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上御膳、中御膳、下御膳の意味

上御膳(かみごぜん)、中御膳(なかごぜん)、下御膳(しもごぜん)

正式な食事の席の「座」と「お膳」に、名前があることを知っている人は、どれくらいいるでしょうか?

毎年、新年のご挨拶に本家に家族で伺うと、吉岡家親族全員の約40名の食事の御膳が綺麗に整っているので、毎年、驚きました。

本家の従姉弟のお姉さんに聞くと、全ての準備は、「子供たちにやらせるのが躾」なので大変なのよと嘆いていました。

みなさんは想像できないと思いますが、親族全員で40名ほどの漆器の御膳が並びますが、食事を乗せる器は全て、漆器塗りの高級なお道具ばかりなのです。

漆器の御膳は、柔らかい綿の布で丁寧に汚れを拭き取り、和紙にくるんでタンボールの箱に入れますが、金箔が入っているお膳は、高級な和紙で丁寧に金箔を抑えて汚れを吸い取り、拭くことは許されません。

 

ずらりと並んだ「お膳と座」には、「格式とルール」があるので、誰がどこに座るかも、事前にわかっていなければ準備すらできません。

まず、誰が来るのか分かると、整えるためのマナーとして、

上御膳(かみごぜん)

中御膳(なかごぜん)

下御膳(しもごぜん)

という「座る席の意味」を覚えて下さい。

 

🔴上御膳(かみごぜん)は、宴席で最も格が高い人が座る席に出す御膳のことです。

吉岡の本家では、祖父が亡くなっているので、祖母が「上御膳」の最高の座の席に座り、そのすぐ下の座には、男の兄弟や息子たちと元服した息子たちが順番に座ります。

12歳を超えると男は元服(げんぷく)ですので、昔の武士は、髪の毛をちょんまげに結いました。

昭和40年代でも、中学生になると、母親より上座の席に座らなければいけないので、「座のマナー」も覚えていないと祖母に大声で怒鳴られます。

吉岡家のもともとは、富山県砺波市ですので、「上御膳」は富山県砺波市の「高岡漆器」と決まっていて、黒の漆器に金色の模様が入っている最高級品です。

祖母の御膳だけは、ものすごく綺麗な龍と鳳凰が金箔で描かれていたので、感動した記憶があります。

同じ写真がなかったので、下の写真に鳳凰と龍が金箔で描かれており、御膳の真ん中にも家紋が金で書かれていたことを想像して下さい。

この鳳凰と龍の御膳は、祖母のお膳で、本来は、家長である祖父のお膳が別にあり、一段高くて、ほとんどが金箔で塗られた最高級のオーダー品だと祖母から聞きました。

金箔は湿気と気温で剥げますので、10年に一度は、塗り直しをしていたことも聞き、全部で100膳くらいある御膳にかかるお金の心配をした時に、祖母がこう教えてくれました。

いいかい、武士の家の「御膳」というものは、その家の「品格」を示すものだから、他のものを我慢してでも、「お客様用」として、いつでも出せるように準備しておくのが妻の役目なのさ。

柔らかい木綿も最高級品だし、お膳を包む和紙も最高級品さ。

その御膳は、我が夫の役目と品格を示すものだからこそ、亡くなった人の御膳は、生涯、世に出すことは二度とないのさ。

 

武士の命と同じくらい大事なものが、「お膳」だと今の人はわからないから、嫁に来たら、まず、そのことを教えるのが私の姑の役目なのさ。

私も嫁に来た時、婆さんに殴られて蹴られて、泣きながら覚えたものさ。

今の嫁は、苗字を頂く「家の家督の意味」を覚える機会が無いので、夫やご先祖が大事にしている「品格」もわからないんだと私は思うよ。

お前は男だから、どこかでお膳が出た時は、自分が座っている場所がそこで良いのか周りを見て判断し、間違っていたら、サッと自分のお膳を持って「座」を下がりなさいね。

男は相手を立てるのが「礼儀」だけど、その礼儀を失礼にあたらないように「座」をそっと下がるのは、賢い男の所作なのさ。

祖母に教わった賢い所作を使う機会も、人生で二度ほどありましたので、本当に、「ありがたい教え」に感謝しました。

 

🔵中御膳(なかごぜん)は、本家と親族付き合いに近い付き合いをする近所の武士たちが挨拶に来た時に出す御膳のことで、御膳の色は「黒」と決まっています。

北海道に移住した時に、武士制度が廃止になったので、当時は、本家の息子の嫁と12歳を超えた女性たちに「中御膳」を出すことにしたそうで、嫁や女性たちはとてもビビっていました。

 

