先日、東京の「新宿オアシスハウス」で、天無神人(アマミカムイ)の「スピリチュアル華道」の第一回を開催しました。
混乱の世の中だからこそ、生け花を通して大切な心を学んでほしいという思いで定期的に行いますので、ぜひ、ご参加下さい。
私が「池坊」を学んだと聞いて驚く人もいますが、池坊を習った理由は、母の影響です。
小学生の頃に、「どうして人間は綺麗に咲いている野花を切って、生けるの?自然のまま楽しんでおけば良いじゃない。だって、花を切るとかわいそうだよ。」と私が言ったことが原因です。
母はどう私に説明するか悩んだあげく、若い頃から修行した池坊の心を母なりに教えてくれました。
大事なお客様が家に来る時に、綺麗なお花があると気持ちいいでしょ?
それはそれで良いけど、無理して生きた花を切らなくてもいいと思います。
我が家は大きなお庭に木と花があるし、それで十分、お客様をお迎えしていると思うのですか、間違ってますか?
母は、考え込みました。
花はね、それぞれ自分の役目があって、いろんな色で咲いたり、影でそっと白だけで咲いたり、人の目から見えないと下の方で、そっと、咲いてる花もあるでしょ。そういう花を活かしてあげたいのさ。
だったら、見たい人が花が見えるところまで身をかがめて見れば良いでしょ。
やっぱり、花を切ることは、花にかわいそうだと思うよ。
母は、考えたあげくこう私に言いました。
今度、芦別市内で「池坊展」があるから一緒に観に行こう!それからまた、話そうと言われました。
何かお茶を濁された感じがしたので、母らしくないなあと思いながら、池坊展の日を待ちました。
それまでの毎日、母は、毎朝、朝食の前に庭の花を切って飾っていたのを我慢していたのも知っています。
初めて、「池坊展」に一緒に行って、驚きました。
「どうしてここまで綺麗に、切って死んだ花がイキイキしているの?」と母に聞くと、母は年配のおばさんを紹介してくれました。
「この先生は私のお花の先生なので、もう一度、お前が聞きたいことを聞いてごらん。」と母に言われたので同じ質問をしました。
あなたはどうして花を切ってはいけないと思うの?
私は生まれた時から、花や鳥や虫や木々と会話できます。
だから、毎朝、学校へ行く時も、帰ってきた時にも、庭の花や木々や鳥たちに挨拶をして学校へ行っています。
そのお花をどうして勝手に切るのか、母に聞いたのですが、説明を聞いてもわからないので、今日、ここに一緒に来るように言われました。
あら、そうなの。まあ、素敵なことね、お花と対話できるなんて。
私もお花と向き合って30年を超えたけど、まだ、お花さんたちから言葉は聞こえないわよ。
どうやったらお花さんとお話ができるの?
お花さんは、自分から話しをすることはありません。
自分に気づいてくれて、優しい静かな心がある人と周波数が一致した時にだけ、心の中に思いが伝わってきます。
絵のようなイメージの時もあるし、言葉が心に浮かび上がる時もあります。
そうなの、素敵なことね。私はまだ修行が足りないので、まだお花さんたちは何も言ってくれないけど、私にもいつかお花さんの声が聴こえるかしら?
先生が活けたお花は、どれですか?
これよ、と見せてくれました。
じっと、先生のお花を見ていると、こう声が聞こえてきたので先生に伝えました。
先生、お花さんたちが先生にお礼を言っています。
あなたはいつも生徒さんたちが来るまでにお花屋さんで花を選んでいるけど、生気がない花ばかりの時は、山の方へ自分で行って花を摘んでくることをお花さんが教えてくれました。
そして、先生はいつも野花を切るときに、「ごめんなさいね。生徒さんたちにお花を教えているので少しだけ頂くわね。」と、花に声をかけていることも教えてくれました。
そして、驚いたのは、その活けた花が枯れたあと、自分で花を摘んだ場所まで行って、枯れた花を土に埋めて、新しい花の種を植えていることも教えてくれましたし、最後に、あなたにお礼を伝えて下さいとお願いされたのでお伝えします。
いつも、本当に大切に、花の命を扱ってくれてありがとうございます。
こう池坊の先生に言うと、先生は涙が溢れて止まりませんでした。
母は少し離れた場所から私を見ていたので、先生が涙を流しているのを見てダッシュしてやってきて、私の頭を平手打ちしました。
あんた何、先生を泣かしているの!と怒られました。
「栄子さん、この子は何も悪くないのよ。
そうやっていつも理由も聞かずに、すぐ手を上げたら子供がかわいそうでしょ。
ちゃんと理由を聞いて、おかしいことをしていたら手を上げても良いと思うわよ。
あなたは今、次の資格にチャレンジしているのに、そんな心だと昇格できないわよ。
この子は、お花と対話できるので、私が誰にも言ってないことをズバリ言い当てたので、私はお花からのメッセージをこの子を通して聞けたことが嬉しくて泣いてただけなの。
この涙は、嬉し涙なのよ。
なのに、あなたが子供に手を挙げたから、ほら、ご覧なさい。
周りに活けてあるお花さんたちもびっくりして、顔を隠しているわよ。
先生と私は母を見て、笑っていました。
そのあと、先生は自分の生徒に私のことを話したようで、「私のもちょっと見て!」と、オバサン達に囲まれて、数名の人が活けた花を見て、花からのメッセージを伝えました。
他の流派のオバサン達も私の花メッセージを聞きたかったようですが、私はこうみなさんに言いました。
おばさん達、何をいつも習っているのですか?
