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小学校に「自由・平等・平和」と掲げた理由

戦後の日本の小学校の黒板の上には、必ず、「自由・平等・平和」と書かれた「書」の額が飾ってありましたので、先生の授業を見ているだけで自動的に「自由・平等・平和」と左脳にインプットされました。

今の保護者参観日を「父兄参観日」と呼んでいた時代に、母が父の代わりにクラスにやって来て、その額を見て母は怒って教室を出て行きました。

あとから母に聞いて驚きましたが、教室を出た母は、まっすぐ校長先生の部屋へ行き、質問したそうです。

校長先生!、私たちの時代には黒板の上に天皇様と皇后様の写真が飾ってあったのに、今はなぜ、「自由・平等・平和」なんですか?!

まあまあ、落ち着いて・・・お母さん、戦争に負けた私たち日本は、しばらくの間、アメリカの言う通りにしていないといろんな制裁を受けるので、私も仕方なく文部省の通達で天皇様皇后様の写真を下ろして「自由・平等・平和」と掲げています。

でも本音で言えば、私も嫌なんです。

全国の校長たちの集まりの時にも、同じ気持ちの校長たちがいたので文部省に電話をすると、「大変申し訳ありませんが、どうか、このことを遵守して下さい」と言われ、ガッカリしました。

今、学校教育を管理しているのは、左翼的な考えを持っている人たちで、その背後にはアメリカの検閲があるので、一切、天皇を擁護するような発言をしてはいけないと学校関係者に通達が出たのです。

本当は学校で掲げるべき「日本国旗」もすぐに下ろしなさいと文書に書いてありましたが、校長は全員、反対しました。

教員の中には戦前の教育は違うと左翼思考の若い先生たちもいますし、アメリカ主導を喜んでいる馬鹿者もおりますので、本当に、申し訳ないと思っています。

お母さんのお父さんが戦争で足を1本取られたことは私も知っていますが、本当にお父さんたち兵隊さんのおかげがあってこそ、日本はここまでで済んで良かったと思っております。

もし、最後の最後まで天皇様が敗戦宣言をしなければ、私たち教育者たちも銃を持って戦おうと話しあっていたいました。

自分の子供だけでなく、学校に来ている子供たちや学校にもこれない子供たちを守るのは親としての義務だからこそ、実は、子供達が帰ったあと、先生たちで銃を撃つ訓練をしていたのです。

結果は残念なことになりましたが、私は最後の最後まで「日本国旗」は毎日、校庭に掲揚しようと思っていますので、日本国旗が上がったら私の日本人としての覚悟だと思って下さいと母は教えてくれました。

さぞかし、無念だっと思います。

日本全国の公立小学校は、文部省に逆らうと大変なことになりますが、当時の教育者たちも日本の子どもたちを命をかけて守る気概があった時代のお話です。

家に帰ってこの話を聞いた時、母は最初、頭に来たけど、あの校長先生は本当に素晴らしい教育者だから先生たちを困らせるようなことはするんじゃないよ、と言われました。

教育者も人間ですので、いろんな信仰や感情や思想を持っている人たちはたくさんいますが、学校では個人の思いを出さずに文部省の言いなりになるしかないのは、今の時代も同じです。

昔は、お国のために全員が一丸となって戦うことを教育した学校でさえ、日の丸を掲げられず、自分の意見も言えず、我慢している先生たちがたくさんいます。

私のところにも多くの教育者たちが鬱になって学校へ行けず、相談にやって来ましたが、真面目でまっすぐな若い先生ほど、戦前の教育方針を捻じ曲げられ、現代の学校教育の現場で苦しんでいます。

そのことを思い出した時、霊視の力を使って時間を遡り、誰が「自由・平等・平和」と言い出したのか、張本人を見つけ出しました。

敗戦後の文部省の有能な人材は全員、首になり、若い役人に変えられてしまい、政治家とアメリカとフランスの男たちが、これからの日本教育をどうするか話し合っている場面でました。

日本国旗を全ての学校で掲げないことにすれば、知らない間に、日本に対する強い信念を忘れてしまうだろうと、外人たちは全員一致で日本国旗の掲揚を禁止を決めました。

元、軍隊上がりの政治家だけが、国家を守る立場として私たち政治家と軍隊が日本国旗を掲げなければ、自分たちが守る国の愛国心が無くなってしまうので、教育関係は諦めるが、なんとか政治と自衛隊については式典の時だけでもいいので日本国旗を掲揚させて下さいと頼み、渋々、アメリカとフランスは承諾しました。

もうひとつ、新しいスローガンを掲げることで日本人が決して我々に歯向かうことができないように、子供達の意識を方向転換させましょう!

私は、「自由・平等・友愛」が良いと思いますとフランス人が言ったので、それではフランスの植民地政策と同じだから、まずいだろうとアメリカ人が言いました。

一文字変えて、「自由・平等・平和」としようじゃないか!とアメリカ人が言い出しました。

これなら日本人は、未来に対して希望となる「自由」が入っているし、男女の「平等」を願う女性たちもたくさんいるし、「平和」の祈りは世界共通だから良いと思うが、どうだみんな?

アメリカさん、その自由は、アメリカが徹底的に先住民のインディアンを殺し続けたあとに思想を変えさせるために掲げた言葉じゃないですか。

それはアメリカが支配するからお前たちは俺たち(アメリカ)の自由の「しもべ」となれ!という意味になりますので私は納得できませんと、日本の政治家は言いました。

しかし、フランスも多くの人を殺してきた国だし、アメリカも多くの人を殺した新しい国家だからこそ、民衆に嘘の希望を持たせるため「自由・平等・平和」でいこうと決まってしまいました。

母にこのことを話すと、「そうかい、そういうことかい、わかったよ。

私たちが教育されたことは、間違っていたのかい?

じいちゃんは生き残ったけど、たくさん亡くなった兵隊さんたちに申し訳ないと泣いている姿をよく見たけど、それでも国の言う通りにしないといけないのかい?情けないよ、本当に・・・。」と言って泣いていました。

私は学校教育というものは、人としての個性を最大限に活かす場であり、人は一人では生きていけない弱い動物だからこそ、寄り添って協力しあって生きることを学ぶ場所が学校だと思っています。

しかし、戦後、日本の子供たちに「自由」を教育した結果、話し合いによる和合や、共同責任を学んでいない人たちが増えてしまい、この国を守る精神性が失われていく現実をどう思うか、多くの先輩たちと話し合いました。

戦前の教育、つまり、天皇を中心とした軍国主義の教育現場を徹底的に破壊し、表向きは綺麗事のスローガンを掲げさせ、裏では徹底的に自由を奪うことをし続けた結果、政治も、経済も、教育も、日本人の精神性も徹底的に破壊された日本になってしまいました。

2022年は、戦後77年目ですので、もう過去の愚かな教育を見直して良い時期だと思います。

数字の「7」には、現実世界の終わりの意味があり、それが二つ並ぶということは裏も表も、嘘偽りをやめて素直に正直に生きる時期だからです。

多くの命を投げ出して、戦前まで日本を支えてくれた先人たち、本当にありがとうございます。

微力ですが、日本人として日本国旗を掲げることから新しい日本の精神性を育むことを子どもたちに伝え残す活動をしていきます。

一切、戦わずに、母の悲しい思いを超える希望と喜びを子供たちに教育できる素敵なお母さんたちが増えることを願ってお伝えしていますので、どうぞ、よろしくお願いします。

 

 

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