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母の教え:生きる喜びを見つけた池坊

皆さんは華道の「池坊(いけのぼう)」は、ご存知でしょうか?

お花を生ける池坊の基本には、「真(しん)・副(そえ)・体(たい)」があります。

 

古来、万物の基礎と考えられてきた三才(天・地・人)になぞらえているそうですが、私も昔、「池坊」を学んだ時に教本を読んで大事なことに気づきました。

人は、天なる存在に見守られて大地に立ち、自らの花を咲かせるようにイキイキと生きながら、最後には、しおれて死を迎えます。

花を生けているように見えますが、実は、自分の生き方を見つめ直すための時間が、「池坊」だとわかり驚きました。

 

私の母の時代は「花嫁修行」として華道、茶道を嗜みましたが、その意味は、お花のいけ方を学びにいったのではなく、人生の生き方を花を通して気づくための時間だとわかり、驚きました。

 

私がまだ小学生の頃、庭に植えたいくつもの花を、母は田んぼから上がってきて、食事の前に、少しだけお花を摘んで生けてくれました。

父は、「そんなものいいから早く飯を作れ!」と怒りますが、母にとっては、とても心が安らぐ時間だったそうです。

 

厳しい父親に育てられたせいで、家の中にいても自由など一切なく、お母さんのお手伝いと食事のお世話をしなければいけない時代だったので、母にとっては、「池坊」の時間が唯一、家を出て、他の人と話ができる時間だったと教えてくれました。

その中でも、お花を生けている時が、完全なる自分の思いの世界の表現ができたので、とても楽しくて、吉岡家に嫁いで余裕ができてから、もう一度、池坊に通わせてもらったくらいでした。

 

ある日、母は「池坊の師範の資格」を取れたようで、大きな木の看板を持って嬉しそうに帰ってきました。

普段は、田んぼで泥だらけになっている母も、池坊に出かける時は、とても嬉しそうだったので、私から見ても良い時間でした。

 

家の中で母が、悲しい顔や怒った顔をしている時ほど、おそろしい時はないからです。

私は急に、師範になった母に、挑戦してみたくなりました。

 

理由は、子供の頃から生きている畑のお花を摘んでも、家に持ち帰るとしおれて、すぐに死んでしまうのに、どうして母が生けると花がイキイキして見えるのかが、疑問だったからです。

 

母に挑戦したいと言うと、「いいよ、じゃあ、お前の好きな花を好きなだけ切っておいで。私もお前と同じ花の本数を用意するから。」

そう言うと、この時とばかりに、母が大事に育てた花を一輪一輪、切って花の形をイメージして集めました。

 

私が集めた花の種類と色合いを見て母は「お前は、綺麗な色ばっかり集めるから、それだと全体が綺麗に見えないよ。

ほら、そこの白い小さい花を添えると、もっとイキイキして見えるんだよ。」

と言われましたが、そんなことで自分の信念を曲げないのは、母と同じ頑固ものです。

 

「いいよ、僕は、これでやるから、母は好きなものを添えればいいさ。」

「せっかく教えてあげてるのに、素直じゃないね、あんたは。」

「頑固なのは、母ゆづりだと思うな!」

 

もう私はバチバチ火花がでるくらい戦う気持ちでいっぱいですが、母はなぜか、楽しそうに笑っています。

 

「じゃあ、好きな花器と剣山を選んでいいから、生けてごらん。」

また、上から目線で言うのでイライラしましたが、要は、花を綺麗に生ければいいだけでしょと思ったので、無言で花器を選んで剣山を置きました。

 

「水は、剣山の少し上までにしなさいね。」

「また、聞いてもいないのに、上から目線で指導するし・・・。」

そんなことより、母より少しでも早く生けようと思ったので、真剣に花を切り、剣山にさして形を整えました。

 

母は、しばらく私の生け方を見て笑っていましたが、私の完成が近づくと、一本一本の花をパチンパチンと切り、さっさと生けて、ほぼ同じタイミングで完成しました。

 

「なんで僕がじっくり考えている時に手をつけないで、今、パッと完成するわけ?

生ける前からどう生けるか決めてたの?」と聞くと・・・。

 

「そうだよ。庭から花を摘むときに、もう完成した姿をイメージするのが私の楽しみなのさ。

池坊の教室では毎回、与えられる花材が決まっているので、何度も何度も基本を学ぶからこそ、自由に生けるときにその技術の差が出るんだよ。

私もこの「師範」になるまで必死に頑張ったもの。

生徒を取って教えることもできるんだけど、私はそんな暇もないし、人に教える教養も無いからやらないけどね。

若い頃からの夢だったので、父さんに頼んで教室に通わせてもらったのさ。

何度も怒られたよ。

そんな一銭にもならないものに時間をかけるなら、腹一杯の美味しいものでも作れ!と怒られたよ。

でも私は、どうしても料理だけは苦手なのさ。

腹に入れば同じだと思うから、そんなに時間をかけて準備するのが嫌なんだ。

お前と同じに、せっかちだからね。(^^)」

「俺がせっかちなのは、どう見ても母の遺伝でしょ(^^)」

 

そんな他愛ない話をしながら、生けた花を評価してもらいました。

一応、師範の看板を持っている先生なので、何て言うかを楽しみにしていました。

 

「お前は、なかなかセンスがいいね。この黄色い花の後ろに、なぜ、ピンクの花をさしたの?」

普通の人は、この色の花だとピンクを前に出したくなるので、黄色は、横に刺す人が多いんだよ。

 

「どう生けようかを迷ったので、花に聞いたんだ。

誰が一番、目立ちたいってね?

