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【茨城県】日本に祈りを伝えた鹿島神宮・香取神宮の大巫女たちのメッセージ 2

鹿島神宮の跡宮>

2014年6月7日の神事の報告

御祭神 武甕槌大神荒魂(たけみかづちのおおかみ あらみたま)
鎮座地 鹿嶋市神野4-1-12

まず、この「鹿島神宮 跡宮」の資料をお読み下さい。

○『跡宮』:鹿島の大神の荒魂を祀る

その由緒については諸説あり、「鹿島神宮伝記、春験記・鹿島ものいみ由来」等によると、鹿島の大神が始めて天降り給いし所が跡宮で、本宮の祭の前日にこの社を祭るとし、また奈良の春日は御分霊の際、ここから鹿島立ちされたとの伝えもある。また、この社の別名を「荒祭の宮」という。荒祭の宮は荒魂を祀る意味であるが、同時に荒祭は、現祭(あれまつり)・生れまつり(あれまつり)の義であり、神の降臨誕生を意味している。このように、起源、あるいは社名については、様々な伝えがあるが、その創始は、鹿島神宮と先を争うほど古くまで遡ることができるといえよう。 

○物忌について
この跡宮の傍らに、かつては亀トにより選ばれた女性祭主「物忌」(ものいみ)が住んでいた。物忌の地位は極めて高かった。本社鹿島神宮御本殿の奥深く御内陣に奉仕するのが役目であり、男子の立ち入ることを許されなかった明治維新前までの殿内に於ける奉仕ぶりは、さながら神の妃ともいえるようである。ちなみに物忌は汚れを知らない童女の頃より、男子立ち入り禁止の物忌館に籠って仕女の世話を受けながら、一生を神に仕えたので、神宮へ出勤の途上も、男性の目に触れないよう輿(こし)に乗った訳である。物忌を選定するには、亀ト(きぼく)が行われたが、先ず、物忌後見役である当禰宜家より二人の候補者(六・七才より十二・三才)が出され、百日間の斎戒(さいかい)の読んで選定した。こうして選ばれた物忌は、終身その職にあったから在職も長く、九十年にもわたって奉仕した女性もあり、物忌の数は初代普雷女(あまくらめ)より僅かに二十七人であった。

次に一昨年の2013年9月15日に、関東巫女と一緒に豪雨の中、対話した大巫女の神言葉をお読み下さい。 

◎鹿島神宮 跡宮の大巫女の神言葉・・・2013年9月15日に実施

卑弥呼との繋がりにつきまして、お話し致します。

私達が守るこの神は、多くの神を束ね、引き連れ、繋ぎたまいて、この地まで来た者でございまするが、この別名、別枠として飾られ奉りますものは、守りし神々の思い伝えし大巫女のおわしまする御力、賜りまして、お運び致しました事、これ、我の処遇ではなく、神の元の賜いし事となりましてございます。

その名を呼ぶ事は、正体を明かす事は、それぞれの巫女達も口を封じ、母が誰であるか、また、種元が誰であるかかも明かす事は許されず、その道を勤めましてございます。

この地おわしまするまで経た地、アワの地、四国、九州、また、その束ねし元の地、朝鮮・中国の民、また、いずこの地より集まりまする沖縄・奄美の民、また、それより古く繋がりまする土地の神巫女達と共に、手を組み合わせ、命を繋ぐ役目と、我一心(一神)に神を繋ぐ役目と、それぞれ分かれておりましたが、この思いは同じ。

この地に馳せまする神の元地の命(メイ)共にありまするならば、それ関西の地、お運びおわします神の元繋ぎも、また、それ守りし民の思いと同じくなればこそ、その地の思い、またその支えた神巫女達の思い、合わせらるるは、我、嬉しく思いまする。

その地の思いが決して他我を問う事なく、男を潰す事なく、また、女の性(さが)を出す事なく、神に一心に向き合いまして、心合わせる者達が、新しい国の世の創りの光の柱、一心「御柱(みはしら)」となりまする事、御願いまして、賜りましてこの地の拝み、致しまする事への感謝、奉り申す。

