2017年元旦 速開都比売 メッセージ

(午前の祈り)

展望粛々(てんぼうしゅくしゅく)なる祈りとともに、皆々様方の心よりの発展と繁栄をお祈りいたします。

これから申し上げますことは、これより始まります、起きますことの前ぶれと申しましょうか、心構えとしてお聞きくださいませ。

これから始まります時の流れは、一気に加速し、1月、2月、3月と、その頂点を極めるが如く、加速して大きな波が天へ向かうが如く、吹き上がります。

その流れに乗るか、またその流れに押し戻されるかは、その人の心の強さであり、また信念そのものでもありますが、それが良きことが起きるのか、悪しきことが起きることで気づかされるのかは、これまで生きてきたその人の、心の扱いと、人の扱いと、他人から思われる思いとの間(はざま)の波で決まりまする。

多き思いとともに、重き思いを抱えている人たちは、その海の底へ沈むかもしれませぬ。

やがて、いずれ、その思いを見つける人もいるでしょうが、それはまた次の世代の人にお任せいたしましょう。
 

心を解き放せば、無限に心は開き続けるものですが、時によっては心を閉じ、身を固くし、自分を守りたい、つまり、過去からこだわってきた自分を守りたいとも思うこともあるでしょうが、それはあなたの愚かさを掴むのと同じですのでどうぞ、お辞下さいませ。

これから起きるこの波は、あなたたち人間が幾万回生まれ変わったとしても、到達できぬほど、大きな流れの波だからこそ、誰もその波の乗り方など知りませぬ。

未来に希望的観測を言うのは簡単でございまするが、その道を示し、ともに歩き、手を繋ぎ合せてくれる人がいるかどうかは、あなた次第でございまする。

まずは、心を解き放ちなさい。

そしてこれまで、こだわってきた思いや、過去の痛み苦しみ、その全てを、その荷を横に降ろし、心身軽にして下さいませ。
 

現実は、すぐには、何も変わりませぬ。
 

しかしながら、あなたが歩き出す心が軽いだけで、目に見えるものや出会う人さえ変わります。

その上では、あなたが何を感じ、何を思うかによって、その「次の扉」が用意されるのです。
 

辛いときには、助け舟のような人も現れるでしょうし、人を信じられなくなるときこそ、自分が落ち込むようなことを言う人や蔑む(さげすむ)人が現れるでしょう。

それもみな、我々の思いの化身(けしん)であると思って下さいませ。
 

あなたにとってこの世にいる全ての人たちが、また、見えること、聞こえること、感じること、思うことが全て喜びならば、きっとそうなることはないでしょうが、もし一瞬でも戸惑いがある心を残しているならば、その最後の戸惑いを超えるためのことが起きまする。

しかしながら、そこで足を止めてはなりませぬ。

あなたたちは、まだ生きているのです。
 

この瞬間にも命を全う(まっとう)するための準備をされている者たちがたくさんいますし、突然そのお迎えはやってきますが、それはその人の魂が決めた、そして私たちとの契約であり、そのことを変えることはできませぬ。

幾ばくもない人生と思うならばそれは淋しきこと、残された人生をどう生きるかと思えばそれはワクワクの世界でございましょう。

 

希望を見失い、人を信じることを恐れ、自らを問うように人を問い、信じるものがこの世にあるものしかないと思うならば、あなたの心はいつ創られたかを考えた方が良いと思います。
 

肉体を創られる前から、あなたには「心」とよばれるものの前に、大切な思いの集合体である「魂」というエネルギーがあったからこそ、あなたたちは人間として生まれることができたのです。

そして他の動物たちも、そして動物ではない生命体も、全て同じ摂理で生まれておりまする。
 

この地球には幾千万年の長い年月(としつき)の流れの中で、幾度も困難と思えるようなことも起きましたが、当然、これからも起きまする。

しかしながらそれは決して誰かや何かを問うためではなく、この地球という大切な星が生き残り、そして本来の役目になるまで必要な出来事だと思って下さいませ。
 

この地球という星は、宇宙において、とても重要な「希望の星」なのです。
 

そのために多くの魂たちが、生まれる順番を待ち望んでおりまする。

その先にも、その先にもと、我先にと争うが如く、この地球に生まれたいと誰もが願っているのでございます。
 

なぜかといえば、これまでの宇宙でさえも、過去の失敗と苦しみの思いの連続だからこそ、決してできることがないと言われていた愛の星を創造するための仕組みとして人間を誕生させました。

