打ち解け合う心を持てば、それは、全ての素晴らしい思いとなり、相手の心を溶かすほど、たおやかに光り輝きますことでしょう。
心の角(かど)に思いを立てれば、それは、角(かど)が相手を傷つけることになりますので、どうぞ、人と接する時は心を丸めて接して下さいませ。
「時、既に遅し」と諦めている方たちもいるでしょうが、人と人のご縁は、無限、無限に繋がっておりまする。
あなたが選んだようで選ばされたそのご縁も、あなたが選んだつもりがないというその人とのご縁も、全てはあなたの人生設計の中のひとつのドラマとして、あなたが決めて生まれてきたことでございまする。
行く末、万感、世の流れに従うならば、これより先、新たな出来事が起きるかもと思うのであれば、「新しいあなた」が今そこにいらっしゃることが大切でございます。
心を研ぎ澄まし、誰に対しても変わりなく接することができるような心をあなたが持てば、あなたはいつも、誰からも、どこにいらしても、輝くこととなることでしょう。
「美しの世」とは、そういう人たちが増えることを言うのです。
「美しい心」を持つ人たちが、「美しい心」を持つ人たちへ与える「愛の言葉と行動」を見た人たちはどう思うでしょうか。
相手を傷つけるのではなく、相手に勝つのではなく、相手を諭(さと)すように、自らの思いを語りながら、静かに、相手を受け止めてあげる心を持てば、どのような方でも、いずれ、心は研ぎ澄まされた剣の刃のように、硬い自らの殻を壊し、新しい世界へと出ようとするものなのですよ。
「優しさ」とは曖昧(あいまい)なもので、都合の良い場合を特に「優しい」と言いますが、優しくしてくれた人を「優しい人」というのは、それはあなたにとって必要だと思えたからでございましょう。
また、嬉しかったからでございましょう。
どんな人にも、「優しさ」は持って生まれております。
親に教えられたわけでもない人に「優しくする心」は、誰にでも同じように、持って生まれさせておりまする。
なぜかといえば、「優しさ」には本来、境界線がないからです。
誰にでも同じように優しく接することができる人ならば、その人はもう、心の隅(すみ)まで優しさに満ち溢れている方だからこそ、その時の過ごし方を大切にして下さい。
繊細なガラスのような心を、お持ちの方もいらっしゃるでしょう。
しかしながら、そのガラスはいずれ砕け散るか、はたまた頑固なガラスの塊となるかは、「今のあなた次第」でございます。
まだ、人を問う心をお持ちならば、それが苦しみとなることを気づいて下さいませ。
誰かがあなたにとって都合の悪いことを言い、都合の悪いことをしたとしても、あなたがその人を「許す心」を持つのであれば、頑(かたく)なにガラスの心になるよりも、ずっと、楽しく生きていくことができるものでございます。
それをあなたは「負けた」と思うのならば、まだ、勝ち負けの世界に生きている20世紀タイプの古い人間であり、もう、新しい21世紀に入っていることを気づいていないのだと思って下さいませ。
洗い流せば、全ての「汚れ」は落ちまする。
全く「新しいもの」を買い換えれば、それは確かに素敵でございましょう。
新しい人に選び直し、新しい土地へ住み、新しいことを始めるのも良いでしょうが、全ての物事を判断し、考える心が「古いままのあなた」ならば、どんなに人や場所やお仕事を変えても、同じような体験をまたしてしまいますよ。
失敗が悪いのではなく、誰かを傷つけてしまったことが悪いのでもなく、また、自分が傷ついたことが悪いことでもありません。
傷つけ合うという行為、もしくはその思いは、ある意味、「過去の思いの恨み返し行為」であり、過去にあなたが傷つけられた人は、必ず、誰かにその仕返しをしてあげたくなるのです。
しかしながら、また人を傷つければ、あなたはまた違う人に傷つけられることになるでしょう。
人を傷つけるとは、最も自分の心を苦しめることですので、どうぞ、まずは自分自身の弱き心や脆(もろ)い心に対して、優しく向き合ってあげて下さい。
「誰もあなたの気持ちを分かる人がいない」と思うのであれば、誰か一人で良いです。
一人だけで良いので「私の話を最後まで聞いてもらえますか?」と一言だけお願いして時間を頂いて下さいませ。
ただ一人、この世の中にあなたの過去の償い、行い、詫び、全ての思いを伝え、知ってくれる人がいるならば、もう、そのおかげであなたの心の中の半分以上は、手放したことになるのです。
あとは、空いたその半分の空間に、「新しいあなた」を入れ、「過去のあなた」を包み込むように優しく愛することなのです。
あなたがあなたを愛することができなければ、どんな努力も、どんな美しさも、どんな財産も、知恵も価値もありません。
この世に「生(せい)を受け、持って生まれてきたものと、あなたが生きる間に得るものは、全てこの世を離れる時に置いていくことになっておりまする。
ただ、持っていって良いのは、あなたの「思い」だけでございまする。
つまり、この世はあなたの「新しい思い」を体験するための場であり、過去世を超える、また、今世の苦しみを超える、さらなる魂の輝きを、今、この日、この時から始められることをお勧めいたします。
全ての人の心の中にある戸惑い心、迷い心、苦しみ心、逃げたい心、寂しい心、やるせない気持ち、悲しい気持ち、思い出したくもない忌(いま)まわしい心、しかしながら、その全てはあなたが一人で生きているのではないという「証」なのでございまする。
どうか、相手がいるうちに、あなたが生きているうちに、「問う心をおやめ下さいませ」とお伝えいたしまする!!
