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【解脱の真理】第十八話 モーゼとイエス・キリスト

モーゼとイエス・キリストの対話 「モーゼ」を題材にした映画「十戒」を、ご覧になったことはありますか? ご興味があれば、ご覧下さい。▶️十戒(1956)  

この映画は、エジプト王ファラオが救世主の誕生を恐れ、新しく生まれるヘブライ人の男児をすべて殺すよう命じたことに始まります。

時代は、イエス・キリストよりも古く、紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍した、古代イスラエルの民族指導者であり、יהוה(ヤハウェ/ヤフア)を神とする時代の救世主です。  

私の守護はイエス・キリストですので、地球上で活躍した救世主たちに、どう人を導いたのかを聞いてみたかったので、イエス・キリストの前の時代の「救世主モーゼ」の意識にアクセスしてみましたが、モーゼは苦悩していました。

モーゼは、未来を予知できる能力が与えられた子供が生まれていると王様の側近が読み取ったせいで、王ファラオはヘブライ人の男子の虐殺命令を出したため、母親は命をかけて息子を守るためにナイル川に息子を流し、拾ったファラオの娘が大事に育てたとウイキペディアに載っています。

実際に、モーゼに直接、聞いた話は少し違っていて、自分を川から拾ってくれた女性はファラオ王の娘ではなく、王様の身の回りの世話をしている女性が、衣類を川で洗濯している時に、カゴに載った男の子が流れてきたので、拾ってくれたそうです。  

彼女は自分の子として育てるために、王家の仕事をやめて、田舎の実家に戻ってモーゼを育てたそうです。  

モーゼも年頃の男の子になり、田舎を出てみたくなったので、他の街を歩いている時に、突然、未来に起きることがわかる「予知能力」を神に授けられたために、民衆から恐れられたそうです。

モーゼは、自分で望んだつもりはないのに、なぜ、誰も私のことを理解してくれようとはしないのか、悩んでいました。    

一人の女性がモーゼに近づき、「私の未来に起きることを教えてくれるのなら、あなたの身の回りの世話をいたしますので、どうぞ、私をお使い下さい」と言いました。

モーゼは、その女性が自分を守るために、王ファラオに殺される未来が見えたので、そのことを正直に話し、家へ帰るよう説得しました。

しかし、彼女は、「それが私の天命ならば、どうなってもあなたを守るためにそばにいる」と言い張り、結局、モーゼは、その女性を受け入れました。  

シーンは変わり、エジプト人に迫害されていたイスラエル人(ヘブライ人)数千名を連れて「約束の地」を目指している途中、大きな川が先を塞ぎました。

するとモーゼは、「私に未来を予知する力を与えた神よ。 私の力がこの先も必要ならば、この川の流れを止めて、民を渡らせたまえ!」と大声で叫びました。  

すると、川が真っ二つに割れて、民たちは走り出すように川底を対岸まで走り抜きました。

モーゼは、最後の一人が渡り切るまで川には入らず、エジプト人の兵隊の意識を混乱させる術を使っていました。

全ての民が渡ったことを確認したモーゼは、一人、川底へ足を踏み入れましたが、ゆっくり、ゆっくり、神の思いを感じながら歩いていました。

すると、すぐ後ろまでエジプト兵たちが来ていたので、全てのエジプト兵が川底に入るのを確認してから神にこう言いました。  

「私の役目は、これで終わりにいたしましょう。

あとは、民たちが自分の力で生き残るかどうかだけです。

私は最初からこの時代に生まれた自分の未来を見た時、こうなることはわかっていました。

だから神よ、どうか、私の今世の役目をこれで終わりにしておくれ。

来世に、また必要な時があれば、きっと生まれ変わると思いますが、しばらくは上の世界で休ませておくれ。」  

こう言うと、真っ二つに割れていた川が一気につながり、川底にいたエジプト兵と共に「モーゼ」も流され、川の中で息を引き取りました。

このあと、モーゼの魂と対話した時、私の意識と、イエス・キリストの意識と、モーゼの三人で、今後のことを話し合いました。  

モーゼ:私のあとをイエス・キリストが担当したようだが、人を救うのは、どうだった?とイエス・キリストに尋ねました。

イエス・キリスト:今、私はこの人の意識を通して、あなたの本音を感じていましたが、私と同様に、苦悩された人生だったのですね。  

モーゼ:いやいや、私の苦悩などいっときの話だが、君は、自分の死後に全くありえない「聖書」という物語を作られ、民衆意識をコントロールしている象徴になっているではないか。それは、苦しかろう?

イエス・キリスト:いえ、私は自分にできることをしただけですし、モーゼさんも同じだと思います。 今、わかったのですが、民衆は常に、「依存する対象」を探しているのですね。

私たちのような魂は、依存すること自体がわからず、依存される役目になりましたが、決して、民衆意識を支配したいのではありません。

それは王であったり、権力者たちがいつも考えていることです。

今だからわかりますが、民衆を救うことが本当に良かったのかを考えています。  

モーゼ:わしも、同じだ。

必要に迫られて民衆を救う役目をしたが、本当の意味で民衆の魂は救われたのかを、いつも考えている。

人を救うことを役目として繰り返してきたのは、私もイエス・キリストも同じだが、あなたはどうされるつもりか?

二人は私を見つめて無言で、思いを伝えてきました。  

救世主が地上に誕生するたびに、民衆は依存し、思い通りにならなければ迫害することを繰り返す愚かな民衆を救うことが、本当に必要なのだろうかと私も悩んでいます。

だから今回、私が解脱した際に宣言したことは、「二度と、救世主を地上に降ろさないこと」を約束してもらいました。

モーゼとイエス・キリスト:それが良い、それが良い。   では、私の短い人生の時間で、どこまでできるのかわかりませんが、あなたたち二人の思いはよくわかったので、がんばります。 ありがとうございます。

 

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