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吉岡家に恥をかかせるんじゃない!

子供の頃、母が私を怒る時の口癖は、いつも、「吉岡家に恥をかかせるんじゃない!」でした。

小学生にとって、それほど「吉岡家」という名字が大事なのかはよくわかりませんでしたが、母にとっては、とても大事なことだと感じていました。

あまりに、いつも同じ言葉で怒られるので、ある時、長男である兄に質問してみました。

いつも母が怒る時は、「吉岡家に恥をかかせるんじゃない!」と最後に言われるんだけど、兄貴もそうなの?

 

「お前なんか、まだ、いいさ。

俺なんか、母が怒った時は、まず、座りなさい!と仏壇の前に正座させられてから、じっくりがっちり怒られんだぞ!

お前が怒られる時を見てたけど、俺の時と違って「甘いなあ」と思っていたよ。

何かあれば、「お前はお兄ちゃんなんだから、吉岡家の苗字を継ぐ人間としてもっと自覚しなさい」とボロクソ怒られたんだぞ!

 

あんたの失敗は、私が本家に謝るだけじゃすまないんだよ!

絶対に、「吉岡家」に恥をかかせることはしてはダメ!

どんな理由があっても、私たち分家は本家の言いなりにしか、生きる道はないんだよ!

 

いいかい、あの本家の周りの農家は、全て富山県から連れてきた、本家の小作農たちなのさ。

だから、私も嫁に来た時に、まず、本家のお父さんからそのことを聞かされて、自分の思いだけじゃなく、「吉岡家」という苗字があるからこそ、小作農家は生きていけることを教わったんだ。

 

本家のおじいさんが自分の体験談を教えてくれたんだけど、この北海道へ出てきた時は子供だったけど、爺さんに話を聞くと、富山県の実家は、それはそれは大きな土地を持っていて、二十の村をまとめていた武士だったからこそ、全ての村長(むらおさ)たちは困ったことがあれば、まず、「吉岡家の本家さんに聞いてから決めるもんだ。」と言われていたそうなんだ。

俺も親父からこの本家を継いで家長になった時、その「重責」に押しつぶされそうになったけど、「先祖代々、この苗字を守ってきた人たちがいたということを考えると、自分の思いなんて関係ない」とわかったので、毎日、小作農家の田んぼを見て周り、困ったことや相談ごとがないかを聞いて回っているんだ。

小作の家によっては、子供が多くて分け与えた米や食べ物で足りずに困っている家もあるので、ワシがあとでこっそり、届けてあげているんじゃ。

それが、「本家の家長の務め」だと思っているからさ。

だから、分家も大変なのはわかっているが、分家に嫁に来たお前には、すまんけど、親父を支えてやってくれな、と義父に頼まれたことを聞かされました。

 

母は、本家のおじいさんからこの言葉を聞いた時に、覚悟したそうです。

自分の家も岩手県で武士でしたし、戊辰戦争で生まれ故郷を終われる身となり、一家で北海道に逃げてきた一族だからこそ、父親の教育が厳しかった理由はわかってはいましたが、「吉岡家」が抱えている重責は、比べ物にならないと覚悟したそうです。

同じ子供でも本家に生まれるのか、分家に生まれるのか、小作農家に生まれるのかで、人生が全く違いますし、貧乏な家の男は女も当たらず、結婚もできず、ただ労働者として死んでいくしかない時代でした。

 

その覚悟を持って、分家の嫁に来たことを兄にも私にも母は話してくれますが、小学生の自分にはよく理解できませんでしたので、同級生の家の事情を聞けば聞くほど、貧乏な家に生まれた人間は生き方の選択さえできない時代だと理解できました。

鍛冶屋の子供は鍛冶屋だし、薬売りの子供は薬売りになるしかなく、いくら子供にやりたいことがあっても、自分で仕事を選ぶチャンスすらない時代でした。

 

だからこそ、親の苦労を知らずに農家ではない家の子供が無責任な発言をした時は、貧乏な小作農家の子供たちが黙って我慢して泣いているからこそ、私は吉岡家の本家のおおじいちゃんが小作農家を守っていた責任を感じて、「みんなのことを守らねばならない」と小学生の頃に覚悟しました。

 

時代が変わり、新しい法律ができて、「自由、平等、平和」と学校でスローガンを掲げても、実際の現実は、かけ離れていたのが昭和の時代でした。

本に書いてあることだけを信じている人は、身分の違いによって人の気持ちを汲みとる力が弱いからこそ、私はいつも、若い人たちに会うと、世界の、できればアジア圏にいって生活してご覧なさいと教えます。

テレビで喋っている評論家や政治家は、お金持ちの家の子ですので、貧乏な家に育った人の心を分かろうともしません。

それが昔の日本であり、だからこそ、アジアの人たちは、戦後の日本の急成長を希望にして頑張って生きているからです。

 

女性たちは、「収入」で結婚相手を選ぶ人も多いですが、よく相手の家柄を調べて、何を大切に生きているかをお父さんやお母さんから聞いてから、結婚するかどうかを判断して下さい。

嫁に行くということは、その家の家督や苗字の思いを背負うことだということをぜひ、お母さんたちは娘や息子さんたちに教えてあげて下さい。

 

富山県の吉岡家の先祖祈りを2回も行うことになった理由も、天皇家を二分して、南朝として活躍した後醍醐天皇の剣術指導のトップが「吉岡家」だったからこそ、南朝が負けたあと、吉岡家は先祖代々の土地から全員いなくなりましたが、その思いと気迫を背をって、私も生きています。

母が教えてくれた苗字に残る人の思いが、皆様の先祖と大きな関係性を生んでいるからこそ、宮崎神宮で天皇家の修復神事を行えたことを感謝いたします。

全ての名字には、いろんな思いがあるからこそ、女性たちは、子供達に両家の先祖の思いを伝えられるお母さんになって下さい。

この世で起きる全ての問題は、先祖の因縁やカルマに加え、他人に思われてきた思いが、皆さんの体やご先祖問題になっています。

どうぞ、ご先祖の因縁を綺麗にできる「神仏心 ご先祖講座」で学んで下さいませ。

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