🔵下御膳(しもごぜん)は、昔は、女性たちのお膳でしたので、色は、茶色と決まっています。

富山県で20の村を束ねていた頃には、使用人が数十名いたそうで、台所で使用人たちが食べるお膳は、白木でできたお膳だったそうです。

侍一族の使用人は、全て農民ですので、決して、侍と一緒の場で「食事はできないルール」なので、台所でお手伝いをしている人たちが、白木の御膳でご飯を食べている姿を本家で見たことがあります。

格式を重んじる一族との付き合いには、絶対に必要な「食事のルール」なので、お母さんたちは、娘や息子の結婚相手が決まったら、ぜひ、教えてあげて下さい。

 

最後に、ひとつ、感動した体験談をご紹介します。

毎年、1月2日に本家に親族が集まる時に、お昼前になると、小作だった近所の農家の人たちが、家族全員で年始の挨拶にきますが、対応するのは本家の子供たちで、家長が玄関先に出ることはしない決まりでした。

でも、祖父が亡くなり、地主だった田んぼを小作に分け与える「農地開放」の国の命令が出たあとでも、小作の人たちは本家に「新年の挨拶」を欠かさずやってきます。

本家の玄関には入らず、一番外のドアをすこ少しだけ開けて、「新年の挨拶にまりました」と声を出すだけで、決して玄関の中に入ろうとはしません。

武士の家の玄関に入ることができるのは、武士だけだからです。

 

外はマイナス30度以上ですが、近所の小作の家族が60名近くが、寒い外で一列に並んで挨拶の順番を待っていました。

いつもは出でこない祖母が珍しく玄関にやってきて、「今日は特に寒い日だから土間まで入りなさい」と言っても、誰も入ろうとしないので、

「私が言ったことは家長と同じだよ!ブツブツ言わないで、土間まで入りなさい!」と声を荒げました。

すると、申し訳なさそうに、土間に全員が入り、「今年も一生懸命にお米を作りますので、どうぞ、よろしくお願いします!」と全員で声を上げて、頭を下げました。

 

本家の祖母は、じっと全員の顔を見てからこう言いました。

今年は、もしかすると、冷害になる可能性があると聞いているので、お米を作るのは大変だと思うけど、お互いに協力し合って、喧嘩せず、仲良くお米を作っておくれ。

私たちも自分達が食べる分は、今年からは自分たちで作るので、わからないことがあれば聞きに行くから、どうか、教えて下さいね。

と言ったあと、元小作の人たちに頭を下げました。

 

これには、本家の家族も、親族も驚きです。

去年まで「農地開放」になっても、自分の田んぼをもらった小作の人たちはお礼の意味で、本家の田んぼを自分たちで作り、お米を納めていたからです。

初めて今年から本家の人たちが、農民になって働かなければいけないからこそ、祖母はこう付け加えました。

 

今年から皆さんにお世話になるので、◯◯さん、◯◯さん、◯◯さん、◯◯さん、の4名は、元締めをしていた家なので、これからお世話になるので、一緒にご飯を食べていきなさい。

さあ、すぐに御膳の用意をしなさい!

 

従姉弟のお姉さんと、本家のおばさんがお膳を準備する役目ですが、姉妹や嫁も本家の御膳だけは触れてはいけないルールだからこそ、従姉妹が2階に駆け上がって、「客人用の上御膳」を4つ抱えて降りてきました。

 

客人用の「上御膳」には、必ず、金箔が塗られていますし、家長代理の祖母の客人となるので、座る席も、本家の「家長の上の座」に用意されました。

 

御膳が置かれていた場合のマナーとして、座布団に座る前に、御膳と同じ高さまで頭を下げて、一呼吸置いてから座布団に座り、お茶を飲み、料理が一品づつ出てくるのを待つのが正式なルールです。

 

元小作の家長4名は、160畳ある部屋に入るなり、土下座して動かなくなりましたので、また、祖母が大きな声で命令しました。

「お前たちは、小作として本当によく働いて我が家を支えてくれた。それは心から感謝している。

それに亡くなった私の旦那が最後の言葉で、お前は口は悪いが気が良い女なので、あまり上手に話せないかもしれないが、小作の人たちを死ぬまで大事にしてやってくれな、と言われたのさ。

私は本当は頭を下げるのは、一番嫌なことなんだけど、お前たちが頭を下げたままでいると、私も頭を下げなければいけなくなるんだけど・・・どうしても、私に頭を下げさせたいのかい?」

 

この言葉を聞いた元小作の家長4名は、大急ぎで御膳の前で礼儀を終えて、座布団に座り、お茶を飲み始めました。

正式な座では、客人がお茶を飲んでくれた瞬間から、食事の用意をして良いことになっていますので、どうか、正式な場に呼ばれた時に、恥ずかしくない所作ができる様になって下さいませ。

食事の時間の意味は、「命を分け与える意味」がありますので、「座のマナーとルール」を大切にして下さいませね。

 

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