2015年9月1日 速開都比売 メッセージ

神奉りまするこの日の祝いごと、おわします神々の元の名に届きまするは、人の思い。
 
思い馳せ給いて神と共におわします心、見果てぬ夢に向かいまして、われの名を呼ぶこと、それ共に神と働く者となり。
 

おわします皆々様の思い馳せ給いて心給いて、この思い、人やかに、晴れやかに進み上がるは新しき世の始まりのため。
 
人、一人でなすこと足らずんば己れの力を磨き給いて、与え給いて続け給いて広がりて、世の行く末、病む者たちの思い救い給いて、神の御心伝え給いて、心して心して世の中のためになる人となりなさい。
 

世に一瞥(いちべつ)を投じるはそれ、われの心の中にあるものなればこそ、世、他人、思い、自らを禊給いて輝かせ給いて、目標となる夢を描き給いて光り輝かせ、行く末に広がる者たちの思い笑顔と共に感謝し、同じ道を歩く者を助くるがごとく一歩前へ進み出る心こそが、世を救う人となるための道でございまする。
 

世、はかなきは人の思いなり。
 
哀れなき世のなきすがら、己れの道筋の生き様を示すがごとく、世に憚(はばか)らず、親に憚(はばか)らず、自らを立てまえまして光り輝かせるなかで、喜び多き楽しみ多き仲間と共に歩めることを、人の命の絆となしてこそ、己れの神と他人の神がつながりまして、思い馳せ叶え給う大元の心とつながりまするからこそ、わが心つかみすぎず、世の心、他人の心、つかみすぎず、我が神の視点に御心合わせながら、生きながらえる人としての所業もろもろにおける出会い・出来事・神の思い汲み取りて、おわします全ての方々に感謝の心をお伝えなさい。
 

戒め、わずらい、ただよう心、育みたまえて守りし思いの根の元に、何があるかを見るなれば、それ、我を超え、地を超え、天を超え、この世を作りたもう神の思いとつながりしこと、これ言葉となりき、笑顔となりき、また、強き意志となりて、愛、育みたまえと申します。
 

行く末の世、はばかりなく収めたくば、思いのわずらい取り給いて、育み会う仲間を信じ給へて、神の道歩む者、それが共に人の道生きる者とし、違いを問うことなく、己れの道を信じて歩きながらも、違いから学ぶ心を育み給えと申します。
 

おわします神々の名の元に、速秋津姫様の思いを伝えましてのこと、これより「大浄化の時間」となりますこと、心して受け止め給えと申します。
 

 

午後の祈り言葉

行く末の世をあらがい給いて、心の惑わしの者たちへ告ぐ。
 
思い馳せ給いて光り輝かせなくば、それ我の心の闇の中にある思い。
 
その思い光にすることできなければ、それ、我の生き様そのものとなりにけり。
 
思い馳せ給いて神の心持つ者、その思い自らを神とし扱い給いて、どのようなことが目の前に起きようとも聞こえようともその思いはせ給いて、光り輝き給いて神への道筋心、伝え給えと我申す。
 
申し給いて光輝きますは、我の心の写し鏡なり。
 
そなたの心の思う闇の心、写り世の中の鏡となりて他人に伝わるからこそ、世の闇を見るたびに自らの闇を見つめ、その闇を我の光にするがごとく、「ありがとうございます」と唱えながら、心の中に闇の光を見つけ出し給いて、その光によりて、自らの内側より闇よりうち出ずる光なれば、これ多くの心の闇と知り、その力によりて闇より抜け出す者多くなるからこそ、自らの闇を超えて生き様を示すがごとく、この世のはばかりの世の出来事にとらわれず、世の心を他人の心をうとう前に、自らの心に映る鏡の美しさを磨き給えと我申す。
 
美しの世を作りたければ自らの心の中に「光の神殿」うち建て給いて、その中にいる人々の笑顔を描き給えと我申す。
 
また、共に道を同じくする者の心の足らなさを知るなればこそ、その道を示しながらも前に一歩進む役目が自らにあるものと気づき給えと我申す。
 
思い思わしきこの世のはばかりの世の流れなかしこと その流れの渦に戸惑いて渦のチリホコリを見るのではなく、渦を起こし給いて思う地の元、根の元の思い汲み取り給いて、生を受け、肉体を持ち、神の心を持つ者なればこそ、その光、戸惑いなく心まっすぐにその道歩めよと心大きく唱えるものなり。
 
