2016年4月1日 速開都比売 メッセージ

世の平安を願う者達の祈りをこれから始めます。

私がこれまでに、たくさんの祈りをしてきた人達の思いと共に、これから新たな始まりの流れの中に乗れる人達が、一人でも多く増えますことを祈りながら、今日、この日の、この祈りに心合わせ手合わせて下さる皆さま方の思いと共に、進化することを心から願うものでございます。

あわよくば、この世に光の世が突然、訪れるかのように、はたまた摩訶不思議なことが起きて、この世が一変するかのようなことを思う方もいるかもしれませぬが、それは起こりません。

人は神の心と同じく、全てのものを見定める心、尊い心を持たされておりまする。

その神の目を我心や批判や、また孤独に使う者もおりまするが、反対に、世の太平を願うがごとく、自らにできることをと考える者達もおりまする。

この世が闇と光でできている理由は、皆さま方の心と同じく、全てがあなた達人間の心の現世(うつしよ)であるからでございまするが、まだそのことを本当の意味で理解している方が少ないことをとても残念に思いまする。

今、あなたが思ったことが、瞬時に世界の人達に伝わり、その無意識を動かし、感情をあらわにさせたり、また反対に全ての人達の苦しみを一瞬に解いてあげられるほど、強く光の神の祈りをすることが出来るのも人間でございまするが、どちらを選ぶのか、またどちらが前にあるのかによって、伝わる思いが結果となって現れることを、その全てがあなた達一人一人の人間が意識している事、全てに連動して動いておりまする。

全ての人との連動、そして、全ての自然界との連動、そして、この地球との連動、そして、宇宙との連動。

あなた達の意識は無限に高く深く、その見える世界も見えない世界も同様に、瞬時に繋がることができるアクセス権を誰もが持っているのでございます。

だからこそ、時には、ある一部の神に繋がる者もおりまするし、時にはある過去を思い出す方もいることでしょう。

中には、古い古い時代の宇宙の記憶を呼び戻す方もいるかもしれませぬが、その一瞬の、一片の思いに囚われて苦しむのではなく、本来、あなた達が今、こうして生きて、祈りができることの幸せを、まず感謝するべきではないでしょうか。

ここにいらっしゃる全ての皆さま、そして、今、繋がっている皆さま達の意識にこそ、多くの光と共に多くの神があなた達を見ておりまするし、それと共にあなたの中にあるわずかな我の思いでさえも、この大きな光に包まれることによって、囚われの思いから、また自縛や縛られた思いから外れることが出来るのでございますよ。

なぜ、私達があなた達人間の祈りを求めるかと言えば、それはあなた達が自分を「助けて下さい、苦しいから救って下さい。」という意味の祈りを求めたのではなく、本来、祈りとは、あなたの個人を超えたその思いの外側にある、大きな大きな物事の視点から自分を見ることの、ひとつの時空を離れた体験の世界であり、またそこに瞬時に全ての人達の意識が一列に並び、同様に自分と同じように祈り合わせをしてくれる人達がいるということを感じるチャンスの時間なのであります。

なぜ祈りに力があるのか?、それは、祈りはあなた方の思いから始まっておりまするが、しかし、その思いには私たち神々の意図や意志が入っておりまする。

なぜあなたは、こうした方がいい、と思ったことをするのでしょうか?

まず、こうしたいと思ったことを、何故、思ったのか?を考えてみなければ分からないでしょう。

そしてその次に、なぜそれをするのか?という意味を考えなければいけないテーマとなります。

そして最後に、それがなぜ出来たのか?、そこまで考えるべきでございましょう。

あなた達は自らが勝手に思い、勝手にそれをしようと決め、それが出来たことを当然だと思っているのではないですか?

