1. HOME
  2. ブログ
  3. ・天皇家・出雲・伊勢・大巫女・倭姫命
  4. 【島根県】三年目の出雲神事 3日目 日御碕神社・北島家・出雲大社

【島根県】三年目の出雲神事 3日目 日御碕神社・北島家・出雲大社

2015年12月6日(日)、3年目の出雲神事の最後の日の目的は、これまで正式な場に出ることができなかった6000年前に日本へ神を運んだ女性たちの思いを、正式に、出雲大社の神前へ運ぶために、地球を愛する女性たち一人一人が自分の体に神巫女を乗せてお運びする神事となりました。

6000年前に日本へやってきた神巫女たちは、この日本に大切な神の概念を伝えるために、何度も、南洋から船を出してやってきましたが、それは簡単な旅ではありませんでした。

船の中で病気で亡くなる者もいれば、この地までやってきたのに体調を崩して亡くなってしまった無念な神巫女たちもいました。

そのあと、神巫女たちがどうなったのかというと、皆さんもご存知のように日本全体の民族をまとめる一団がやってきたために、日本全国の各地にたどり着いた神巫女たちは男性の支配に従うなかで、神の思いだけを守る形となりました。

沖縄の各島から九州へやってきた神巫女たちは、太平洋ルートと日本海ルートの二つに分かれて北上しましたので、北九州、出雲、常神半島から琵琶湖周辺に定住した「鏡族」と呼ばれる神巫女たちと、奄美諸島、鹿児島、四国、香取・鹿島に定住した安房族と呼ばれる一族に分かれましたが、目的は同じです。

なかでも、島根県の日之岬から鳥取県の美保岬の海側から入ってきた神巫女たちの実態はほとんど歴史の表に出ることはありませんが、その神巫女たちが運んだ神力が強いからこそ、「ツクヨミ」という名前で今も神力は残っているのです。

出雲大社で神官をしていた人たちから聞いた情報では、この海側の洞窟の中で太古の時代に神社で使われていた「御柱(おんばしら)・緑色の勾玉、そして、紫色で楕円形の御香炉(うこうろ)」が発見され、出雲大社の中でしっかり守られていることまでわかっています。

沖縄に残る香炉の風習や、出雲に残る勾玉の意味、そして、諏訪地方に残る「御柱神事」の意味が、これでつながりましたでしょうか?

この神力を最初に日本に運んできた神巫女たちがいたからこそ、日本人の祈りは、陰陽、善悪全てをまとめるほどの世界一強く大きな愛の祈りの力があるのです。

全ての神巫女たちを体に乗せて拝む女性たちの後ろ姿は発光していて、見ているだけで神々しい光を放っていたほどでした。

写真をご覧になっても、その思いは感じると思いますので、どうぞ、女性たちの祈り姿を見て、神巫女たちの思いを感じて下さいませ。

 

◎日御碕神社

◎稲佐の浜

◎出雲大社

◎出雲教 北島家

◎真名井遺跡

◎出雲大社摂社 神魂伊能知奴志神社

◎出雲教 北島家

◎出雲大社 千家家

末広がりの八名の女性たちが行った祈りの先頭は、関東の女性(74)で、関東全域にある八つの総社の神承認を得たほど真っ直ぐに神の思いを守って下さっている女性で、全国の仲間たちから尊敬されている素晴らしい方です。

この写真を写した後に、全員に感想を聞きましたが、神巫女たちの思いを運び切ることだけを考えていたので、これほど緊張したことはないと言っていた通り、正式に出雲大社の大国主に御目通りできた神巫女たちの感謝の思いは祈りの安堵感と疲れが一気に溢れ出て感動の涙、涙となりました。

この日の女性八名の祈りによって、6000年前から続いていた全ての神巫女たちの思いが、愛に変わったことを正式にご報告いたします。

そして、それは、6000年前に日本全国の土地に入った神巫女たちの思いも、同時に、「信頼」に変わったことを意味していますので、過去の辛い、悲しい想いだけを拾って苦しんでいた女性は、自分を信じ、未来を信じ、人を信じて、愛の地球、愛を発信する日本の為にお働き下さいませ。

愛を信じて、未来の日本を喜びにすると決めて生まれてきた女性たち、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

アーカイブ

Translate »