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GHQ指導による「農地改革」による日本弱体化計画

1947年(昭和22年)に実施された「農地改革」をご存知でしょうか?

一般的には1947年(昭和22年)、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革を指す。元々、日本の官僚の間には農村の疲弊を打開するために地主制度を解体する案はあったが、財界人や皇族・華族といった地主層の抵抗が強く、実施できなかったものをGHQの威を借りて実現したといえる。

全国の「藩の殿様」から「小作農」に土地を与えてお米を作らせ、管理を「武士(地主)」に任せた時代から、武士の家が持っている田畑をバラバラにして、小作農なら「誰でも一反(300坪)もらえた制度」のことです。

※小作農とは、「侍の地主」のもとで農家を営み、年貢を治めて暮らしていた貧乏農家のことです

※「GHQ」とは、大東亜戦争終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関「連合国軍最高司令官総司令部」のこと。

※マッカーサー元帥は、あえて、天皇陛下の「左側」に立ち、「日本をコントロールしているのはアメリカだ」と印象つける最も当時の人たちが悲しんだ写真です。

 

GHQの目的は、「日本の資産の一極集中解体」と、「天皇家を中心とする権力の弱体化」ですので、「財閥解体と資産没収」を一気に進めて、日本経済の根幹の仕組みを切り崩しました。

敗戦国なので「GHQ」の言いなりになることは仕方がないですが、GHQの本当の目的は、「天皇を中心とした一極集中の権力と経済力」を分断することが目的でした。

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(天無神人の体験談)

私の実家は、本家(ほんけ)から借りた田んぼで無農薬の米農家を営んでいましたが、私が生まれた頃の家族4人の年収は180万円以下ですので、どれくらい貧乏なのかわかると思います。

両親が初めて農業を始めた1952年の「年収は60万円」だったと聞いています。

だからこそ、食べるものは全て自分で作るしかない「貧乏農家」の時代でした。

「GHQ」が、地主の土地を切り刻んで最低限だけ残し、残りは全て小作農に一反(300坪)づつ与えた結果、多くの問題も生じました。(資産の切り崩し)

地主の土地を小作農に、一反(300坪)づつ与えても余る大きな地主の土地は、外からやってきた希望者に抽選で無料で配布したため、本州から逃げてきたいろんな問題がある「ならず者」たちが農家を始めました。

当時、無農薬で米農家をした場合、良くても一反(300坪)で60kgの米が5俵前後しか取れないので、売るより前に、家族の1年間の食糧確保が第一でした。

※人間一人の年間のお米の消費量は、「約60kg1俵」で計算します。

つまり、多くの農家は自分が食べる分を自分で作り、生活費は誰からに雇われて収入を得るしかない「兼業農家」が普通の時代でした。

そんな中、私の両親は、「米の専業農家」を目指し、いろんな仕事をしながら生活費を稼ぎ、借金をしながら田んぼを増やし、私と兄を学校へ行かせてくれました。

無駄使いを一切せず、貯金をしては田んぼを買い、また、貯金しては田んぼを買うことを繰り返した結果、農業を始めてから20年間で、「6町3反(18,900坪・62,370平米)」の町内一の田んぼの面積となり、500俵のお米を出荷できる「米の専業農家」になりました。

そのためには、やりたくない化学肥料や農薬も使いましたが、父は、毎年、「土地の微生物」にお詫びをしていました。

「戦後の食糧難時代」と、昭和33年から始まった「岩戸景気」が重なり、食糧を作る農家を増やすことが、国には必要な「国策」だった時代です。

「岩戸景気」とは、「神武景気」に続いて発生した日本における好景気のことをいいます。

「神武景気」は31か月続きましたが、岩戸景気は1958年(昭和33年)6月から1961年(昭和36年)12月までの42か月続きました。

景気の長さにおいて、またその大きさにおいても「神武景気」を上回る好景気との評価がなされたため、神武天皇よりさらに遡って「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」という意味で、この名が付けられました。