我々、先祖幾重に繋がりまする事、これ神の処遇でありまするが故に、父母の思い消し去りまして行いまするこの心情、共にその地を歩みました者達の、身、心、魂を、どうか父母の神元の元へお返し下されますれば、幸いに御座いまする。

ありがとう御座いまする。幸多かれと、我願いまする。

 

この巫女の言葉の意味をご説明します。

話してくれた巫女(神女)の思いは、古い時代に日本の地へ守り継いだ神の思いと巫女達の思いをどうか皆様の魂の繋がりを束ねるように日の本を守る大神に繋いで下さいませという意味で伝えてくれています。

日本全国に入っている鏡族、倭姫命、卑弥呼のルートはいくつもありますが、それ以外に名前を残さないまま神を繋いだ巫女達が多く居たからこそ、「あなたたちはその大事な神を運んだ巫女達の思いを、日の本へ繋ぎ合わせる事で本来の大神の力を復活させ、日本人の霊性の目覚めと自らの魂の解放を果たして下さい。」と言っています。

そして、そこには地球を愛し、全ての民族を愛し、人間を産み育ててくれた母神、つまり、地球の内部の意思に繋がっています。

土地に奉られた巫女の思いや名を残せなかった多くの巫女、そうしてでも神を支えた女性達が多く居たからこそ、この日本の霊性と神力は、世界の民族を束ねる霊力持っていることも伝えています。

闇に眠る静かな思い、地の底で守る大きな愛、決して表に出せない巫女達の思いを紐解き、繋ぎ合わせることで、全ての女性達の霊性の目覚めと共に、日の本の力で世界の平和と愛を伝える民族として働いてくれることを願っている言葉です。

どうか、女性達の内なる思いの根底にこの思いがあることに気付いた人たちは、自分が住む土地や産まれた土地の意味を悟り、繋ぐべき、合わせるべき巫女達の思いを自らの魂と繋ぎあわせて下さい。

決して、男神を倒す事無く、裏で、全ての思いを繋ぐ神事が始まろうとしています。命を産み出した母神の思いと、命を見守る神巫女の思いをどうか、受け取って下さいませ!

この思いを参加者全員が受けとめて、日本全国の神事でわかったこれまでの神巫女達の思いを携えながら、「鹿島神宮 跡宮」の大巫女に話しを伺いに行きました。

◎鹿島神宮・跡宮の神言葉・・・2014年5月18日実施

☆女性達だけの前祈りでわかったこと

・出雲から来た巫女・・・ここにいる巫女は出雲から来た巫女だけではないが、出雲の巫女が解って欲しい事がある。
・他の古くからいる巫女は、ここにはない。
・近年の巫女にも能力があった、出雲の巫女だけは男に連れて来られた。
※出雲神の子を中心にお詫びと和合の祈りを行いました。

☆大巫女と対話記録☆

質問)この地に入って来た、民達の順番を教えて下さい。

あなた達が「安房族」と呼んでいる民達が最も古いと言えましょうか。

それが、あなた達がわかっている範囲での事ですが、その民達を引き連れて来た、手伝ったというべき民達が「物部」であり、その次、もしくは、その次の供(とも)となり、導きを先導した者が「大国主の一団」であり、他のそれぞれの中国・支那・台湾系の秦氏と呼ばれる方々もそれぞれ来ておりましたが、徒党を組む程の力はなく、それぞれが協力し合って生きておりました。

「忌部氏」の方々は物部の方々よりも古い時代に来られましたが、そこには神官と呼ばれる男神守りがおり、その周りに女性達がいるような形で我々も驚きましたが、共に神を守る意味を理解し、力を合わせた部分も御座います。

質問)巫女さま方が、一番最初にこの地に入っていらっしゃったのですか?