日々、日常、太陽が東から上がることも、月が見えることも、命があることも、まだ周りにいる人達が生きていることも、そして、明日もまた永遠に続くと信じているあなたの奥底に、一点の迷いでもあれば、あなたは未来に対して光など発することは出来ないことでしょう。

つまり、あなたは「信じている」のです。

まだ、この未来が続くことを…。

そして、今を生かされているということを…。

生きているのではなく、生かされているのだということを、本当の意味で知りたければ、自らの死を考える前に、大切な人達の死を一人づつ考えてごらんなさい。

人の死を悲しみにすることは簡単でございますが、人の死から、「なぜ、あなたがまだ生きているのか?」を考えることこそが、最も大切なのでございます。

代わりになってあげられれば、よかったと思う方もいるでしょう。

私が先に死ねばよかった、と思う方もいるでしょう。

しかしそうではなく、「今、あなたは生きている」わけなのです。

それは、生きているのではなく、「生かされているのだ」ということを…

そしてそれには意味があり、「やらねばならぬことがあるのだ」ということを…。

そしてそれは大層なことではなく、「誰もが普通に日常の中でできる事だ」ということを気づいて欲しいのです。

特別な場所で、特別な思いを持って、特別な祈りをする方もいるでしょうし、ただ、平安な日常の中で今を生きることに感謝する祈りをする人もいることでしょう。

時には時間や場所を決めて、志同じくする人達が集まり、その感謝の光を自らと共に仲間達と発信することをする人達もいることでしょう。

その全ての祈りにおいて、誰もが「自分という思いを超えた行動をしていること」を気づかなければいけません。

「自分がしたいか、したくないかで物事を考える時代はもう終わり」でございます。

今日からは。あなたがしたいかしたくないかではなく、「これはしなければいけないことなのか?、した方がよいことなのか?」、要はプラスかマイナスかどちらかで考えるべきですし、必ずや、プラスのことしかあなたの脳みそには思い浮かばないように設定されていることを信じて下さいませ。

もし、あなたが今、信じたことをやりたくないことであったとしても、自分が思ったのだから「そうそう、こう思ったことは神様やご先祖様達が私に思わせてくれたのだから、やりたくなくてもやったほうがよいことなのですね。」と、自分で気づくことが大切なのでございます。

つまり、あなた達はどんなことでも本当は気づいていたはずなのですが、ただその通りに素直に行動する勇気や、素直な心を持ち合わせていなかったからこそ、自分がそうではないと思う道を生きようと苦しんだだけなのでございます。

我々は誰も、あなた達を苦しめようと思ってこの世に出した者などおりませぬし、あなたが肉体を持つ時に決めたように、過去に出来なかったことを乗り越えるためにあなたは決断をし、その許しを得て人間として生まれておりまする。

ならば、何故まだ今、過去の自分を正当化するような思いで「今」を生きているのでございましょうか?

自分が正しいと思うから…?

それはようございますが、周りの人達がその選択を聞いて、皆それが良いと思うと思いますか?

はたまた、あなたがその事をしないと決めることを、周りの人達はどう思うでしょうか?

これは、人にどう思われるかを学ぶ学びではありません。

あなたが選択することや選択しないことでさえも、自分を正当化することもまたよしとし、また、自分を犠牲にして人を生かすことさえも、実は、「ひとつの学び」として見れば良いのでございます。

なぜかと言えば、

「人と人は、生かし合いでしか生きて行けぬもの。」

だからこそ、自分のおごり、自分の正しき道、その道だけを追う者は、必ずや、「孤独というゴール」に到達してしまいますので、どうか、そのおごりの自分の想いを鞘(さや)に納めて、愚かな自分の視点ではなく、多くの人達から見て、その苦しみ、葛藤、悩みの渦中にいる時でさえも、いつかこれを乗り越えた時の自分が「本当はこうすれば良かったのに。」と思う、その選択を、今、して下さいませ。

それが、あなた達に伝えたいことでありまする。

今日という日は、また新たな始まりのエネルギーが上がりますので、これからまた忙しくなる方もたくさんいるでしょうし、はたまた手に負えぬ、放置していたことが多い方にとっては、また保留にしていることが多い方にとっては、混乱の渦の中に入って行くかもしれません。