こんなに素晴らしい先生にお花を習っているのに、いつもペチャクチャ話しばかりしているし、お花を生けている時もサッサとお花を活けて甘いものを食べようと手を抜いているでしょ。
お花さん達はおばさん達の心の思いを全て聞いているので、いくら綺麗に生けても、心が伝わってきません。
おばさん達の花は、「欲の花」です!と私は言い放ちました。
隣にいた先生と母はニコニコしていましたが、私の言ったことに反論したいオバサンが一人、前に出てきてこう言いました。
あなたはお花を習っているの?習っていないのに、どうしてお花の気持ちがわかるの?池坊の授業も見たことない癖に、勝手なことを言わないでよ!と怒られました。
さすがに、池坊を知らない小学生の男の子に、勝手なことを言われたのが気に入らないオバサンたちがもっといたのを感じたので、最後に私はこう言いました。
私は池坊の授業は、見たことはありません。
でも、いつも母が家で生けている花を見て、どういうことを習ってきたのかはわかります。
家で飾り直した花が悩んでいるときは、母が悩んでいるので、何も言わないことにしています。
花が元気でノビノビしている時は、今日の母は調子良かった日だと思うので、母に今日のお花は綺麗だねと言っています。
みなさんも授業で習ったお花を家に生けた時、ご主人や子供達の反応はいかがですか?
きっと、みなさんのように一生懸命に先生の授業を受けた人なら、きっと、ご主人も子供達も元気にイキイキしていることでしょうね。
私は母に言葉で教わったことは一度もないので、池坊のことをどうこう言うのは失礼なのはわかっています。
ただ、みなさんが生けた花は、死んでます。
一人一人の心を、全く感じないからです。
気に触ったらすいません、子供の勝手な文句だと思って許して下さい。じゃあ、帰ります。
先生にお礼を言ってから、母と家に戻ると、母は私にこう言いました。
帰り際に、「あの子を一度、教室に連れてきてね?と先生に言われたんだけど、あんた、行く?」
行ってもいいよ、あのオバサン達がどれくらい上手になったのか、見てみたいから。
僕はまだ子供なので、何を言っても許される部分があるでしょ。
僕だって、大人になって、あんなことを言われたら腹がたって当然だもの。
でも、本当にあの人たち、心が無いのさ。
あんな大切な時間にお金をかけて何十年もやっているオバサンたちには、絶対に教わりたくないなあ。
教わるなら、やっぱり母かなあ。
そういうと、母は涙を堪えてこう言いました。
私はあなたに花を教える気も、資格もありません。
それはまだまだ生徒の分際なので、師範になってあの大きな看板を持てるようになった時は、教えるわね。
それまでは、自分の目で見て、花を生かす方法を身につけなさい。
池坊以外にも草月流やいろんな花もあるけど、私は池坊で良かったと思っているの。
だって、こんんヤンチャな自分が、唯一、心を沈めて花に向き合っていると、週に1回の授業のおかげで父さんとも喧嘩もしなくなったし、心も静かにいられる時間が増えたのよ。
私はまだ未熟だけど、今、わかることは、やっぱり池坊は、
「花を生けるのではなくて、心を生けるもの」
だとわかってきたのさ。
小学生の頃に私のお父さんが、「お前はヤンチャでせっかちだから、池坊でも習って来い!」と強制的に行かされたけど、行って良かったわ。
そのおかげで、男の子のあんたと、こんなにお花の話ができたもの、ありがとうね。
小学3年生で母とお花の話をした経験のおかげで、札幌市内にいる素晴らしい先生と出会い、1年半、池坊を習い、「初伝と中伝の二つの資格」を頂きました。
私の先生は池坊専永も認める実力者ですが、本当は三つ目の「皆伝」の資格をあげてもいいと思ったんだけど、一年半でもらった前例がない理由で、三つ目の資格はもらえませんでした。
池坊の花を通して自分の心を削ぐことを学んだからこそ、実生活が豊かになることを願って、「天無神人のスピリチュアル華道」を開催しています。
次回、5月20日(金)午後1時から4時ですので、ご興味がある人はどうぞ、私のお花を通して心を学びに来て下さいませ。
第一回 天無神人のスピリチュアル華道の作品
2006年3月9日の札幌池坊展の天無神人の作品

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