そしたら黄色い花が、僕が僕がと聞こえてきたんだ。

ピンクも前に出たそうだったけど、いいわ、私は、今回は黄色さんに譲るわと聞こえたんだ。」

 

「お前は花と会話できるのかい?」

「花だけじゃなくて、鳥も、犬も、猫も、木も、いろんなものと話を幼稚園の頃から話しているよ。

知らなかったの?」

 

「そういえば、幽霊がいるとかいないとか言ってた時があったね。

あれは、本当に幽霊がいたのかい?」

 

「幽霊じゃなくて、人だよ。

ただ、肉体がないだけで、普通に会話できる人だよ。

ただ、口がないせいか、言葉は話せないんだ。

でも、頭の中にふっと、相手の思いが聞こえてくるから普通に会話できるよ。

母は、できないの?」

 

「私はできないさ。

まあいいよ、あんまり、そういうことは他人に言うんじゃないよ。

変なやつだと思われて嫌われるから・・・。」

 

 

「大丈夫!幽霊達も、たくさんの人に紹介しようとしたら、やめてくれと言われたから。

きっと、そっと、僕と話したいだけの人なんだと思ってるんだ。」

 

母は、お花の話より、私の幽霊話が気になったようですが、私は池坊の師範の指導を聞いてみたかったので、

「どうすれば、もっと綺麗になるかを教えてよ。」と言いました。

 

 

「じゃあ、教えるね。

お花は、前だけ綺麗に見えてもだめなのさ。

人間も同じで、厚化粧して、綺麗な洋服着てる人は多いけど、後ろ姿がみっともない人っているでしょ。

あれは、ダメな人なのさ。

 

お花はね、一回、人間がハサミで切ることで死んでしまうからこそ、もう一度、私たちの心で生かしてあげるのさ。

それが、池坊なのさ。

ただ、綺麗に見せる花の飾り方ならいくらでもあるから人それぞれで良いと思うけど、私はこの「池坊の心」が好きなんだ。

なんかこう、お花を生けているのに、たくさんお花から教わっている気がするのさ。

 

人生なんて一度きりしかないでしょ。

どんなに泣いても、喧嘩しても、苦しんでも、一度きりなんだ。

だから、この自分が切ってしまった花を生かすことで、なんか自分も違う人生を生きているような気持ちになるんだ。わかるかい?」

 

 

「よくわからないけど、花を生けている時の母は好きだなあ。

めくじら立てて怒ってないし、背中もふるえてないし・・・。」

 

「嫌な子だね・・・。」と、なぜか、母は涙ぐんでいました。

よくわからないけど、楽しかったから、この二つのお花を父さんに判断してもらおうよ。

俺が勝つか、母さんのが勝つかを・・・(^^)

「じゃあ、何も言わないで、食卓に置いておこうね。」

 

 

夕食の時、父は、「なんだこの花瓶二つは、邪魔くさい!」と退かそうとしましたので、私が聞きました。

 

「父さんは、このお花のどっちが好き?」

息子に聞かれたせいか、いつも文句を言う父も、じっくり二つの花をみて「こっち」と選びました。

それは、母が生けたお花だったからこそ、僕はとても嬉しくなりました。

 

「父さん、今日ね、母が池坊の師範になったので、木の看板を玄関に飾ってもいい?

この師範の資格を取れるまでが母の目標だったんだって。

褒めてあげてよ、父さん!」

 

沈黙のあと、、、。

「おう、よくやったな。」と、母を初めて褒めました。

母は、台所で食事を作りながら、嬉し涙を流していました。

 

母は、師範の資格が取れたら、池坊教室をやめると言っていたので、私が父にお願いしました。

「父さん、これからも母さんに、池坊教室へ行かせてあげて下さい。

お金がいくらかかるかはわからないけれど、こんなに綺麗な花が食卓にあると、気持ちいいもの。どうか、お願いします。」

 

私が父の下座に座り土下座すると、母も横に正座して、土下座しました。

「池坊だけだぞ!他に何かやりたいとか言うなよ!」とだけ言って、父はテレビに目を向けました。

 

子供ながらに、母が大好きなことをやらせてもらえなくて泣いてる姿を見てきたからこそ、私にできる「お願い」でした。

 

そっと、私を呼び寄せた父は、「いいか、池坊も、もともとは武士のたしなみとして、吉岡一門の武士は誰でもできないと困るのさ。

だってな、人を斬り殺したら、そいつの魂を供養してやるのが、殺した人間の役目だろう?

だから、お前も自分なりでいいから、華道は練習しておけよ!

 

小学5年生の夏の日の思い出です。

 

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