この時期から日本の高度成長期が始まり、「朝鮮特需」が減少する反面、重化学工業の技術革新の波が起こり、一社の民間企業の設備投資が、別の会社の設備投資を招き、「投資が投資を呼ぶ」といわれました。

産業面の変化をみると、繊維産業や石炭、海運産業等の比重が低下する反面、電気機械・精密機械・自動車などの機械産業、あるいは鉄鋼・化学・石油精製等の装置産業が発展し、産業の高度化が進みました。

教科書に書かれている「日本史」とは違い、最も重要な「真実の歴史」は、どの時代に何が起きて、庶民がどう苦しんだのかを学校で教えるべきなのですが、決して、今の教科書は、「反米主義」にならない教科書にして、「民衆コントロール」を続けています。

では、誰が「本当の歴史」を教えることができるのでしょうか?

それは、ご両親が教える「家庭教育」しか、無いのです!

だから、お母さんたち、どうか、自分で正しい歴史をまず、勉強して、今と同じような時代に、どうやって「生き残り」を考えたのかを子供たちに教えて下さい。

私の母たちは、戦後、「学校教育」が大きく変わった時、つまり、自分達の教科書を全て墨で塗りつぶした経験があるので、内緒でお母さんたちだけの「事実の歴史の勉強会」を行なっていました。

隠れて、「天皇主義」を正しく説明できる先生も参加してくれたそうです。

戦前の人たちや、戦中の人たちの、いろんな体験談を聞きながら、自分の頭でこの日本をどうやって再生するかを考えたお母さんたちがたくさんいた時代です。

だからこそ、「今のお母さんたち」はよく考えて下さい。

テレビもラジオもインターネットに流れる情報を「全部真実」と思ってはいけません

必ず、「放送法」で検閲があり、その昔は「GHQ検閲」があった時代のままのルールが、今も続いているのです。

国民放送であった「NHK」でさえ、GHQの指導が入り、全ての真実を語ることさえ許されない時代が長く続いた理由も、強制的に、「左翼思想の経営者をNHKのトップの人材」に入れ替えたからです。

ですので、「NHK批判」をいくらしても、何も現実は変わりません。

民放のテレビやラジオでさえ、政府の管理下にありますので、問題発言をすると、すぐに「放送法」を持ち出して番組は中止になります。

唯一、インターネットの世界が自由だったのは、世界のネット情報の管理が決まった「2021年9月」までですので、今後はさらに「情報規制」が入り、インターネット上に書いた文字や記録は、知らない間に消されることになるでしょう。

ですので、自由に発信できるYOUTUBEなどの「無料動画」は、徐々に消されていくことを考えておかなければいけない時代になりました。

だからこそ、私のYOUTUBEは「ライブ配信」にこだわっているのです。

今、「伝えたいこと」を受け取ってくれる人が必ずいると信じて配信しています。

https://www.youtube.com/user/earthtscu/

いろんな人たちから「動画が削除された」とか、「アカウントが停止された」とか、「ブログの記事が知らない間に消えていた」と聞いていますが、もともと、「情報」は自由ではなく、「一定の管理下」にあるのは当然ですので、激怒しないで、「そういう時代が来たのか、じゃあ、どうするかな?」くらいに考えてフットワークを軽くして行動しましょう。

私もどんどん日々、気づきが変わっていますが、「地球を救う」という目的は変わりません。

まだ公開できませんが、「2024年から始める新規事業」が、皆さんのご期待に添えるかどうかわかりませんが、「民衆が望めば時代の必要性で実現」すると信じて、ここまで思想転換の「草の根運動」を続けています。

必要な人が必要な価値を見出して、自分の優先順位を変えて下さる人たちに支えられている活動ですので、どうぞ、「地球創生」の活動意図を正しくご理解下さいますようお願いいたします。

地球創生 代表 天無神人(アマミカムイ)

 

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