そのことを理解できる人たちがいるならば、どうかこの星で、そしてあなたが今住んでいる場所で、できることを精一杯なさりながら、生まれた土地の場所の意味と思いを全て愛にするためだと思って下さいませ。
 

どこに住むかも、誰の子どもに生まれるかも、何番目に生まれるかも、いつ死ぬかも、全ては設定の中でございまする。

あなたたちにできることは、ただ日々瞬間の中における選択であり、その結果がどこに向かっているのかを気づいたものたちのことを、目覚めた人と呼ぶだけでございます。

どこに行くかを分かった人がさまよってはいけません。

心を研ぎ澄まし、導きの心を持ち、命の繋がり以上に、感謝する心を持ち合わせていなければ、それはただの「エゴのような愛」でございます。

もしあなたが、心の底から悲しみを癒し、苦しみを尊び、感謝する人になっているならば、きっとあなたの周りには、そのことを当然だと思うほど、素晴らしい人たちに囲まれているはずです。

もし、そうでないのなら、まだ、情愛や駆け引きや勝ち負けの世界にいたいのであれば、この上昇の波は、運気が転換する波だと感じることでしょう。

波には、逆らえませぬ。

上手に波に乗ることができる人は、心が穏やかで、朗らかで、笑顔が綺麗な人でございます。

それが、ひとつの目安でございます。

泣いても笑っても怒っても全てが真剣で、素直で美しいものでございます。
 

感情は私たちが、与えたプレゼントのひとつなのです。

だからどれを否定することもなく、ただその反応する感情の自分を知れば良いだけなのですよ。

だから誰かを問う心など要りませぬ。

要りませぬ・・・。

 

もうあなたたちには、「戦い」という心や思いに囚われるのではなく、どんなことがあっても、揺るぎない強い信念と「強い愛」の思いによって支え合い、そして励まし合い、そして守るべきものを明確にすることでしか、愛の創造は大きくなりません。

この世が終わることなどありません。

まだまだあなたたちには、しなければいけないことがありますから、今いる人たち全てがいなくなっても、まだいくらでも再生させることは可能です。
 

急ぎ生れさせる魂も多くなってきております。

尊い魂が命を失うことは辛いことですが、そのお陰で、生まれ変わりの順番が変わります。

次の世代の子どもとして生まれ、次の世代を導くための役目として、その人は活躍するのです。
 

あなたたちが思うような人生などありません。

これは全てが生まれ変わりの流れの中の旅人のような魂に、光を与えた肉体という時間の意味が分かる人なら、気づいているはずです。

時間は無限なようで、無限ではありません。

 

しかしながら、永遠なる無限など、また、ありません。

この世は有限か、その問いをした人の「心次第」と言っておきましょう。私の未来は無限か、いえ、「あなた次第」でございます。

これから先、誰かを問う心を動かした者は、今まで積んだ徳が一気になくなるほど、強く激しく、痛みを伴う経験をすることでしょう。

それは「人の痛み」を知るためでございます。
 

防御とは最大の攻撃であり、攻撃こそ防御であるという言葉がありますよね。

その攻撃は自分に向けることが、まず最初なのです。

逃げたい、ごまかしたい、避けたい、言い訳したい、その自分を自分で攻撃し、滅することでしか、あなたの次の居場所はございません。
 

これより先、導かれる全ての気づきやメッセージ、そして歩み続けてくださる仲間や家族、そしてあなた自身が、行く末万感の思い、全てが愛となるよう導きますので、どうぞ御心(みこころ)合わせながら、道開きともに歩める魂の仲間と出会って下さいませ。
 

あなたに必要な魂が、目の前にいることをお忘れなく!

それがあなたの答えであり、希望であり、そして、その先に出会う人や情報があなたにとって気づきや喜びとなることを、心から願いまして、この言葉を伝えさせていただきまする。

これより生まれまする、新たな命に対し、希望ある大人たちとなるよう、心から、心から、願いいたしまするー!!!