物事が、また人生が、またあなたの魂が決めて来た道が「本来の道」へ到達しようとするならば、迷っている暇などございませぬ。

それほど、「皆さん一人一人には時間が無い」のでございます。

あなたの命よりも、この地球は長く存続いたします。

それは確かなことでございまするが、あなたがまた転生して来るまでに、この星があるかどうかは、今のあなた達、次第なのでございます。

だからこそ、こうして少しずつ少しずつ大切な気づきを、今、毎月のようにお伝えしているわけでありますが、この意味を分かる方、そして、素直にそれを行動に移せる方達が増えることで、この世の中は変わります。

未来が、お金の価値観で決まるのではなく、政治力や権力や、また支配者やブラックマネーや、あらゆる闇の世界の支配で動かされていると思うはずもなく、それは愚かな囚われの学びでございましょう。

自分が孤独の一員なのか、自分が愛そのものの一員なのかという、その「立ち位置の視点から全ての意味が変わる」のでございます。

今まであなたがいた場所が、「階段の3段目」だといたしましょう。

ならば今日、この2016年5月1日より、あなたは「4段目に上がった」のですから、もう過去と同じような脳みその使い方や同じような言い訳や、同じような思考パターンを繰り返すことは、どうぞ、おやめ下さいませ。

あなたにとって光となる存在や、人や、鏡となる人は、誰でございましょうか?

その人達が、全てあなたの前からいなくなり、また、学ぶ相手も光を与えてくれる相手もいなくなった時に、あなたの目の前にいる全ての人達があなたよりももっと惨めで残酷で苦しく孤独にさいなまれた人達であるとしたら、あなたはそこで何をしますか?

その場から逃げたくなるでしょうか?

それともあなたは、それまで学んだことを自分ひとりで始めるでしょうか?

そこがいつも…、今、あなたに伝えたいことでございます。

もうあなたは、たくさん大切なものや知恵や経験をしているはずなのに、なぜそれを愛の方向で使おうとしないのでしょうか?

なぜまた同じような、昔と同じ心で、その思いを変えずに置いたままにしているのでしょうか?

あなたはもう、変わったはずですよね?

もう1段上がったことに気づいていないのは、あなただけでございます。

周りの人たちはとっくにもう、その気づきの準備をしているからこそ、まだまだこれからもたくさん上がるべき視点があるからこそ、今できる今の学びを、そして、今いる人達を大切にしながら、共に学びを分かち合える「大切な鏡」であると信じて、自分の思いを正直に話し、また正直に生きること、そして、甘えの言葉は発せず、大切に人を思う心を育む時期なのだということに気づいて下さいませ。

今日はこのようにたくさんのお話しをさせて頂きましたが、それはあなた達が人としての学びだけではなく、神としての心の学びをもうしなければいけない時期に来ているからでございます。

ある一面、人間としてするべきことはたくさんあるでしょうし、尽きないほど苦しみや悩みや、さいなまれる出来事も起きることでしょうが、それは永遠に続く、肉体を持った方達の宿命でありまする。

しかしながら、魂の学びはその宿命に関係なく、あなたが決めたあなたの道を、あなたの目的を、誰と共に学びながら一緒に進んで行くのか、また、その得たものを誰にお返しして行くのか、「全てはこの世はあなたが得たものを全て恩返しするために表わされた現人神(あらひとがみ)の思いの結果」でございます。

私たちが、望んだのではありませぬ。

現人神(あらひとがみ)、天と繋がる神の人間が望み始めたこと、それこそがこれから大きくこの世の中を変えて行く力となりまするがゆえに、皆さまが皆さまの学びだけで終わらぬよう、どうぞ、多くの人達へ自らが得たものを分け与えて下さいませ。

どうか無限に無限にこの世が続きますことを願う人達と共に、育み愛し合い、支え合うことの喜びを一人でも多くの子供達へ、また次の、次の次の世代の人達まで伝えて下さいませ。

私たちが願うことは、あなた達と同じでございます。

神は特別な存在ではなく、あなたよりも大きな視点で物を見、考え、そして、見定めているからこそ、言葉を発せずただ見守っている存在でございます。

そのことをどうぞ心の奥底に入れておき、あなたがその「実践する一人の神である」ということをお気づき下さいませ。

どうか、どうかこの言葉がたくさんの人の心に響きますことを、心より、心より祈らせて頂きます。ありがとうございます。

 

