一心不乱の神のもと、その繋がり持つ者全てのもとの魂に繋がりまして、感謝、建前まする。
 
あわよくば光りの流れに乗りたまいて、余の働きの一心になりたいと思う欲我の心囚われは、自らを幼き心といたしまする。
 
自らが一言一句の光の元の魂と繋がりまして、自らが歓ぶことに力を入れず、共に歩める仲間と共に歩みたまえと申します。
 
なぜに、なぜにの「甘えの心」、解き放ちたまえと申します!!!



 

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