「我(われ)神なり、我(われ)神なり」、ならずんば神となりしあなたの思いの馳せる技、あなたが思うこと全てが世の影響となりて実現するとなればこそ、あなたの心の中に描くものが愛なればこそ、そこに写し鏡を照らしあわせても裏表なく、本性そのままの心思いなればこそ、この世、思い実現の世、その世界を再建するために肉体を持ちてのこと、またこのチャンスを与えし神の思い、重々、肉体を持ちて喜びを甘受しながら生きることの技、術(すべ)、そのことが与えられていることに感謝せずば、思いなく心なく「囚われの身」なればこそ、身清め給いて祓い給いて、ここにおわします心ひとつになりしこと、これ地球創生の思いなればこそ、世の人の心の鏡となりし生き様を、生きとしいける人々もろもろ、また、目に見えぬ先祖・神もろもろ、共にはばかりなく心して生きること、ここに決めなされと申します。
 
世、はばかりなく進むがごとく、世の思い感じることできるなればこそ、その思い徹するがごとく生きることを喜びとして、神と人の道を同じく生きること、これ我の願いなればこそ、おおよそハヤアキツヒメ様の思いなればこそ、こと高らかに世の打ち消しの始まりと共に、「新しき世の始まり」、ここに滑舌良く唱えるなればこそ、神の世、人の世を共に道を同じく歩く者として全てのことを喜びにせよと申しつけまする。
 
この世に起きること全てのこと、囚われなく思い憚(はば)らず、全てを喜びにするために生きよと、我申しまする。
 

2015年9月1日 午後11:11

 

道無き道を進む者、それ、わが心と同じ。

思い馳せ給いて、この世の闇を打ち消し給いて、自らが光の巫女となりしこと、思い馳せ給いて、この世を光にすると決めなされ。

この世に起きることは、全て闇ではなく光の出来事なればこそ、闇と捉える心の狭さに気づきなさい。

闇を愛する者は闇を出ようとしないからこそ、苦しみを経験した自らが光の戦士となって、愛の言葉を持って光に進みなさい。

これからの世は、闇と光の聖戦ではありません。

闇を受け止め、闇を愛し認め、闇を全て含み入れた強い心を持つ者が、本当の愛の戦士となりまする。

その道を極めるがごとく、己を愛し、うとい、敬うことで、先祖、もろもろの神さえもあなたの思いに力を貸してくれましょうぞ。

これ、重きかな母の思いに加え、光、充満した父の思いなればこそ、相思相愛のこの世の出会いを信じ、今を愛し、自らの光の大きさに見合う愛を周りの人たちに授けなさい。

いただく愛を当然と思っている者、まだ愛が足りないと思っている者、傷ついて立ち直れないと思っている者の心の闇に触れたならば、ただ、じっとそばにいてあげて、あなたの信じる光の言葉やエネルギーを与えなさい。

物に思いを入れたのは、人間なのです。

物を創造したのも、人間なのです。

物の価値や思いをどういう意味にするかは、あなたの心次第だと気づけば、今の心に囚われている愚かさにも気づくことでしょう。

前へ進めない言い訳をしている者たちに出会った時は、その人が気づくまで待つのではなく、あなたが一歩前へ進み、光の世の体験をたくさんすることで、あなたの背中に写る思いを感じて自らの愚かさに相手が気づくからこそ、あなたはどんな状況に陥ったとしても、決して自らを問うのではなく、神の本質の思いを信じ伝え、「我(われ)神なり、我(われ)神なり」と唱えなが前へ前へとお進みなさい。

自らを信じる者は神に愛され、神である自らの内側から愛が溢れるからこそ、神に向き合うように心を他人にも向けて、相手の思いの奥に光を添えてさしあげなさい。

それが、あなたにできる愛の行動なのです。

愛する者が一人でも多くの人へ愛を伝えることができれば、必ず、この世は光の世となり、美しの世が心の中の神殿から産まれることを実感されることでしょう。

自らの思いと違う思いを感じた時は、違いを学ぶ時だからこそ、よく相手の思いを聞きながら、互いの違いからまた新しい愛を創造しなさい。

そのための出来事と出会いの人生なればこそ、あなたの心の中に光の柱を打ち建てて下さいませ。

愛する神の子、全てにこの言葉を贈ります。

 

2015年9月2日 9:30に降りたメッセージ

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