(午後の言葉)

「現人神(あらひとがみ)」でございます。
「現人神(あらひとがみ)」でございまする。

皆々様全てが、「現人神(あらひとがみ)」でございまする。

だからこそ、まず、自分を信じて下さいませ。
 

現人神は、自らを問う事を致しません。
現人神は、自らを問う事は致しません。
 
だからこそ、全ての目の前で起きる事や、世の中で起きることさえも、囚われは致しません。

ただ、悲しみ打ちひしがれる事もありましょうし、強く心の意志が立つ時もございましょうが、それもその時々において、人である事の大切な部分の学びでございます。
 

我々神は、誰もあなた方を苦しめようとは思ってはおりませぬ。

誰もでございます。

先祖が…しかるに、あなた方のあらわしでございますがゆえに、愚かな者も、はしゃぎまわる者も、また、誰かを責めたくなる者も、陰で動きたくなる者もいる事でしょうが、それは人として産まれた事の結果であり、ただの愚かさの一部の表れでございまするが、その、囚われの言葉に、振り回されることなく、まずは自らを信じて下さいませ。
 

「あなたが、あなたを信じる事」から全てが始まります。

誰かの言う事や、誰かのすることや、それ以外に起きる事を、自分のせいにして問いてみたり、また、誰かを問うような発言や、想いを動かさぬ事、それこそが、最も大切なことでございます。

心を動かさぬ事、それは無理かもしれませぬが、一瞬一瞬の想いに囚われて、気が迷って苦しいからといって、その苦しみを誰かのせいにするような、愚かな心は動かさないでほしいとお願いしてるのでございます。

一人一人が、「神の化身」でございまする。

また、それは神であるという、意味でもありまする。

だがしかし、現人神(あらひとがみ)であるという事は、人でもありまする。
 

人としての欲望や学びや囚われや恐れや、また、呪いさえもあるかもしれませぬが、それは人の部分の学びであり、神としての学びではございません。

神は全てにおいて、平等でございまする。
 

もし、神が、誰が誰かを問うような言葉を発するなれば、その神は、あなたの我神に写った神であり、本来の大いなる神ではございません。

人神を祀ることは悪いとは言いませぬが、人は人でございます。
 
我々が申してる神とは、人ではない人間を・・・また自然界を・・・また地球を・・・また宇宙そのものを見守る存在たちの事を、「神」と申してるわけでございます。
 

それ以外を呼ぶ神とは、皆さま方にとって都合の良い拝む対象であり、また感謝の対象であるからこそ、学びは多くありましょうが、その対象がもし「人」ならば、それは己と同じ、神の人では在りまするが、「人」であるという事を忘れてはなりませぬ。
 

「人」は、永遠に「人」でありまする。

「人」はまた、無限に「神」で在りまする。

この言葉をよく噛みしめて下さいませ。
 

あなたがあなたを信じない事、それは、あなたが神を信じないこと以上に、罪でございます。

そして、あなたが人を信じない事、それはあなたが犯す最も「大罪」でございます。

 
人とは何か・・・

つまり、あなたに向き合う、あなたに関わる、あなたに触れ合う、全ての人は、あなたの一部分の「写し鏡」だからこそ、何故、その愚かな部分から、自らの視点を変えようと、変える為に相手がその役目をやっているのだと、気づけないのでございましょうか?

まだその過去の囚われの事に気がいってしまい、自らの苦しかった視点を変えられないのでしょうか?

それでは、情けない事になってしまいますよ。

 
あなたたちが言うカルマの輪廻、それが起こす仕組みは、今、申した通り、相手を恨む事、自分の苦しみを掴んだままでいる事、その心こそが全ての輪廻を生み出しまする。
 

神には、輪廻はございませぬ。

転生もございませぬが、またその反対に、地に降りる事もございませぬ。
 

この地に降りたものは、全て「現人神(あらひとがみ)」であらせまする。

全ての人が、人を支配したり、また、人を恨んだり、殺し合ったりすることも、人の学びでありまする。
 
それをどう捉え、あなたがどうしようと思っているのか・・・

あなたが人の目で見るのか、神の目で見るのか、そのたった一つの視点を変えるだけで、あなたが居るべき位置や、あなたが成すべきことは変わるのではないでしょうか?
 