全ての人の心に、喜びなる光が降り注ぎますよう私たちも全身全霊をもちまして、愛の光をそそぎたまえまする!!!!
ありがとうございまする。
夢 虚(うつ)ろに 湧(わ)きたてまつる この世の所業の苦しみひとつ
哀れ 悲しや 時の流れとともに 消えゆく思いなればこそ
己の玉を 磨きたまいて 艶やかに 光輝かせればこそ
この世の思い 全て愛と光と 感謝となりまする。
夢 虚(うつ)ろに休むときこそ
どうぞ 我々のことを思い出して下さいませ!!
誰一人!!神に見守られていない人などございませんー!!!!
「木花咲耶姫(このはなさくやひめ」、海の底から全ての希望、喜び、悲しみ、苦しみ、まとめ上げ、天へ導きその喜びをさらに次元を変える役目なり。
天、宇宙と繋がる、繋がりを持つ宇宙の神として、古き時代にこの世に降りた事を知る者少なく、時おろそかにその意味を変えつつ扱いする者多かれど、しかしながら、本来の役目は全てを喜びにする為。
この世にある想い、苦しみ、悩み、嫉妬、そして、願いさえも、全ては人の心の中で起きることなればこそ、天を仰ぎて望む声と、地を想いて苦しむ想いと、海のせせらぎを聞きながら安らかになる想いと、その一つ一つが同じだからこそ、自らの中でその喜びの循環を創る事こそが、この世の循環を創る事となりまする。
関東で行いました「循環摂理」の光岩のエネルギーを見守り支えた者、それ、木花咲耶姫なればこそ、天より地球の底(すく)まで繋がる事、喜びと申しておりまする。
余計な意味など一切考えず、自らの中にある、喜び・悲しみ・苦しみ・嫉妬・そして、羨む心さえも、全てをひとつにまとめなさいとお伝え致します。
全てはあなたから始まった想いだからこそ、その全てをまとめる事が出来さえすれば、それこそが「循環」となり、「新たな始まり」となるのです。
「次元を超える」とは、天に昇る事だけではなく、自らの中を深く見、その想い全てをひとつに治むる事においても、同じ意味が有ります。
皆様方の言葉でいえば、「我を知る」という言葉になりましょうか。
己が己を知らずして、何を問うのか、何を迷うのか、そして、何を望むのか、分るわけなどございません。
全ては皆々様お一人お一人の心の中で思った想いだからこそ、その全てを自分の想いとしてまとめ上げて下さいませ。
これより毎月行いますこの祈りの日に、その想いをひとつにする時間となればこそ、皆々様と共に、宇天(うてぃん)の繋がりを使い、共に自らの内側と、天なる次元の高みの繋がりを循環しながら感じ取る時間となりましょう。
だからこそ、これからが皆様達の上る・・・また下る道なのでございます。
誰かを問う言葉こそ、全て自らの問う言葉になるからこそ、人を問う心を自分だと言い換えてみて下さいませ。
「人は鏡」と申しまする。
あなたが誰かの事を想い陰口を吐けば、必ずや、即座に誰かがあなたの陰口を吐くでしょう。
それは、この世の「鏡の節理」でございます。
天と地でさえも、あなた方お一人お一人の天と地であり、我々が申し上げる天ではなく、また、地でもありません。
地球そのものを支える意思と、地球そのものを見守る宇宙の存在達の意思と、同じようにあなたがあなたを見切る事、想いをまとめる事こそが、これからの最も大事なお仕事でございましょう。
日々を流され、自らに向き合う時間を取れぬ人などおりません。
寝ている時も我々がサポートし、起きている時も全て、皆さまが思う事全てを記録しておりまする。
何故かと言えば、皆さまたちがの「思う事」が、描かれた結果が、この「現世」でございますからこそ、誰かを問う前に、「自らの鏡を磨きなさい」と申し上げ奉ります。
海と山と空と地の底を繋がるこの一つのエネルギーの柱が、明治神宮の光岩に立っているからこそ、この軸をもって、地球の中心と、宇宙の奥から繋がるエネルギーラインがあるので、それは男女の繋がりにも等しく、全てはエネルギーで繋がっている事を正しく理解して下さい。
皆様が言う「愛」とは、このエネルギーそのものの事を、そう呼ぶのです。
良いも悪いも、好きも嫌い、許すも許さないも、善も悪も、皆、あなた達の心の中次第でございましょう。
この世に、「許されぬこと」などございません。
人が行う所業は、あくまで「人の所業」。
自然界の摂理には叶わず、宇宙の摂理など理解もせずに、ただ、自分の世界を見据える事をしなければ、何ひとつこの世は変わりませんと申しておきます。
自らの中に「愛の柱」を立て、善も悪も無く、ただ、光の喜び、そのものの繋がりを感じる時間を持つことの大切さをどうぞお伝え下さいませ。
祈りは全て、あなた達の為のものでございます。
私たちは、ただ見守るだけでございます。
どうぞ、宜しくお願いいたします。
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