あなた方の言う「太陽神信仰」ではなく、本来、最も大きな神の繋がりを創るために動いたという事は解っていると思います。

その事については、もうその男性(吉岡学さん)に伝えたので聞いて下さい。

その後、やって来た方々が、色々な形の意味を持って来て、自分達の守ってきた神の意味と、我々が持っている神力とを統合したがりましたが、やはり、神力は、降ろし繋いだ巫女に繋がり、そして、その巫女が繋いだ土地に繋がり、その神の働きをする巫女の力こそが、神であるからこそ、その事を動き変える事が出来ぬが故に、色々な思いで動かされたという事を、ご理解下さいませ。

質問)この地で行われた「国譲り」について、ご存知ですか?

それは、大国主を含め、関連する男達の神場争い、土地争い、権力争いの事で御座いましょうか?

わたくしめ達の中にもその一部の巫女もおりまするし、時によればその敵側の巫女もおりまするが、統合・平定をする時に、それぞれの巫女の代表達を集め、守り、支え、束ねたところが、ここで御座います。

その守り役をする大番としての大母の役目をさせて頂いておりまするが故に、その力は大きく、どの神々の神官とも繋がりがあるのは確かで御座います。

ひとつに、鹿島と香取について、「鹿島は元々いた民」と言った方がいいでしょうか。

早くに、この地に繋がりを作った者達で御座いますが、それより少し遅れて、「香取の民達」がたどり着きました。

あ、そういえば、香取の民達は、忌部氏を祀っておりましたかね。

そして、息栖と呼ばれている今の社の民達は全く違う経緯で来ておりまするが、時に同じう心をしているからこそ、その思いで、一緒にこの地を守ったというところが御座います。

その部分とは別な意味で、「こういう社をここに建てようか・・」など、「ここの場所をここに移そうか・・」など、時の計らいの政略図に動いた社の意味・形があるからこそ、あなた方の言う、国創り・国守り、そして国譲りが、あるのではないかと思われまするが、大きな話しではなく、本来の神地(かみち)の視点から見れば、それは儚き男の支配における思いで御座いまするが故に、心穏やかにその件に目を向ける事は、しなくては良いのではないでしょうか。よろしくお願い致します。

質問)巫女さま方が、どの様な神を、どの様な方法で、お祈りをしていたか教えて下さい

古来、宇宙の繋がりを繋ぐ祈りをしておりましたが、その方法はもうあなたに伝えてありますので、どうぞ、やって下さい。

その場所はと、問われれば、本当はいくつかあるのですが、もう、その姿・形も無いが故に、時の場所を守る事が出来なくなった事もわかるはずでしょう。

聖地とは、本来、建物は無く、そこにある「気」そのものですので、その事が解らない方達にとっては、すぐにその土地の上に物を建ててしまったり、壊してしまったりしますが、本来は、その地に繋がっているものですので、解る方は、どうぞ読み取って下さいませ。

質問)高天原、また、側高神社について、何か繋がりがありましたら教えて下さい。

高天原は、その中でも、最も重要なひとつの祈りの場所で、宇宙との繋がりを祈った場所でありまするが故に、そこは、そこでやって欲しい事があります。

そして、側高神社については、その巫女については、ここで申し上げるべきではないでしょう。

その方に失礼に当たりますが故に、どうご見聞は、ご自分の中でご確認下さいませ。よろしくお願い致します。

男達の争いの歴史とは別な意味でこちらの大巫女が教えて下さった大切な思いは、大昔に繋いだ宇宙に繋がるエネルギーを復活させて欲しいという望みだったからこそ、古代祭事場である「高天原」を何とか探して古来の宇宙祈りを復活させました。

◎高天原(茨城県鹿嶋市高天原)

実際に古来の北斗七星祈りを行うには鹿島神宮の跡宮から神役目を頂かなくてはできませんし、7名(女6、男1)が必要な神事でした。

最初に、跡宮の大巫女から教わった本来の妙見信仰の意味を皆さんに説明をしてから神事を行いましたが、内容は、宇宙の大元の意思を降ろす方法ですし、その過程として北斗七星を使うのだとご理解下さい。

