伊良部島 お礼祈り(4/17-4/19)
2004年1月に、伊良部島で無風の日に「白龍」が目の前に登る姿を見せられてから毎年通って17年目の2021年、伊良部島の神々とお世話になっている人にお礼の旅をしてきました。
実際に、龍を見た人や、守護が龍の人たちや、あなたは龍に守れていると言われた人たちは、本当の意味を正しく知るためにも、ぜひ、▶️「沖縄 宮古島・伊良部島 白龍の神導き」をお読み下さい。
地球内部の生命循環と、地上の火・水・風・大地を司どり、さらに、この地球全体をとりまきながら地球という星の生命エネルギーを守っている存在が、「龍」なのです。
そして、地球の、日本全体の全ての龍の聖地が、「伊良部島」なのです。
もう、地球と人間には時間がありませんので、「龍」にご縁がある人たちは、人類を導く役目があることにこの本を読んで気づいて下さい。
「みやこ下地島空港」ができたおかげで、19年目にして初めて沖縄から伊良部島に直接、入ることができました。
いつもと勝手が違うので、最初にご挨拶する場所も変わり、とてもドキドキしました。
伊良部島の東側にある「ヤマトブー大岩」は、ヤマトの命令に従って岩を削って海に大きな石を投げ込んだあとですが、その石は国会議事堂に使われています。
しかし、神場の岩を削った一族は、全て亡くなってしまいました。
宮古島や大神島で聖地を工事した人たちが恐ろしい亡くなり方をしていることは地元の人もご存知ですが、土地神の怖さや力を信じていない人たちが聖地で工事をすると、頭が痛くなったり狂ったり、急死する人たちも続失しています。
日本中の聖地を回ってわかったことは、宮古諸島や伊良部島は本当に大きな神が守っている「最後の聖地」だからこそ、この島に来る方は礼儀を正して心して来て下さい。
名所「通り池」の駐車場の整備工事も終わり、綺麗になっていました。
この「通り池」を守る神に言われたまま身を投じた沖縄の神人は、神に真っ直ぐな心の人だったので、神様は波を起こして陸地に戻してくれたそうです。
もともと「通り池」には悲しい「ママ子伝説」が残っていますので、地元の人たちはこの場所には近づきません。
乗瀬御嶽(ヌーシウタキ)と名主御嶽(ナーヌスウタキ)の神様からも「よろしくお願いいたします」とお言葉を頂きましたので、さらに精進を極め日本の最後の聖地を守りたいと思っています。
お宿は、いつものサウスアイランドホテル。
NHK朝ドラマの「純と愛」の撮影地です。
このホテルの社長は、伊良部島最高の神事(ゆーくい)の日取りを決める帳簿の主である「帳ヌ主(チョウーノシュ)」。
「伊良部橋」と「ヌーシ橋」が窓から見える景色が美しいホテルです。
重要な聖地で祈りをしましたが、最近、ヤマトの観光客が勝手に聖地に入り、触ったり壊したりすると地元の人が嘆いていたので場所は公開しません。
島に来たら、「島のルール」に従うのが暗黙の約束事ですが、自分勝手な人たちが大事な沖縄を汚していることにヤマトの人は気づいて下さい。
正しいルールや決まりがわからないのなら、地元の先輩に聞くことも大事ですが、ヤマトの人に地元のルールは教えてもらえない意味も、こちらの動画で自分で勉強して下さい。
私が聖地に連れて行く人たちは、地元の人と神に喜ばれる祈りができる人として、とても厳しいルールを指導をしますが、その結果は神やご先祖に喜ばれる人間になります。
私は神の思いを代弁しているだけですし、700年続いた「ゆーくい」も、沖縄最後の重要な祭事なので、神を降ろす伊良部部落ができない理由も、人と神の思いの食い違いが原因ですので、見守ります。
大事な神事の意味は、書き残したものが無いからこそ、大切な神の思いを伝え残すために私は伊良部島の神々に呼ばれたと思っています。
この島に来た人たちは、神の出会いと、人の出会いをつないで下さるご先祖様達に心から感謝の祈りを捧げましょう。
4/19 伊良部島で降りた神メッセージ
キリストと仏教は、人が導いたもの。だからこそ、新しく人を導くには、「正しい価値観と道」を示さねばなりません。宮古島の御嶽の意味を正しく学びたい人は、以下のPDFをダウンロードして学んで下さい。(無料)▶️(重要)宮古のウタキの意味と役割(沖縄県図書館資料)
2021年4月17日〜19日 伊良部島 神御礼
神の御前にて、光り輝しこと、これ、幸いなり。
神の御礼、仕りましてのこと、これ、ありがたきことなり。
我が友、我が戦友と同じ思いでおりまする。
神の御前にて、嘘、偽りなく心を正し、身を清めたもうこと、これ幸いなり。
命からがら逃げ惑う人生ではなく、自らを清めたまいて光となす行い、感謝いたします。
神の御前にて、嘘、偽りを申すもの多かれど、この世界に“言い訳”は通用致しません。
我が身、おんたまいて、心なしかお疲れの様子。
しばし、お休みあれ。
我が身、御魂、清め、光輝かせることに精進致します。
身の振る舞い、心の振る舞い、思いの置きどころ、これ全て、人間の所業なり。
誰が問わずとも、神は問いまする。
身と心のあり方を制せよと、申します。