 

 

(午後の祈り)

 

移ろい給いて 神ましまするは この世の定めとなりにけり

この世 おろかなる心持ちて生きるならば
それ心の迷い その者の道となりき

恐れ多きかな 神々の思いの中 生きとし生けるものすべての思い
これひとつを掴みて眺めれば それ苦しみの糧となりにけり

心おろそかなる者ほど 自らの糧を掴みてその手を離さず
またもう一つの手で掴み給う物 もがき苦しみ 生き地獄となりにけり

思い馳せ給いて喜びの道に行こうとするならば
その手にある糧の思いを一度 手離しなさい

糧なるものは 人の思いでもなく お金でもなく 財産でもなく
「人に思われる心」という思いの積み上げこそが
すべての価値の高きものなり

これ 高き積み上げることを「徳」と申すが 我々の徳ではなし
恩徳遡上無限のことならば これ 時にしておろそかなりにけり

わが身給うこと これ 高き遠きものとなりしことならば
ここにおわします命とありがたき人々

身を守りて命を繋ぎ給う先祖の思いに手を合わさずして何があろうか

神仏の元なる元は 同じものでありにけり
それまた黄泉(よみ)の言葉と思いとなれば 天の言葉と同じなり

神仏無限無情のことながら ここの永らえる命の災いを思いて生きるべくとすべし

またそれ手離して 遡上無縁の神の道に身を委ね
この世の喜びを選ぶと決めるならば

それ神仏これし 神の思いの波に乗り
見計らわれるまでのこの時すべてが 神の目の中にあり

神の手の中にあるからこそ 思いすべて無情のこととなりにけり

無情とは「愛そのもの」のこととなりにけり

最も悲しき時 苦しき時 辛いと思う時ほど
その愛を気づくチャンスなり

無情と私情は違うもの
情なくばこれ あるものは愛そのものなり

愛に情はあらざるが如く また 情には愛があらざるが如く
これ 両面の鏡ほど 裏表の光を発するが如く

対になっておりまするが故に 己が向かう御鏡の鏡に何が映るかを見つめなさい
またその後ろにある鏡の思いも感じなさい

それはあなたが自分を見る時の目と 人を見る時の目の違いでありまする
その分離した目を持つ限り この世の学びは苦しみの道となり

一時の喜びを掴みて落ちて またもがき苦しみの日々となりまする
まずは 自らを見つめなさい

自らの御鏡の奥底にありまする 本当の「真我の目」を磨き
その目で自らを見 この世すべてを見るならば
すべては「人の思い」でなせる業(わざ)

成せばその思い 磨き給いて「真我の鏡」
心の中で「合わせ鏡」となさりなさい

裏も表もあなたなれば その真実の思いは誰にも通じ
その思い 神仏先祖のすべての神々にも通づる心だからこそ

およばぬことの意味づけをするよりも 自らの真我を問いたまえと申します

美しの世を創るは 美しの心を持つ者なり

本来の喜びは他が為になるものではなく わが身の為
ならば自らの御鏡 磨かなければ意味はなし

天我天昇 己の中にあるものと 人の心に映るものが同じに見えた時に
あなたは解脱の心と同じように「信ずること」を学ぶのです

憂いなく 勘重なく 愛なくばこの世など存在しません

あなたたちがいくら理由をつけたとしても
この世を創造したのは 創造主だからこそ
あなたたちの言い訳 摂理など 通用はしませぬ

だからこそ 今ここで生まれ変わりの為の儀式をいたしまする

天我天昇 生まれ出づる魂の輝き持つ者ならば
これより始まりまする2017年の時の流れに身を任せ

委ねる心の光と共に 身の回りに起きること
まばゆき光の仲間と集まりしこと 幸多き出来事と喜びを設定し

その先に手を合わせ 感謝する者の姿が見えるならば
これ 神と先祖の道筋になればこそ

その道に身光与えしもの これ「大神の心」と感じるならば
今この時を持ちて 己の生れし古(いにしえ)のカルマを外し給えと我申します❗

生れ出づる神々の元サヤを治め直して
すべての「御霊の禊を始め給え」と我申す❗

ウイヤン カムシー サー ティンガー
ウイヤン サムシン サー ティンガー

「御霊磨きの神」を働きたまえと我申す❗



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