現人神(あらひとがみ)であらせられる皆さま方の心の奥底にある、人としても想いを、どうぞ、私達にお預け下さいませ。

本来、皆さまは、現人神(あらひとがみ)であらせられまする。

その思し召しがある国家国民としてお産まれになった皆様は、その現人神様を祀る事から自らの鏡となるよう、仕組みが出来ているのではありませぬか?

誰かを絶対神として祀るのではなく、永遠に、我が現人神で有るということを気づく道のりが、現人神を祀ることでございまする。

本来ならば人が祀り事、拝み事をするならば、それはあなたの命にに直接、関わるもの全てでございましょう。

それが本来の祈りの対象であり、また、祟りの対象でもございまする。
 

全ての命は、「駆け引き」がございます。

多くを取り過ぎれば多くを奪われますし、少なからずを良しとするならば、少なからずを良しとして物事が治まりまする。

その仕組み、「摂理」をご理解の上、どうぞ、これからの生き方として、自らの過分なる想いを治めながら、大いなる大志は人の為、世のために働くものとお決めになり、この世で生きる意味、生かされてる意味を、どうぞ喜びにして下さいませ。

 
私達は、あなたたちが苦しむ事を、喜んではおりません。
 

悲しみも苦しみも辛さもたくさんあるでしょうが、その反対に、喜びも感動も共感も、そして、未来につながる出会いもたくさんチャンスを与えておりまするが、あなたがその事に気づくかどうかでございます。

後ろばかりを振り返らずに、横ばかりを見ずに、まっすぐ前を見て、目を見開けば、たくさんの人たちが、あなたと一緒にその場、空間に居る事が分かりますよね?

ならば、あなたが出来る事をどうぞ、ひとつしてあげて下さいませ。

 
「おはようございます!」と声をかけるだけでも良いかもしれません。

「落ちましたよ?」と、落し物を差し上げる事もできるかもしれません。

かわいい子供を見た時に、笑顔で手を振ってあげる事も出来るかもしれません。

誰もが、経験した道でございます。
 

あなたがその道を歩いていないような振りをすることは、本来、おかしなことであり、あなたがその素直に行動したい事をするだけで、人の心は繋がり、感謝で溢れ、「いつもありがとうございます」という想いが動くのでございます。
 

私達は、永遠に一人ではないのでありまする。

いつもあなたと、一緒でございまする。

 
だからこそ、「自らが現人神で在る」という事を心に決め、「人として一生懸命に生きる事」と、また、「神としてその喜びを感じるように生きる事」の、この「二つの目」で、これからは生きて下さいませ。

 
神の想いを学ぶ時、それは、あなたがあなたを知ることにもなりまするからこそ、どうぞ、全ての言葉を、全ての想いを問わず、全ての想いを受け入れ認め、そして受け流して下さいませ。

 
心の中に留めておけば、苦しき想いとなりまする。

常に、心は軽やかに、「今、在る事」「今、出来る事」そして「今、居る人達」とその事を始めさえすれば、必ずや、今、あなたが思ってもいない事が起き始めるのでございます。
 

全ての物事は、あなたの目の前にあることから始まるのです。
 

遠く果てしきなき想いを追うのではなく、遠き地を彷徨うのではなく、自らの生まれ育ち、今、住んでいるその身の回りに、全てが用意されておりまするからこそ、好き嫌いを言わずに、自らの行動を変えたり、また、習慣を変えたり、思い込みを変える事から、始めれば良いのではないでしょうか。
 

今日この日が、「あなたが変わる記念日」となれば、また新たな人との出会いや、出来事や感動が始まりまする。

あなたが笑顔で明日を迎えられ、また笑顔で人を送り出すその優しい心で居続けられる事を、心より心より、お祈りさせていただきます。
 
いつもいつも、ありがとうございまする。



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