☆妙見信仰の北斗七星の本当の意味は、地球が作られた時の原初の星の関係性を表しています。

地球の回りには、水星、金星、火星、木星、土星という5つの星があり、この5つの星の力の関係性を「陰陽五行説」で説いていますが、実際には、そのあとにやってきた6番目の星から来たウル族が生命を作り出し、7番目の星から来た龍族がその生命エネルギーを地球全体に繋いだおかげで、地球全体に生命循環が産まれました。

☆この7つの星のエネルギーを北斗七星に経由させて宇宙エネルギーを固定したことで、地球から安定した祈りができるようになったのです。

古代、地球創生記に7つの星から転生した魂を持つ巫女達は、世界中を旅しながら必要な場所で宇宙の大元からマスター(母神)の生命エネルギー降ろす役目だったからこそ、その祈りを次の世代へ引き継ぎながら日本まで辿り着きましたが、男たちに意味を変えられた実際の祈り方は、私が映像で教えてもらいました。

(神事後の説明)

この祈りは、いくつもの段階を経て宇宙の大元まで繋ぐ祈り方ですが、参加者たちの魂が持っている魂役目が揃わなければできない祈りでした。

☆最初に、宇宙の大元からエネルギーを降ろし、自分がいた魂の星を経由させ、北斗七星を経由させ、太陽系を経由することで、地球に7つの星のエネルギーが集結するという恐ろしく大きなエネルギーを動かす祈りです。

参加者は、祈りの最中に時計回りのエネルギーを感じたり、青い玉(地球)を感じていましたが、最後に「ご光臨」と言葉が降りると、改めてこの場所が宇宙の大元と直結する場所となったことが伝えられました。

女性は地球そのものだからこそ、女性の祈りは時計回りになって回転しながら上昇するエネルギーを動かしますし、男はその逆で、龍エネルギー(自然界エネルギー)を使って天から生命エネルギーを降ろすのが、生まれ持った男女の役目なのです。

実際には、もうひとつ重要なエネルギーを動かすのですが、この祈りは命を産み出すように産まれた女性にしかできない祈りだからこそ、あとからやってきた男性達が「神という概念」を組み込むことで天皇にその役目をさせながら影で女性達が支えていたはずです。

今回は、水、塩、酒、麻で祈りをましたが、最後に、麻を焚いた煙が加わるとさらに生命エネルギーが上昇した理由は、人間にだけ与えられた最後の知恵である「火のエネルギー」が加わったからです。

☆この「火のエネルギー」の意味こそ、本来のアメノホアカリのエネルギーを動かした神事だと言えるでしょう。

さらに、男達が伝えた北斗七星には、別天津神(ことあまつかみ)の造化三神から七神(アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビ、ウマシアシカビヒコヂ、アメノコタチ、クニノコトタチ、トヨクモノ)までを意味付けしたという点も覚えておいて下さい。

全ての神の始まりとされる天地開闢(てんちかいびゃく)の神の始まりを理由づけした証です。

古代に行われていた実際の儀式では祈りのあとに神事に使った男の子を殺したと思われますが、こういうが命のやり取りをする祈りこそ、本来の原初キリストの儀式なのです。

古神道が建物も場所も一切、残さずに祈りをしていた理由と同じです。

今回の祈りは、日本では二千年ぶりに行った祈りだと思いますし、魂記憶を持つ巫女達にしかできないからこそ、その力が欲しい時の権力者たちが、鹿島神宮の大巫女を奈良県の春日大社まで行くように命令したわけです。

元伊勢外宮のメッセージで、「宇宙に繋がる祈りをした巫女」と呼ばれた女性もこの一人かもしれません。

この祈りを行ったあと、封印されていた様々な思いがカカリとなって出て来て大変でしたが、その内容は次回お伝え致します。

 

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